| アルテュール・オネゲル |
| Arthur Honegger 1892〜1955 |
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オネゲルはクラシック作曲家として知られていますが、映画音楽もサイレント時代からかなりの量を書き、映画音楽の水準を引き上げる役を果たしました。
オネゲルの音楽は激しい不協和音に満ち、ごつごつしたグロテスクなもので、お世辞にもポピュラーとは言えません。
でもよく聴き込めば、その力強い響きは生命力に溢れ、深い感動を呼び起こします。また時々はっとするほど美しい、透明な響きを聴かせてくれたりもします。
壮大な劇的オラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」(1934-35)、迫力と真摯な祈りに満ちた交響曲第3番「典礼風」(1945-46)、美しく感動的な「クリスマス・カンタータ」(1953)など、多くの傑作を残した彼は、映画音楽の分野でも決して手を抜くことはしませんでした。
例えば、アベル・ガンス監督の『鉄路の白薔薇』(1922)序曲は、グロテスクな部分と清楚な美しい部分が交差するオネゲルらしい音楽ですが、画面を疾走する機関車を思わせる最後の力強い音楽は、翌年、有名な「パシフィック231」に改編されました。オネゲルのの代表作の一つは、映画スコアから生み出されたのです。
ガンスの超大作『ナポレオン』(1926)では、オネゲルは画面の巨大さに大音響で対抗しようとはせず、逆に小オーケストラから実に抒情的で美しい音楽を導き出しています。これはオネゲルの映画音楽の最高傑作であるだけでなく、あらゆるサイレント映画のための音楽に最も優れた音楽といって良いでしょう。
トーキー時代に入って作られた『ああ無情』(1933)の音楽は地味ながら、より多彩な表現を行っています。ハンガリーからパリに移ったばかりのミクロス・ローザが、この曲を完成直後のオネゲルに出会い、映画音楽に開眼したという話は有名です。この時、ローザはオネゲルをせっついて、『ああ無情』の音楽を5曲から成る管弦楽組曲に編曲させました。
交響組曲に編曲された『二番芽(Regain)』(1937)もオネゲルの映画音楽の中で最も変化に富む優れた作品です。
しかし、最もオネゲルらしさが出ているのは、フランス人パイロット、ジャン・メルモの冒険飛行を映画化した『メルモ』(1942)の音楽ではないでしょうか。これは、彼の演奏会用作品に匹敵する充実した作品で、不協和音を大胆に使った力強いスコアは、オネゲルらしい燦然たる輝きに溢れています。オネゲル自身が二つの交響組曲(第1番「アンデス越え」、第2番「大西洋横断飛行」)に編曲しています。。
『メルモ』を手掛けていた当時、オネゲルはパリ音楽院でモーリス・ジャールに教えていました。ジャールの音楽に時として聴かれる現代性は、師のオネゲルから学んだものかも知れません。
フランス6人組の一人として反印象主義を推進、第1次大戦後のフランス現代音楽の旗手の一人となる。不協和でダイナミックな音楽は、後半生に於いてフランス古典音楽への復帰を見せる。
彼は、交響曲やオラトリオだけでなく、ラジオや映画という20世紀の新しいメディアのためにも精力的に音楽を書き続けた先駆者だった。
オネゲルの映画音楽は、アベル・ガンス監督による映画黎明期の名作『鉄路の白薔薇』(1922)や『ナポレオン』(1926)から、1951年に至るまで、約30年間に全部で43本が書かれた (劇映画30本、記録映画5本、アニメーション3本)。
そのうち、オネゲルが一人で作曲・オーケストレーションをこなしたのは約半分で、残りの半分は次のような人々との共作だった。
オネゲルは映画音楽についてこう述べている。
