ベンジャミン・ブリトゥン(Benjamin Britten 1913〜1976)は、20世紀イギリス最大の作曲家です。 新鮮な現代感覚に溢れながらも、親しみやすいその音楽は、わけの分からない前衛音楽とは一線を画した優れたものです。 心理的表現の深さを示す歌劇ほか、あらゆる分野で多数の傑作を残しています。
〔注:日本では「ブリテン」と呼ばれることが多いようですが、BBC出身のとある女性の発音を聞くと「ブリトゥン」だったので、本文ではそれで統一しています。〕
その彼も、いくつもの映画音楽を残しています。
以下で、簡単ですが、ブリトゥンと映画音楽との関わりを見てみましょう。
<ブリトゥンと映画音楽>
ブリトゥンの映画音楽は意外に多く、14曲以上の映画音楽を書いていますが、それは全て記録映画または教育映画のためのもので、劇映画スコアは一つもありません。
あまり知られていないことですが、映画音楽はブリトゥンの創作活動の出発点でした。
ブリトゥンが映画音楽を書き始めたのは、ロンドン王立音楽大学卒業後、歯科医の父が死に、生活の糧を稼ぐ必要に迫られたからです。
ブリトゥンはGPO(郵政局)映画部に入社して働き始めますが、そこで出会ったのが、彼の人生と作品に深い影響を及ぼす詩人W.H.オーデンです。
ブリトゥンは、オーデンと協力して、『石炭の顔』(1935)、『夜間郵便列車』(1936)といった優れた記録映画を作っていく一方、イギリスの詩文学についてオーデンに深く感化され、オーデンの詩に作曲するなどして、のちの創作活動の基盤を固めて行くのです。
その後、才能を広く認められたブリトゥンは、映画音楽から離れて行きますが、それでも中期頃までは映画音楽の作曲を続けました。
彼の最後の映画音楽は、教育映画『オオケストラの楽器』でした。
1945年にイギリス文部省からこの映画への作曲を依頼された時、ブリトゥンはいったんは断りましたが、結局は引き受け、この映画の音楽は「青少年のための管弦楽入門」として出版されて、今ではクラシック音楽の名曲の一つに数えられています。
彼がなぜ最初は断り、なぜその次に引き受ける気になったのか、ブリトゥンは、こう説明しています。
「映画音楽は視覚に対して奴隷的な地位に甘んじなければならないのであまり好きではありませんが、イギリスの青少年のためだというので引き受けました。」
彼のような天才にとって、映画音楽は、音楽を自由に展開させるメディアとしては不十分でした。 しかしその創作の原点であったことは確かであり、彼がこのジャンルのためにいくつもの傑作を書いたことも確かです。
ブリトゥンの映画音楽は一般にはほとんど知られていませんが、映画音楽ファンのみならず、一般の音楽愛好家も、ブリトゥンの映画音楽にはもっと注目すべきではないでしょうか。
<ブリトゥンの映画音楽:歩みと作品>
『石炭の顔(炭坑夫の顔)(Coal Face)』(1935) ジョン・グリアスン監督
ブリトゥン最初の映画音楽は、イギリス記録映画史上の金字塔とも言うべきこの映画で始まる。
1930年代初頭の世界恐慌はイギリス社会にも大打撃を与えた。 造船、鉄鋼などの基幹産業は減退し、農産物価格も暴落、失業者は街に溢れた。金本位制も遂に崩壊し、イギリスは連邦制を再編成し、ブロック経済化を進めざるを得なくなった。 政府の統制は強まり、不振の映画産業は官営映画部門(フィルム・ユニット)に組織し直され、プロパガンダ映画を作り始める。
但し、プロパガンダ映画と言ってもそれらは非常に芸術的価値の高いものだった。
そもそもイギリスにはドキュメンタリー映画の優れた伝統があった。 その第一人者はジョン・グリアスンである。 彼は、『極北の怪異(極北のナヌック)』(1920-21)などで知られるアメリカの記録映画の祖ロバート・フラハティ(1884〜1951)から大きな影響を受け、EMBフィルム・ユニットで『流網船』(1929)を製作して好評を得、1932年にはフラハティ本人(監督)を迎えて『工業英国』(1932)を完成させた。
1933年、EMBが解散したため、グリアスン一派はGPO(郵政局)に移った。この時からGPOフィルム・ユニットは栄光あるイギリス記録映画製作の中心となるのである。
グリアスンは映画に於ける音響の取り扱いをマスターするめためにトーキー先進国フランスからアルベルト・カヴァルカンティを招いた。このグリアスン=カヴァルカンティのコンビが最初に製作した意欲的ドキュメンタリー映画が、『石炭の顔』(1935)であった。
この映画のために詩人のW.H.オーデン、ウィリアム・ゴールドストリーム、若い有望な新人画家などの芸術家たちが集められた。 そして、音楽担当として声をかけられたのが、当時新進気鋭の作曲家として売り出し中のブリトゥンだった。
この記録映画は“映画詩”とも言うべきコンセプトで作られており、オーデンらの詩に映画のイメージを喚起させる大変重要な役を与えている。 サウンド・トラックが重視され、解説・詩と音楽は同時に協力しながら書かれてた。 合唱の歌が直接的説明を代行している。
映画評論家マンヴェルは「炭坑のオラトリオ」と評したが、「オラトリオは観客には人気がない」と続け、優れた映画と音楽であるにも関わらず、不入りであった事情を揶揄している。
この映画はハリー・ワットの傑作の一つである。暁の田園風景の中、遠方を走る汽車のショットの素晴らしさ、劇的な盛り上げ方、といった映像や演出の面だけでなく、音響面でも絶賛された。アンスティは「『石炭の顔』と『セイロンの歌』のサウンド・トラックの巧妙さを結合した」と述べている。
バジル・ライト監督の『セイロンの歌(The Song of Ceylon)』は、この時期のGPO映画部の記録映画の傑作として知られている。マンヴェルによれば「偉大な叙情美を創作せんとして、イギリス・ドキュメンタリイ・フィルム中もっとも成功したもの」であり、志賀信夫によれば「すべてのドキュメンタリの仕事のなかで、音楽、自然音、コメントを、サウンド・トラックにいれて、もっとも美しく統合した映画である」。そして「故ウォルタア・リイ(作曲家)が映画のサウンド・スコアリングのため、もっとも目だった寄与をなした」。
『夜間郵便列車』のサウンドトラックには汽笛、車輪などの汽車特有の種々の雑音をリズムとして、そこにオーデンの詩とブリトゥンの音楽が付けられた。
<ブリトゥン映画音楽リスト>
☆ベンジャミン・ブリトゥン(Benjamin Britten 1913〜1976)☆
<略歴>
早熟の天才で、13の時フランク・ブリッジについて楽理と作曲を学ぶ。