1990年代の新生ディズニー・アニメの音楽を一手に引き受け、稼ぎ頭の一人に名を連ねている超売れっ子作曲家、メンケン。
しかし彼は長い下積みを経験した苦労人でもありました。だからこそその音楽は人を魅了して止まないと言えるでしょう。
「チャレンジ」という言葉を好むメンケンの歩みと、創作の秘密を探ってみましょう。
アラン・メンケン(Alan Menken)は1949年7月26日、ニューヨーク州に生まれました。
少年時代からクラシック音楽を学び、大学を卒業後、舞台音楽の作曲家を目指しました。
1979年には最初のミュージカルを上演します。しかし、内容的にはともかく興行的には失敗します。
その後はCMソングなどを手掛けながら、1982年、ミュージカル「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」でようやく脚光を浴びました。
これは、B級映画の王者ロジャー・コーマンが二日間の撮影で完成させたという伝説のブラック・コメディ『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ(The Little Shop of Horrors)』<本邦VD発売>を下敷きにした風変わりなミュージカルでした。
「何とか世間に認められたくて、オフ・ブロードウェイで、もがき苦しみながら作り上げたんだ」と彼は語ります。「あの作品が分岐点だった。」
(このミュージカルが映画化された際には、メンケン作曲の「Mean Green Mother From Outer Space」がアカデミー主題歌賞にノミネートされました。)
間もなく、次の、そして最大の分岐点がやってきます。それは1989年、ディズニー(ブエナ・ヴィスタ)と専属契約を結び、作詞家ハワード・アシュマンとのコンビで長編アニメ映画『リトル・マーメイド(The Little Mermaid)』(1989)を書き上げた時でした。
この作品でメンケンはいきなりアカデミー主題歌賞・オリジナル作曲賞を取ってしまいます。
それからは今に至るまで連戦連破です。
続くアニメ『美女と野獣(Beauty and the Beast)』(1991)は、前作を凌ぐ大ヒットで、またもやアカデミー主題歌賞・オリジナル作曲賞のダブル受賞でした。
その翌年のアニメ『アラジン(Aladdin)』(1992)でも、メンケンは、アカデミー主題歌賞・オリジナル作曲賞の2年連続ダブル受賞という驚くべき記録をうち立てました。破竹の勢いとはこのことでしょう。
その後、アニメ以外の仕事で気分転換を図り、1994年からは再びディズニー・アニメで活躍し始めます。
『ポカホンタス(Pocahontas)』(1994)は心温まるメロディーを聴かせ(アカデミー賞のオリジナル作曲(ミュージカル・コメディ)賞と主題歌賞を受賞)、代わって『ノートルダムの鐘(The Hunchback of Notre Dane)』(1995)ではオペラにも似た壮麗な音響絵巻が繰り広げられます。
曲の着想を「ひらめき」に求めることを嫌い、「朝10時から夜6時まで仕事場のピアノに向かう」という職人気質の彼は、二人の娘の父でもあります。
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