「作曲家はアクションのあらゆる相違を考慮しなければならず、ほんの数秒のうちにコミカルから陰鬱に変わらなければならない〔中略〕そしてシャクナゲの栽培からも、チーズの合理的な包装からと同様、大いなる音楽的霊感を得なければならないのだ。」
彼にとり、映画とは様々なメディアの統一体であり、映画音楽はその不可分の重要な一部分と考えた。音楽が映画にインスパイアされるのであり、その逆であってはならない。だから映画が音楽で充満しないよう気を付けていたし、漫画映画での絵と音楽の余りに露骨なシンクロナイゼーションには軽蔑を示した。
オネゲルの考えでは、映像モンタージュと作曲は異なる原理に従っている。映画は対照を旨とするのに対し、作曲は持続と論理的展開によっているからである。これらは無理に統合されるのではなく、むしろ互いに補完し合って、全体の芸術的統一を保たなければならない。そうしてこそ初めて、視覚的イマジネーションは、音楽のメッセージを理解する大きな助けとなるであろう。
オネゲルは新しい芸術表現の手段としての映画に大きな期待を抱いていたが、それ以上に彼自身が大の映画フリークだった。彼はよく、セットの物陰で撮影の様子を眺めていた。
オネゲルは、オンド・マルトノを積極的に使用した最初の作曲家の一人でもあった。
この楽器は1924年にソ連の音響物理学者レオン・テレミンに発明された電子楽器「テレミン」の後継楽器で、モーリス・マルトノ(1898〜 )によって発明され、1928年に公開された。
ミヨー、ケクラン、メシアン、ジョリヴェらもこの楽器のための音楽を書いているが、オネゲルも劇的オラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」(1934-35)などで大変効果的に用いている。彼がこの電気楽器を映画音楽に持ち込んだのも自然の流れだった。
モーリス・ジャールがオンド・マルトノを好むのは先生のオネゲルの影響である。一方、ミクロス・ローザは「テレミン」を好み、弟子のエルマー・バーンスタインもその影響でこの楽器を使う。というわけで、現在、ハリウッドでテレミン/オンド・マルトノが大変よく使われるのは、元をたどればオネゲルの門下から発した、ということだろうか。
鑑賞の手引きとして、筆者の主観で★による5段階評価を付けています。
最高は★★★★★、最低は★。
オネゲルが映画の世界に入ったのは、劇的オラトリオ「ダヴィデ王」(1921)の成功で作曲家としての名声を手に入れて間もなくの、1922年のことだった。
この年、彼は偉大な映画監督アベル・ガンスと出会った。
映画監督アベル・ガンスはフランス映画の父の一人で、1915年『潜望鏡 (展望鏡)』から1943年『フラカッス船長』に至るまで革新的な映画作りを続ける。
アベル・ガンスが『鉄路の白薔薇』のアイデアを得たのは、妻イダ・デニス (Ida Denis) が結核と診断されたその日だった。
1922年を製作に費やし、映画はプロローグと6つのエピソードから成る10,730m、上映時間8時間32分という超長尺ものとして完成した。しかしあまりにも長すぎるため、一般公開用に、プロローグと4エピソードから構成される9,200mの上映時間5時間ちょっとのヴァージョンに短縮され、1923年2月17日に公開された。
それでも長いため、ガンスは編集を続けた。32巻、2時間半の再編集版 (4200m) が完成したのは1924年の4月9日だったが、その数時間前、妻デニスは亡くなっていた。
オネゲルは『鉄路の白薔薇』の仕事を「習作」と述べているが、実際にそれは試行錯誤の連続だったろう。
