ベルリン時代
1906年12月24日、ドイツ領シレジア地方(現ポーランド領)のユダヤ系ビジネスマンの家庭に、7人兄弟の末っ子として生まれたフランツは、幼い頃から音楽の才能を示しました。 父親には銀行マンになれと言われましたが、音楽への情熱止みがたく、16歳から銀行の出納係として働きながら給料をはたいて音楽の勉強を続け、2年半後には銀行を辞めてドレスデン、次いでベルリンの音楽院に入りました。 同時に、生活のためにカフェでジャズや軽音楽を弾くようになりますが、この経験はのちに映画音楽で大変に役立ちました。
間もなく彼は、当時ヨーロッパで人気のジャズ・バンド、ヴァイントラウプ・シンコペーターズのピアニストになりますが、これが縁で作曲家フリードリヒ・ホレンダー(フレデリック・ホランダー)と知り合います。 ホランダーと言えば『麗しのサブリナ』(1954)の作曲者として御存知の方も多いと思いますが、当時はキャバレーやレヴューのために歌を書いて注目された新進作曲家で、ヴァイントラウプ・シンコペーターズのためにも曲を書いていたのでした。
ホランダーはワックスマンに様々な音楽家を紹介してくれ(その中には大指揮者B.ワルターがいた)、さらには映画音楽の世界に導いてくれました。トーキー時代の到来と共にドイツ最大の映画会社ウニフェルズム映画社(UFA)はミュージカル映画制作に乗り出し、1930年にホランダーと契約を結びますが、その時ホランダーは、プロデューサーのE.ポンマーを説得して編曲と指揮にワックスマンを起用させたのです。 こうして作られたのが『嘆きの天使(Der Blaue Angel)』(1930)で、主演女優マレーネ・ディートリヒが歌うホランダー作曲の「また恋に落ちて(Falling in Love Again)」は世界的ヒットとなりましたが、その裏でジャズ風の演奏をしているのはワックスマン率いるヴァイントラウプ・シンコペーターズなのです。
ワックスマンの才能に注目したUFA(ウーファ)の制作部長ポマーは、1933年にフリッツ・ラング監督作品『リリオム』のスコアを彼に頼みます。 出来上がったのは電気楽器と人間の声を使った前衛的な音楽で、注目を集めました。
アメリカへの亡命とユニヴァーサル時代
順調な出だしを見せた彼のキャリアは、ナチスの台頭で突然断ち切られてしまいます。
1934年始めのある日、新婚ほやほやのワックスマンはベルリンの街頭でヒトラーの崇拝者たちにひどく殴られます。 ワックスマンがユダヤ人だからでした。もはやこの国は自分たちの生命・財産を守ってくれない−−そう直感した彼は、妻と共に急いでパリへ移ります。 そこへ、カリフォルニアのフォックス映画社にいるポマーから、ハリウッドへ来ないかという誘いがありました。 ポマーはジェローム・カーンのミュージカル「空中の音楽」を映画化する予定で、音楽監督を探していたのです。
こうしてワックスマンはハリウッドにやってきました。 完成したミュージカル映画『空飛ぶ音楽』(1934)は芳しからぬ結果に終わりましたが、ハリウッドには他にもビリー・ワイルダーらUFA時代の同僚がおり、そう暮らしにくい場所とは感じなかったようです。
1934年の大みそかパーティーの席上、監督のJ.ホエールがやってきて、制作中の『フランケンシュタインの花嫁』(1935)への作曲を依頼しました。 ホエールは『リリオム』のサウンドに感嘆していたのです。そしてモンスター映画の音楽の古典的名作スコアが生まれました。 緻密なテクスチュアで書かれた管弦楽パートにテレミンのような電気楽器が絡み、色彩的なオーケストレーションとダイナミックな音楽の流れが異様な迫力を醸し出すこの曲は、怪物の哀れな運命に対する悲壮感すら漂わせた、紛れもない傑作です。
『フランケンシュタインの花嫁』の成功で、ワックスマンはユニヴァーサル映画社の音楽部長に昇格します。 しかし管理より作曲の仕事を好んだワックスマンは、2年後にユニヴァーサルをやめ、純粋に作曲家としてMGMと7年契約を交わしました。 時に1937年、ワックスマン30歳の頃のことです。
MGMとワーナーでの活躍
MGMにいた間は年平均7本の映画音楽を書き、また時々、大物プロデューサーのデイヴィッド・O・セルズニックに“貸し出され”ました。 セルズニック作品のうち『心の青春(The Young at Heart)』(1938)はアカデミー音楽賞と同作曲賞の2部門にノミネートされたし、ヒッチコック監督の『レベッカ』(1940)のロマンティックな音楽も3度目のアカデミー賞ノミネートを受けました。
