バーナード・ハーマン
Bernard Herrmann   1911〜1975
早崎 隆志

 弦楽合奏の激しい、断ち切るような短7(T7)の和音に続き、執拗に繰り返される神経質な音型が、異常心理スリラーの幕を開ける……アルフレッド・ヒッチコック監督の有名な『サイコ(Psycho)』(1960)のオープニング・タイトルです。
 ヒッチコックは最初、『サイコ』をひどい失敗作だと思い、1時間のテレビ用映画に編集してさっさと処分してしまおうと考えていました。 それをあわてて止めさせ、スコアを聴くまで待ってくれと頼んだのは、バーナード・ハーマンです。 彼が仕上げた『サイコ』のスリリングなスコアは、この映画を大成功に導いただけでなく、映画音楽の古典的傑作の一つとなったのでした。
 ハーマンほど個性的な映画音楽を書く人も珍しいでしょう。 彼の音楽は劇的な緊迫感に溢れ、ロマンチックな虚飾はまったくありません。 そのためサスペンスもの、冒険ものを得意としました。 彼が残した48本(彼の世代の映画作曲家としてはかなり少ない)の映画音楽は、いずれも優れた作品ばかりです。

オーソン・ウェルズとの出会い
 ニューヨークっ子ハーマンは、ジュリアード音楽院(ブロードウェイのすぐそばにある)で勉強し、しっかりした作曲の基礎と、伝統に縛られない革新性を身に付けました。 22歳でニューヨークのコロンビア放送局(CBS)に入社(1932)、翌年CBS管弦楽団の常任指揮者になり、ラジオを通じてクラシック音楽の普及に努め、現代作曲家アイヴズの作品を数多く放送初演するなどの業績を残しました。純音楽の作品もかなり書いています。
 そんなハーマンの運命を大きく変えたのが、若い俳優・演出家オーソン・ウェルズとの出会いでした。 O.ウェルズが1936年から製作した斬新なラジオ・ドラマ「マーキュリー放送劇場(Mercury Theatre of the Air)」に、ハーマンは効果的な音楽を付けてゆきました。 ウェルズの演出が余りにも見事だったため、1938年のハロウィーン前夜、H.G.ウェルズ原作のSFドラマ『宇宙戦争』を聞いた人々が本当のニュースと勘違いしてパニックを引き起こした、いわゆる「二人のウェルズによる宇宙人騒動」は有名です(この音楽もハーマンが担当)。
 1940年、映画会社RKOは、“宇宙人騒動”で有名になったO.ウェルズに映画を撮らせることにしました。 それがアメリカ映画史上の金字塔『市民ケーン(Citizen Kane)』(1941)です。23歳の新人監督ウェルズは、29歳のハーマンをハリウッドに招き寄せ、音楽を任せます。 ハーマンのスコアは、錯綜した構成やパン・フォーカス撮影を的確にサポートする優れたもので、映画音楽の一つの手本となりました。

初期の活動
 ハーマンは続く『悪魔の金(All That Money Can Buy)』(1941)で早くもオスカーを獲得し、O.ウェルズ監督第2作『偉大なるアンバーソン家の人々(The Magnificent Ambersons)』(1942)へも華麗な音楽を書きます。 ウェルズはその後ハリウッドを追放されてしまうので、これがウェルズとハーマンの最後の合作になりました。
 ハーマンはこの時期まだニューヨークに本拠を置き、ラジオや指揮を活動の中心としていました。 映画音楽はいわば片手間で、年1本以下しか書かれませんでしたが、生まれた作品は質の高いものです。『ジェーン・エア(Jane Eyre)』(1944)や『戦慄の調べ(Hangover Square)』(1945)はゴシック風の暗く華麗なロマンティック・スコアで、一方『アンナとシャム王(Anna and the King of Siam)』(1946)は東南アジアの音楽−−シャム(タイ)と言うよりインドネシアのガムラン音楽ですが−−を管弦楽に取り入れた意欲的でカラフルな大変面白いスコアです。 これはアカデミー賞にノミネートされました(ちなみにロジャース&ハマースタインの有名なミュージカル「王様と私」(1951)は、この映画が原作)。『幽霊と未亡人(The Ghost and Mrs.Muir)』(1947)では一転して実に繊細でナイーヴな音楽が展開され、中でも、弱音したヴァイオリンが2声の対位法を繰り広げる「アンダンテ・カンタービレ」は、たまらないほど切なく美しい夜想曲です。
 間もなくテレビ時代となり、経営の悪化したラジオ局は、オーケストラと音楽部門の人員をばっさり切り捨てます。 ハーマンも1950年ハリウッドに移り、いよいよ本格的に映画音楽を書き始めます。 但し低俗な映画に作曲させられることを嫌い、特定の映画会社と専属契約を結ぶことはありませんでした。 それでも才能溢れるハーマンは引っ張りだこで、特に20世紀フォックスの音楽部長アルフレッド・ニューマンにはその腕を高く買われ、多くのいい仕事を回してもらいました。『地球の静止する日(The Day the Earth Stood Still)』(1951)のスリリングな音楽はSF映画スコアの模範となり、その後しばらくSF、冒険物の依頼が続きます。『十二哩の暗礁の下に(Beneath the 12-Mile Reef)』(1953)では鮮やかな管弦楽の色彩の炸裂を聴かせ、超大物プロデューサーのダリル・F・ザナックを「私が聴いた中で最もオリジナルなスコアの一つだと思う。本当にスリル満点だ」と驚かせています。