そのスコアで唯一残っているのは、中規模オーケストラのための4分ほどの序曲だけである。残りは想像に委ねるほかないが、おそらくはオネゲル自身の作品と既成クラシック音楽の混在したスコアを作ったのだろう。そこには当時彼がパテのニュース映画(Pathe-Journal)のために書いた音楽も転用されたと思われる。
自筆譜には全てのキュー(場面に応じた音楽断片)に、映画の場面に関連したタイトルが付けられている。
「エルサン (Hersan) −蒸気機関車 (Locomotive) −シジフ (Sisif) −ノルマ (Norma) −機関車 (Locomotive) −円盤 (Le disque) −信号 (Signal) −線路(未完成スケッチ) (Rail) −車輪 (Roues) −台詞 (Les textes) 」
という具合である。
『鉄路の白薔薇』プレミア上映でオネゲル自身がスコアを振ったかどうかは定かでない。しかし、シネピュピトル(Cin pupitre)がフランスに紹介された折り、音楽と映画を同期させる装置はカール・ロバート・ブルム(Carl Robert Blum)のリトモノーム(Rhytmonome)に似ていたことが分かっている。
序曲はいくつかの部分からなる。
重々しい序奏に続き、ファゴットとクラリネットが絡む穏やかな楽想が続く。
推移部を経て、低弦の律動でファゴットが呑気な歌を歌う部分となるが、すぐに加速し、重い緊迫した高潮の中、メイン・テーマの一つが提示される。
うって変わって、クラリネットとフルートが新鮮で叙情的な主題を提示するが、これはのちに、『ナポレオン』組曲の最初の曲でも使用される。
後半では翌年の「パシフィック231」(1923)で使われることになる蒸気機関の主題と律動モティーフが現れる。
まずリズミックな主題が6小節奏されるが、これは「パシフィック231」でクライマックスを築く主題の原型である。
次の12小節はオーケストレーションが未完成なまま残されているが、機関車の音を模倣した描写的表現の部分である。この音型も「パシフィック231」最初の部分で利用されている。
この序曲をマルコ・ポーロ・レーベルに録音した音楽家アドリアーノは、アルテュール・オエレの承認を得て、前半6小節から後半への移行のための1小節を加えている。
オネゲルは翌年1923年、この映画の音楽を素材にして「パシフィック231」という優れた管弦楽曲を仕上げた。曲名は前輪軸2本、動輪軸3本、後輪軸1本のパシフィック型蒸気機関車を意味し(日本の「D51」のような型式番号)、機関車が疾走するダイナミズムを音で描いた傑作である。オネゲルの作品の中では最も親しみやすいこの力作、6分程度の短い曲なので、ぜひ聴いて頂きたい。
ナポレオンの少年時代からイタリア遠征での勝利までを描くサイレント映画の超大作 (1926年製作)。
これはアベル・ガンス監督の最高傑作であるだけでなく、無声映画史に燦然と輝く記念碑的作品である。
映画は6部構成、上映に12時間かかるという長大な叙事詩である。
製作には4年を要し(1923-27)、最初のエピソードだけで約1700万フランの莫大な製作費が投じられた。
製作陣にも当時のフランス映画界の総力が結集された。
助監督にはすでに名声を得ていたアレクサンドル・ヴォルコフ、ヴィクトル・トゥルヤンスキー、アンリ・クロースが抜擢された。
撮影には『鉄路の白薔薇』以来の名カメラマン、レオンス=アンリ・ビュレルの他、1930年代に活躍するジュール・クルージェ、ロジェ・ユベールが集められた。
出演は、主演のナポレオンに舞台俳優・小説家のアルベール・デュードネ、その妻ジョゼフィーヌに1930年代の大スター、ジナ・マネスが扮した。マラーにはシュルレアリスムの詩人アントナン(アントワーヌ?)・アルトー、悲劇の王妃マリー・アントワネットには、その名を冠した女優賞が残された大女優シュザンヌ・ビアンケッティ、そしてガンス自身がサン・ジュストに扮した。その他にもアレクサンドル・クービッキー、アナベラ、ダミア、ピエール・バチェフ他が出演した。