1943年、彼はMGMを去ってワーナー・ブラザーズへ移ります。 この頃のワーナーにはコルンゴルトやスタイナーもおり、正にハリウッド音楽の絶頂期を象徴する豪華な陣容が集まっていたわけです。 ワックスマンもワーナーでの仕事は楽しかったようで、内容的にも優れたものが多く作られました。『Destination Tokyo』(1944)、『愛の終焉(Mr.Skeffington)』(1944),『Objective,Burma!』(1945)、『The Pride of the Marines』(1945),『ユーモレスク(Humoresque)』(1947)、『失われた心(Possessed)』(1947)等、いずれも豊かでドラマティックなスコアです。
なお『ユーモレスク』では、主人公のヴァイオリニストが、ビゼーの歌劇「カルメン」の主題を使った技巧的な曲を弾きますが(サウンドトラック演奏は有名なアイザック・スターン)、これは前年にワックスマンが世界的ヴァイオリン奏者ヤッシャ・ハイフェッツのために書いた「カルメン幻想曲」を転用したものです。「カルメン幻想曲」はハイフェッツの独奏でRCAヴィクターに録音され、今でも時々演奏会やレコードのプログラムを飾っています。
フリーランサーとしての活動
1947年、ワックスマンはもっと自由な音楽活動を求めて、特定のスタジオとの契約をやめ、フリーランスの作曲家になります。 同時に、ロスアンジェルス国際音楽祭を開催して西海岸の音楽レベルの向上を計りました。 音楽祭は彼の死まで20年間も続けられ、プログラムには大作曲家の有名曲の他、ストラヴィンスキー、ウォルトン、ヴォーン・ウィリアムズ、シェーンベルクら現代の作曲家の主要作品のアメリカ初演や世界初演も行われました。
映画音楽の方は絶好調で、『サンセット大通り』(1950)と『陽のあたる場所』(1951)は2年連続アカデミー賞受賞という偉業を成し遂げました。
この頃の彼の作風は、それ以前の鮮やかでロマン情緒たっぷりという書き方から、暗い影を宿す音楽に変化しました。『サンセット大通り』でのロマンとモダンを同居させたような書法、『陽のあたる場所』の、ジャズのイディオムを巧みに管弦楽と融合させながら、青春のやるせない情熱と狂気を美しいメロディと切迫した音楽で描き出すスコアあたりがその典型です。
音楽のスタイルの幅も広がりました。1954年の2作品はいい例で、冒険映画『炎と剣(Prince Valiant)』ではきらびやかなロマンティック・スコアが惜しげもなく展開されているかと思えば、宗教スペクタクル『銀の盃(The Silver Chakice)』は深い内省的な音楽で、フィナーレはあたかもワーグナーの「パルジファル」のようです。
そして、1957年の3作品、『翼よ!あれが巴里の灯だ(The Spirit of St.Louis)』『青春物語(Peyton Place)』『サヨナラ(Sayonara)』(1957)と、1959年の『尼僧物語(The Nun's Story)』は、ワックスマンの映画スコアの頂点と言われています。 特に『尼僧物語』は、映画・映画音楽評論家トニー・トーマスに言わせれば「映画音楽芸術の勝利とも言うべき作品」で、アカデミー作曲賞にノミネートされましたが、運悪く映画界の記録破り『ベン・ハー』とかち当たったため、惜しくも敗れ去りました。
彼の最後の大作は『隊長ブーリバ(Taras Bulba)』(1962)です。 これはトーマスに言わせれば「スペクタクルとして制作されたくずのような」駄作で「作品の価値はスコアのみにある」のですが、確かに音楽は雄大で迫力があり、オスカー・ノミネーションを受けたのも当然でしょう。なおワックスマンは直前にソ連に演奏旅行に行っており、その時訪れたウクライナの中心都市キエフの印象が強く、そこで聴いたロシア音楽が『隊長ブーリバ』にも反映されている、と自ら述べています。
4年後の戦争アドヴェンチャー『名誉と栄光のためでなく(Lost Command)』の音楽が、事実上彼の最後の映画音楽になりました。他に、『The Longest Hundred Miles』にも音楽を付けたらしいのですが、映画が余りに退屈で劇場配給が中止されたため、音楽もお蔵入りとなってしまいました。
1967年2月24日、ワックスマンは癌のためにロスアンジェルスで死去しました。 享年60歳、創作活動のピークで、多くの映画関係者及び音楽ファンに惜しまれました。
なお彼の息子ジョン・W・ワックスマンは映画音楽のオリジナル・スコアのレンタルをやっていることで業界には知られています。 彼のリストの中には、当然とは言え、ワックスマンの作品が異様に多いそうです。