ヒッチ=ハーマンの黄金時代
 しかし、強烈な表現力を持つハーマンの音楽が最大限の効果を発揮したのは、サスペンスとロマンに満ちたヒッチコック監督の一連のスリラー映画と出会った時でした。 1955年から10年に渡るヒッチコック監督とのコラボレーションの期間は、ハーマンの最盛期を形作っています。
 ハーマンはまず、『ハリーの災難(The Trouble with Harry)』(1955)のブラックユーモアを乾いた音色で強調して見せ、『知りすぎていた男(The Man Who Knew Too Much)』(1956)ではアーサー・ベンジャミンのカンタータ「雷雲」をロイヤル・アルバート・ホールで演奏する指揮者として本名で画面に登場しました。 彼が本当の実力を見せるのは、彼自身が最も気に入っていたという『めまい(Vertigo)』(1958)の陶酔するような愛のテーマあたりからで、『北北西に進路を取れ(North by Northwest)』(1959)の目まぐるしいサスペンス・スコアや、『サイコ(Psycho)』(1960)の異常に緊迫した音楽は、今も名作に数えられています。『北北西に進路を取れ』でフル・オーケストラのカラフルな熱狂的ファンダンゴを書くかと思えば、『サイコ』では、幾パートにも分奏された弦楽合奏によるモノトーンの音楽で白黒の画面にマッチさせているのは、さすがと言うほかありません。
 ヒッチ=ハーマンの共作はさらに、切迫した中にも美しい『マーニー 赤い恐怖(Marnie)』(1964)を生みますが、次の『引き裂かれたカーテン(Torn Curtain)』(1966)では、「売れる主題歌を」と求めるユニヴァーサル社の圧力に屈したヒッチがハーマンのスコアを没にしたため、二人の長年にわたる協力関係は終わりを告げるのです。
 なおこの時期にも『地底探検(Journey to the Center of the Earth)』(1959)のようなSF、『シンバッド7回目の航海(The 7th Voyage of Sinbad)』(1958)、『アルゴ探検隊の大冒険(Jason and the Argonauts)』(1963)のようなファンタジー等の名作が引き続き生み出されました。

第一線へのカムバック
 ヒッチコックと訣別した直後、ハーマンは仏ヌーヴェル・ヴァーグの巨匠、フランソワ・トリュフォー監督に呼ばれます。 トリュフォーもこの時期、長年のパートナー、ジョルジュ・ドルリューと離別していたのです。 ハーマンはトリュフォーの『華氏451(Fahrenheit 451)』(1966)、『黒衣の花嫁(The Bride Wore Black)』(1967)等に幻想的で息を飲むほど美しい音楽を付けました。『華氏451』の溺れるような陶酔感は特筆に値します。
 その後、映画音楽のポップ化の波に押されて仕事が減ったため、ハーマンは60年代終わりにイギリスへ移住し、指揮活動に精を出します。
 ところが1970年代に入ると、ヒッチコックを崇拝していたブライアン・デ・パルマなどの若い監督の間でハーマンの音楽を再評価する気運が高まり、ハリウッドに呼び戻されます。 デ・パルマの『悪魔のシスター(Sisters)』(1972)、『愛のメモリー(Obsession)』(1975)の2作のスコアは優れたもので、前者では冒頭の警告するような不吉なモティーフが忘れ難く、後者では美しくも不気味な響きが“『めまい』にならったロマンティック・ミステリー”という製作意図を完璧に具現しています。
 続いてマーティン・スコセッシ監督の『タクシー・ドライバー(Taxi Driver)』(1975)のために、むせ返るような夜の都会の香りに満ちた、ジャジーな名スコアを書き上げます。 体の不調を無理に押して、1975年12月23日の晩のうちにロスアンジェルスのバーバンク撮影所のスコアリング・ルームでサウンドトラックの録音を終えたハーマンは、その夜、ユニヴァーサル・シェラトン・ホテルで寝ている間に心臓発作を起こし、急死するのです。 まだ64歳という働き盛りでした。ロンドンで最高の演奏者を集め、自作他作取り混ぜて映画音楽を大量に新録音するプロジェクトが進行していただけに、ハーマンの死は映画音楽のみならず、音楽界全体に大きな悲しみを与えました。