映画は、ナポレオンの幼少期−−学校の雪合戦のリーダーとして活躍−−から、イタリア侵略軍の司令官として任命されるまでを扱っている。アジャッチオ (Ajaccio) での誕生、トゥーロンでの戦い、革命のパリなどが描かれる。ナポレオンのヨゼフィーネの恋の喜劇的・詩的な詳細な描写があり、やがて三画面で表示されるイタリア遠征の大団円へと導かれる。
カメラは伝統的機能を離れ、ドラマの一員となった。いくつかの場面ではカメラは馬の背に載せられ、またあるシーンでは揺れるクレーンに取り付けられたカメラで撮影された。
また、上映は「ポリヴィジョン (Polyvision) 」または「トリプル・エクラン」と呼ばれる3台の映写機を利用したシネマスコープ方式で行われた。これは、「ナポレオンの個性の三つの側面---即ち、@ 肉体、A 心、B 感情を表現するなら3連画面がよい」というガンスの考えによる。3スクリーン上映は観客を大画面で圧倒し、シネマスコープの先駆となった。時にはそれらのスクリーンがさらに分割され、全体と細部が同時に写されて効果を上げた。最後の場面では3画面がフランス国旗の3色に色付けされている。
オネゲルは、この大作にふさわしい充実した音楽を書いた。しかもそれは必要以上の重厚さを避けた、新古典的とも言えるスリムで経済的な、すっきりした表現の、実に効果的なスコアだった。
しかし、ガンスの絶え間ない編集と再編集はオネゲルを激怒させた。最後には彼はピットから去り、指揮は有能なJ. E. Szyferの手に任された。
映画のプレミア公開は1927年4月7日、パリのオペラ・コミック座で行われた。最後の皇帝の演説は、観客の中に位置した役者が画面に合わせて喋った。交響管弦楽団が丸ごと雇われ、4時間の上映の間演奏した。
この初演の時に用いられたオリジナルのキュー・シートを再構成することは、もはや不可能である。しかしその音楽はオネゲルのオリジナル音楽に加えて、オネゲルの他の分野の作品、あるいは他の既成クラシック音楽、現代の音楽、それにポピュラー音楽や伝統音楽などから構成されていたと思われる。
この映画の音楽に対する批評は、意外に冷たいものであった。1927年当時のパリの評論家は、スコアを「雑音」と呼んだのである。
当時の映画音楽が置かれていた状況---即ち、シンクロナイゼーションの技術的な難しさや、映画音楽に二次的な重要性しか与えられなかった点、さらに、当時の映画音楽の目的が、映写機の騒音を押さえたり、映画館のよどんだ空気を少しでも改善するためだったこと等を考慮すれば、長時間の音楽にうんざりした観客の消極的反応も理解し得る。
公開後、オネゲルはこの映画のスコアを8曲から成る管弦楽組曲 (Suite d'orchestre) に編んだ。
その手書きスコアは、「栄光の乞食」の完全版を除いて全て作曲者の自筆譜である。
自筆譜にも印刷譜にも誤りや省略があり、双方矛盾した点も少なくない。オネゲルの自筆譜もパリの初演で用いられたものかどうか定かではないが、以下の解説ではそれに従う。
『ナポレオン』が1927年に公開された時、すでにトーキーが広まりつつあった。この映画はヒットには至らず、製作費を回収することもできなかった。7年後の1934年、ガンスは音を付けて再公開した(音楽はオネゲル)が、忘却の彼方に沈んでゆくことを止めることは出来なかった。
しかし、最近になってようやくこの大作の真価が認められるようになった。
1979年、ケヴィン・ブラウンロウ(Kevin Brownlow)は、23年かかって仕上げた版で『ナポレオン』をコロラドでリヴァイヴァル上映した。この5時間13分もかかるヴァージョンは、ガンスの製作意図に最も近いものと言え、電子ピアノの音楽伴奏が付いていた。