=推薦CD=
ワックスマン作品集 (The Classic Film Scores of Franz Waxman)
C.ゲルハルト指揮ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団 RCA RD87017 [13トラック 68:51]
まずはこれを買うこと。収録曲は『炎と剣』組曲、『青春物語』メイン・タイトル、『陽のあたる場所』組曲、『フランケンシュタインの花嫁』1曲、『サンセット大通り』組曲、『レベッカ』組曲、『フィラデルフィア物語』組曲、『隊長ブーリバ』1曲ほか……と主要なところを押さえています(ライナー・ノートは息子ジョン・ワックスマン執筆)。オリジナル・スコアに基づく演奏は、めちゃうま! 『炎と剣』『青春物語』の色彩感、『フランケンシュタインの花嫁』のキワモノ的な音作りの立体感、『Objective,Burma!』の迫力、『レベッカ』のとろけるようなロマンティシズムなど、各曲の描き分けも見事ですが、『サンセット大通り』の表現主義的な響きや、『陽のあたる場所』でのシンフォニック・ブルースの盛り上げ方などには思わず息を飲みます。そして締めくくりは『隊長ブーリバ』の「ドゥブノへの騎行」の、オケの名人芸的なうまさが極度に発揮された白熱の演奏で!
ハリウッドの伝説/ワックスマン作品集 (Legends of Hollywood/Franz Waxman) 第1〜3巻
リチャード・ミルズ指揮クィーンズランド交響楽団
VARESE SARABANDE Vol.1:VCD-5242; Vol.2:-5257[9トラック 70:01]; Vol.3:-5480 [8トラック 68:38]
わたしゃ驚いた、こんな素晴らしいCDが出ていたなんて! 第1巻には『機動部隊』『Objective,Burma!』『青春物語』『愛しのシバよ帰れ』『私は殺される』など、第2巻には『女海賊アン』『我は海の子』『シマロン』『赤い砦』『尼僧物語』『流刑の大陸』『失われた心』『ミスタア・ロバーツ』『フランケンシュタインの花嫁』など、第3巻には『巨象の道』『The Furies』『Destination Tokyo』『Mr.Skeffington』『銀の盃』等が入っています。どの曲も豊富なハーモニー、色彩的なオーケストレーション、緻密な対位法などで仕上げられた名品ぞろいです。しかも演奏が実に素晴らしい。演奏者は無名ですが、アンサンブルは言うことなし、その上、つやと輝きとスケール感があり、木管のソロ一つにも滴るような情感がこもっていて、絶品です。録音のすごさも特筆すべきで、ホールの美しい残響を捉えていながら、各楽器の分離も良い。
活劇が多い第2巻はオケが壮大に鳴り響く快感を味わえるし、『尼僧物語』の雄大で感動的なスコアが聴けるのもメリット。第3巻の『銀の盃』なども必聴で、3巻全部揃えたいところですが、今このCDは手に入りにくくなっており、かく言う筆者も第1巻は未だ手にしておりません。見つけたらためらわずに買っておくことをお勧めします。
『サヨナラ』ほか管弦楽組曲 (SAYONARA−Orchestral Suites)
エルマー・バーンスタイン指揮ベルリン放送交響楽団 BMG/RCA Victor 09026-62657-2 [23トラック 69:00]
あのE.バーンスタインが名門ベルリン放送響を振った今年の新譜で、収録曲は『隊長ブーリバ』『陽のあたる場所』『青年』『サヨナラ』の4作品。『サヨナラ』では妙な日本風音楽が展開され、童べ歌「通りゃんせ」がオーケストラにアレンジされて出てきたりして大笑いですが、全般的にはしっとりとしたいいスコアです。フィナーレではI.バーリンの主題歌が合唱で壮大に歌われます。『青年』も意外と面白かったですね。演奏は極めて充実しており、『隊長ブーリバ』では迫力も充分。
<ワックスマン主要映画音楽リスト> (作成協力:島田幸市さん)
凡例:
<未>=劇場未公開 (邦題は直訳)
<VD>=劇場未公開/ビデオ・タイトル
<TV>=劇場未公開/テレビ放映時タイトル
<1930>
<1933>
<1934>
<1935>
<1936>
<1937>
<1938>
<1940>
<1941>
<1942>
<1943>
<1944>
<1945>
<1947>
<1948>
<1949>
<1950>
<1951>
<1952>
<1953>
<1954>
<1955>
<1956>
<1957>
<1959>
<1960>
<1962>
<1966>