音色にこだわるハーマンの音楽
 ところでハーマンは音色の追求に異常な関心を示した作曲家で、その楽器の使い方は余りにも独創的です。 同質の音色のアンサンブルを好むのが特徴で、例えば『危険な場所で』(1951)では8本のホルンが吠えまくり、『十二哩の暗礁の下に』では9台のハープが幻想的な光景を繰り広げます。『壮烈カイバー銃隊』(1954)の「ストロングホールド山の攻防」では、大小15のティンパニにタム=タム3台、それに全部弱音器(ミュート)を付けた金管だけという驚くべき編成が使われました。『サイコ』は弦楽合奏だけのモノトーン・アンサンブルだし『地底探検』はオルガン協奏曲です。 木琴を使った『シンドバッド7回目の航海』の骸骨兵士の音楽も衝撃でした。 こうしたアイデアの豊富さは驚くばかりです。
 『引き裂かれたカーテン』ではヒッチコックはポップなヒット曲を求めましたが、その彼が1966年3月末にゴールドウィン録音スタジオで見たものは案の定、フルート12本、ホルン16本、トロンボーン9本、テューバ2本、ティンパニ2組、チェロ8丁、コントラバス8丁という異様なオーケストラでした。 そこにはヴァイオリンもオーボエもなく、アルト・フルートやバス・フルートといった珍しい楽器を含む12本のフルート属アンサンブルが不気味な味わいを出しています(エルマー・バーンスタインはロイヤル・フィルを振ってこのスコアを録音しています)。 音楽はさっそくジョン・アディスンのものに入れ替えられ、10年続いた“ヒッチ”とのゴールデン・コンビは惜しくも解消したのでした。
 ハーマンの強烈で印象的な音楽は、その厳しく、妥協を知らない性格を表しているようです。彼は相手が誰であろうとずけずけ物を言いました。映画のラッシュを見せられて「何でこんなクズを見せるんだ?」と言ってのけ、監督やプロデューサーと衝突したこともしばしばです。しかし、彼が最も優れた音楽を書くのは、切なくメランコリックな場面であることを考えると(『めまい』の有名な「愛の場面(シーン・ダムール)」も、愛の歓喜に燃え立つと言うよりは、満たされぬ憧れを追い求めるような切ない焦燥感があります)、シニカルな仮面の下の素顔のベニー・ハーマンは、実は寂しがり屋のロマンティストだったのかも知れませんね。

=推薦CD=

『市民ケーン』/ハーマン作品集 (Citizen Kane/The Classic Film Scores of Bernard Herrmann)
 C.ゲルハルト指揮ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団 BMG/RCA Victor 0707-2-RG [14トラック 52:05]
 何も言わずにこれを買って、1曲目の『On Dangerous Ground』の「死の狩り」を聴くべし。咆哮しまくるホルンの迫力にぶっ飛ぶこと請け合い。これと並ぶ聴き物が『十二哩の暗礁の下に』で、ハープのアルペッジョが目の覚めるような鮮やかな色彩を生み出し、ファンタジックな海底旅行に連れて行ってくれます。音にも色がある、ということを納得させてくれる曲です。『市民ケーン』組曲の演奏も最高水準で、映画中のオペラ「サランボー」からのアリア(映画の中ではケーンの妻が無理に声を張り上げて歌う)も名ソプラノ歌手キリ・テ・カナワが歌うとこんなに美しかったのね! 他に『戦慄の調べ』から「死のピアノ協奏曲」、『蛮地の太陽(White Witch Doctor)』(1953)組曲が入っています。

ハーマン映画音楽傑作選 (Bernard Herrmann: Great Film Music)
 バーナード・ハーマン指揮ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団 London 443 899-2 [35トラック 72:06]
 これも定盤で、以前 Fantasy World of Bernard Herrmann のタイトルで出ていたアルバムの再発売CDです。『地底探検』『シンドバッド7回目の航海』『地球の静止する日』『華氏451』などが作曲者指揮するナショナル・フィルの演奏で収録されています。演奏は素晴らしく、『華氏451』組曲では目の眩むような美感に酔い痴らされます。録音も20年前とは思えないほど艶やかで鮮明。ハーマンは他に『アルゴ探検隊の大冒険』『サイコ』組曲などをナショナル・フィルと、『市民ケーン』『ジェーン・エア』『悪魔の金』『キリマンジャロの雪(The Snows of Kiliminjaro)』(1952)、それにヒッチコック映画のテーマ集をロンドン・フィル(こちらはやや録音年代が古い)と録音し、Londonレーベルに残しています。

『めまい(Vertigo)』オリジナル・スコア (新録音)
 ジョエル・マクニーリー指揮ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団 VARESE SARABANDE VCD-5600 [23トラック 63:21]
 『白銀に燃えて』のマクニーリーがスコットランドの名門オケを振って1995年に録音したCDで、映画のスコア全体をこれほど高い完成度で再録音したというのは珍しいでしょう。マクニーリーはハーマンの繊細かつダイナミックなスコアを深く読み込み、弦と管のバランスを上手に保ちながらそのメランコリックな世界を見事に再現しています。圧巻はやはり「愛の場面」で、この演奏ほど美しく、切なく、激しく燃え上がるこの曲を、ぼくは聴いたことがありません。





=ハーマン 映画音楽リスト=

凡例: <VD> =劇場未公開/ビデオ・タイトル
    <TV> =劇場未公開/テレビ放映時タイトル

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©1997 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:1997/12/23; 2001/2/15

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