1980年にはロンドンのエンパイア劇場で、カール・デイヴィスによるクラシック音楽を編曲した新しい管弦楽スコアの伴奏で上映された。
1981年にはアメリカで、フランシス・フォード・コッポラがわずかに短縮したヴァージョンが、カーマイン・コッポラのスコアと共に上映された。しかし、音楽・映画通の間では、のちにレコード化されたカーマイン・コッポラの音楽より、カール・デイヴィスのスコア(同じくレコードで聴ける)の方が効果的でガンスの意図と調和していると言われる。
1934年に完成されたこの映画は、それぞれ90分ずつの3つのエピソードからなる。
第1部「ジャン・バルヂャン」、第2部「コゼットの恋」、第3部「青年マリウス」である。
映画は1934年3月にフランスで公開された。
のちに監督は縮めて一つにまとめたが、その際オネゲルの音楽も一部カットされた。
オネゲルの自筆譜には23のキューが含まれていた。オネゲルはミクロス・ローザの勧めでこれを交響組曲 H.88A に編曲した。作曲者自身、これを「第1」組曲と呼んでいるので、映画のための残りの音楽からさらなる組曲を作る気でいたのだろう。
組曲は写譜担当者用の版で残っているのみである。これはおそらく作曲者の指示で作られたものだろう。楽器編成はサキソフォーン、ピアノ、ハープ、打楽器などを含むが、コントラバスは除かれている。
これは、映画音楽としても、また純粋に音楽としても、大変に画期的なスコアである。
まず第一に、これはアニメーション映画のための音楽である。アニメの音楽としては、恐らく最初期の部類だろう。
次に、1928年に一般公開されたばかりの電気楽器オンド・マルトノが使われている。オンド・マルトノを使用した映画音楽は、恐らくこれが最初であろう。映画のスコアだけでなく、音楽作品にオンド・マルトノが使われた最初の例の一つでもある。オネゲル自身、この映画や『罪と罰』(1934) で試した後、劇的オラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」 (1934-35) のような演奏会用作品に用いている。
さて、オネゲルはアニメ映画の音楽をこれともう一本、『カリスト<未>』 (1943) のために書いているが、この『理念』の方はアニメと言っても、一風変わった実験的作品である。
ジャン・ルノワールなどの監督と一緒に仕事をしていた特技監督にベルトルト・バルトーシュ (Bertold Bartosch) という人物がいた。彼は、ベルギーの表現主義の画家フランス・マズレエル (Frans Masereel, 1889-1972) の木版画をアニメ化した。
マズレエルは徹底した反戦主義者・反ブルジョワ主義者で、その木版画にも弱者抑圧に対する強烈な批判が込められている。
映画では、マズレエルの木版画83枚をもとに、木版画に刻まれた裸の女性が、戦争やあらゆる抑圧に抵抗する不滅の自由という"理念"のシンボルとして、様々な冒険を繰り広げる。
この画面にオネゲルが付けた音楽が、大変優れている。
スコアは、オンド・マルトノ、ピアノ、フルート、クラリネット、アルト・サキソフォン、ファゴット、トランペット、トロンボーン、打楽器(2人)と弦楽四重奏の計14人の奏者のために書かれている。
スコアは25分の長さで、画面の"理念 (イデー)"に対応する主題が、イデーの冒険に合わせて変化するという構成で、見聞きするものを飽きさせない。
序奏に続いてオンド・マルトノ独奏で39小節の長きに渡って提示される"イデー・フィクス (固定楽想)"が、映画の"イデー"に対応するライトモティーフである。瞑想的で美しい主題である。オンド・マルトノの音色の魅力を十分に生かし切っている。
ピアノのスタッカートに乗ってファゴットが登場し、展開が始まる。オンド・マルトノはグリッサンドで密やかに絡む。弦が加わり、速度が増すと、緊迫したトレモロが続くが、すぐにトランペットとトロンボーンの葬送行進曲になる。ファゴットの悲しい節に、独奏ヴァイオリンはイデーの変形で絡みつく。
今度はジャズの律動に乗り、サックスとミュートしたトランペットがミヨーのバレー音楽「世界の創造」を彷彿とさせるダンスを踊り出すが、長くは続かず、足取りは再び重々しくなる。
葬送行進曲風の部分が終わると、管楽器がスタッカートで何やら陰険な音型を点描し始める。オンド・マルトノは不安げに顔を上げる。"ジャズ"部分が唐突に再現され、別のオスティナートを挟みつつ、次第にテンポが上がってくる。
緊迫が頂点に達すると、トランペットが軍歌調の行進曲を悲愴に吹く。並行してオスティナートが悲劇的に盛り上がる。
唐突に静まり、弦楽四重奏によるエモーショナルな音楽が流れる。トランペットが夕陽を背景に讃歌を奏でるようにイデーを吹くと、クラリネットを中心にやや滑稽な行進となる。すぐにトランペットとトロンボーンによる鈍重なタンゴとなり、穏やかな曲調に移行して、オンド・マルトノのイデーが復帰する。こうして平和で穏やかな、美しい終結を迎える。
1935年、舞踊家 Esa Darciel はブリュッセルでこの『理念』をバレー化し、オネゲルとサティの音楽を使って踊ったことが記録されているが、使用されたオネゲルの音楽というのが、この映画のスコアだったかどうかは残念ながら明らかでない。
これはオネゲルの最も長大で最もエキサイティングなスコアの一つである。
1930年、世界の最高峰ヒマラヤ連峰への初登頂が成功すると、さっそく記録映画『神々の玉座(Thron der Götter)』が作られるなど、映画界でも話題になった。
ドイツ映画界も、ギュンター・オスカル・ディレンフルト(Günter Oskar Dyrenfurth)教授の世界第3の高峰カンチェンジュンガへの登攀を再現するスペクタクルな映画の製作に入った。ディレンフルト教授は監督アンドリュー・マートン(Andrew Marton)と組んで、虚実取り混ぜたドラマティックな山の映画を撮ろうと考えた。1934年の登頂のメンバーは映画俳優として契約し、俳優グスタフ・ディースル(Gustav Diessl)は登山家として契約した。室内場面は後でベルリンのグルーファ(Grufa)・スタジオで撮影された。
あらすじはこうである。---民族学者ノルマンは山の悪魔カリ・マータ(Kali Mata)の仮面に取り憑かれる。この精霊は普通の人間がティベットの神々の意志に反してヒマラヤに登るのを妨げていた。しかしノルマンはヴィレ教授(ディレンフルトその人が演じる)の登山隊に参加し、家に残された婚約者アンナは仮面を粉々に砕くことでその呪文を破る。もう一人の女性、教授の妻エレンは登山隊をWhite Deadから護る。恐ろしい嵐(その場面のいくつかは後でスイスのユングフラウ峰で撮られた)と悪魔の登場の後、ノルマンは倒れ、ラマユルの仏教寺院で目覚める。そこで彼は仲間が勝ち誇って「黄金の玉座」に到達している幻を見る。
この映画のスコア第1部「吹雪」では、オネゲルは極めて興味深い実験を行った。
スコアには、自筆譜と、写譜担当者が作成した楽譜の両方が残っているが、妙なことに、オネゲルの手稿の「吹雪」の楽章には参照番号が逆さまの順序で付けられており、打楽器パートでは空白箇所からスラーが始まっている。
さらに不思議なことに、写譜された楽譜では、オネゲルの自筆譜が逆から (つまり終わりから始めに向かって) 書かれている。
どういうことか?
どうもオネゲルは、普通に録音したテープを、サウンドトラックでは逆回転で編集再生しようと考えていたらしいのである。
実際、オネゲルはこの手法を『霧笛(Rapt)』(1934)で既に試みている。
但し、録音逆転のアイデアは製作途中で浮かんだアイデアだと思われる。なぜなら、写譜された反進行モード(恐らくオリジナル・サウンドトラックを指揮したレオン・ボシャール(Leon Borchard)が写譜したのだろう)では、ライトモティーフを金管が演奏する際、3連符の前打音をうまく演奏できないからである。
いずれにせよ、このような大管弦楽を用いた音楽が逆再生されたら、とてつもない耳障りな雑音を生んだであろう。当時の幼稚な録音技術を考えればなおさらである。
スコアの楽器編成は、サキソフォン2、トラウトニウム (ドイツ版オンド・マルトノと言うべき電子楽器) 、ピアノ、ハープ、打楽器、それに歌詞のない女声合唱を要する。ホルンの代わりにサキソフォンが入っているのは、並行して書かれた「火刑台上のジャンヌ・ダルク」と同じである。
サウンドトラック録音はボシャール指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で行われた。
これは間違いなく当時の最高の映画音楽の一つであった。
マートンは後にハリウッドに渡り、第2ユニット監督を務める (『ベン・ハー』や『史上最大の作戦』のアクション・シーンの演出で有名) が、その時『ヒマラヤの悪魔』(1935)の余ったリールをフランク・キャプラ監督に売った。キャプラはそれを『失はれた地平線』(1937)で用いた。
1951年にはコロムビア映画がマートンに『ヒマラヤの悪魔』を焼き直した『ティベットの嵐<未> (Storm over Tibet)』 [別名『ヒマラヤの仮面(Mask of the Himalaya)』] を作らせた。音楽もオネゲルのものが使われ、追加スコアはレイ・スティーヴンス(Leith Stevens) (ジョージ・パル監督『宇宙戦争』などアメリカのSF映画の音楽で知られる) が書いた。
残念ながら、『ヒマラヤの悪魔』も戦後のリメイク『ティベットの嵐』もフィルムが残っておらず、音楽がどのように使われたかは分からない。
ドストエフスキーの原作をピエール・シュナールが脚色・監督したこの映画は、シュナールの名を一気に高めた名作である。
台詞を小説家マルセル・エーメが担当し、若きピエール・ブランシャール (Pierre Blanchar) が原作から抜け出してきたような理想的な主人公ラスコリニコフを演じ、アリ・ボー (Harry Baur) がポルフィーリ、マデレーヌ・オゼレ (Madeleine Ozeray) がソニアを演じた。これら名優の熱演や、独特のカメラ・アングルで表現派風のスタイルを生み出したシュナールの演出、そしてオネゲルの近代的な音楽と相まって、公開当初から名画の誉れが高い。演技が今でも古びていないことは驚くべき事である。
映画の内容の高さに伴って、オネゲルの仕事も充実したものとなっている。彼の映画音楽のベストの一つと考える人も少なくない。
スコアは13の部分から成るが、6つのライトモティーフにより見事に統合されている。
暗い雰囲気は『ああ無情』(1933)によく似ており、渋い中低音を強調した小編成で、ライトモティーフを積み重ねて緊張感を増していく手法も共通している。だが、オネゲルは『イデー (理念) <未>』 (1934) に引き続きオンド・マルトノを使用しており、それによって音色の変化が図られている。
以下はアドリアーノがマルコ・ポーロ盤に録音した組曲に基づく。
1935年から1936年にかけて、オネゲルはアナトール・リトヴァク監督と仕事をした。
ロシア生まれでオーストリアを経由してフランスにやってきたリトヴァクは、やがてハリウッドへ去ってゆくのでオネゲルとの仕事もたった2本しか残さなかったが、いずれも秀れたものである。
『最後の戦闘機(L'Equipage)』(1935)では、フランスの監督が苦手としていた空中戦の場面で、迫力ある映像を見せた。だが、この映画に付けられたオネゲルのスコアは失われてしまった。
従って、オネゲルのスコアが残されているリトヴァク映画は、翌年の『うたかたの戀』(1936)のみである。
リトヴァク版『うたかたの戀』は、マックス・オフュルス (Max Ophüls) の映画ほどの成功は収められなかった。シャルル・ボワイエとダニエル・ダリュー (Danielle Darrieux) はミス・キャストだし、演出も納得の行かないものだった。
オネゲルは映画のスコアから4曲から成る組曲を編み、エコー出版(Editions Echo)社から出版した。この出版社は一連の映画音楽のスコアを一般に普及しようという意図を持っていたようだが、残念ながら倒産した。
組曲の各曲はすべてそれぞれのサウンドトラックに対応している。
1936年、クルト・ロンドンが名著『映画音楽』(1936)を出版するが、その中でオネゲルは、フランス現代映画音楽界の真の指導者と賞賛されている。
代表作の劇的オラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」が書かれたのも同じ頃で、オネゲルは最も脂がのっていた。
この頃書かれた映画スコアが、『二番芽』である。
ジャン・ジョノ(Jean Giono)の小説を原作とするマルセル・パニョル監督の注目すべき映画で、プロヴァンスとその住民への一種のオマージュである。
オビニャン(Aubignane)の荒廃した村に、密猟者とキャバレーの踊り子が力を合わせて繁栄を取り戻す話である。パンテュール(Panturle)は踊り子を刃研ぎ職人ジェデミュ(Gédémus)のもとから連れ去る。彼は単純だが気はいい男で、踊り子が炭焼き職人たちの何人かに犯された時に救いだし、連れ帰っていた。彼のアルシュル(Arsule)への愛は彼の忍耐や正直な労働の推進力となっている。
出演はフェルナンデル(Fernandel)、ガブリエル・ガブリオ(Gabriel Gabrio)、オラーヌ・ドマジ(Orane Demazis)。
オネゲルの音楽は霊感に満ちており、他のどの彼の映画音楽よりも変化に富んでいる。
手書き譜とサウンドトラックを比較すると、多くの曲が大胆にカットされたり用いられないだけでなく、もともと想定されたのと異なる場面に転用されているのもある。
楽器編成で、アルト・サキソフォンが重要な役を果たしているのは、他のオネゲルの映画音楽と同じである。ピアノと打楽器の増強(スレイ・ベル、ガラガラ、小太鼓など)も同様だが、ホルンが欠如しているのは珍しい。
オネゲルはこのスコアを2つの交響的組曲 H.117A に編曲した。
組曲は出版されることはなかったが、フランスの出版社を通じてフォトコピーの形で使用可能だった。第2組曲は映画では種々にカットされた小品から成っている。
第1組曲
英雄的なライトモティーフが随所に聴かれる。絵画的な季節の音楽や、村から村へ渡り歩く研ぎ師を性格付けるポルカなどが配されている。
第2組曲
有名なフランス人飛行家ジャン・メルモ(Jean Mermoz)の伝記映画 (1942年)。
スコアは、オネゲルの映画音楽の中でも最も輝かしく、最も大胆かつ実験的な作品の一つである。
楽器法は、通常の管弦楽の他にピッコロ、サキソフォン、ピアノ、打楽器の増強を要求している。
オネゲルはこの映画のスコアから2つの管弦楽組曲 H.167A を編曲した。これは映画の二つの主要なエピソードから主なキューを選び出し、それぞれを一つの楽章にまとめたものである。
どちらにも英雄的なメイン・テーマが提示されるが、曲はその動機的な展開で発展するのではなく、変転する楽想をつないでゆくことで緊迫した雰囲気を維持する。
両曲とも、その中間部でクライマックスを形成し、人間のヒロイズムと自然との闘争を描くが、「アンデス山脈横断」の暗雲と言い、「大西洋横断飛行」の嵐と言い、それらはオネゲル独特の個性的なイディオムで描かれており、「テンペスト」前奏曲 (1923) の即物主義的な粗暴な不協和音はもう姿を見せない。
組曲の楽器編成は、サキソフォンを含む木管は一本ずつ、トランペットとトロンボーンは2本ずつ、それにピアノ、打楽器、弦という構成である。
<未>=日本劇場未公開 (邦題は直訳)
<TV>=日本劇場未公開・テレビ放映時邦題
<VD>=日本劇場未公開・ビデオ発売時邦題
「H.」はアリー・アルブレーシュ(Harry Halbreich)による作品リスト番号(1992)
<1922>
<1924>
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<1934>
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<1943>
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