| ジョン・アディスン |
| John Addison 1920〜1998 |
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ジョン・アディスン(アディソンとも言う)は、ハリウッドでも活躍したイギリスの作曲家です。1950年の『戦慄の七日間 (Seven Days to Noon)』以来、60本以上の映画の音楽を書きました。
彼の音楽は軽快で、素敵なメロディとハーモニーに満ちています。楽器編成はわざと薄くしていることが多いのですが、フル・オーケストラのシンフォニック・スコアを書かせても天下一品です。
クラシックとポップスをほどよく融合させた彼の音楽は、それぞれの映画で最良のアプローチを示しました。
例えば、オスカーを受賞した『トム・ジョーンズの華麗な冒険 (Tom Jones)』 (1963) のプロローグでは、ハープシコードとピアノを組み合わせて斬新なサウンドを発明し、スコットランドの老朽船船長の活躍を描くコメディ『The Maggie』(1954)では、たった一個のハーモニカで映画のスコア全体を構築しています。
かと思えば、『モール・フランダースの愛の冒険 (The Amorous Adventures of Moll Flanders)』 (1965)、『遥かなる戦場 (The Charge of the Light Brigade)』 (1968)、『004/アタック作戦 (Start the Revolution Without Me)』 (1970) 、『カリブの嵐 (Swashbuckler)』 (1976)、『遠すぎた橋 (A Bridge Too Far)』 (1977)などでは胸のすくような素晴らしいシンフォニック・スコアを聴かせてくれます。
さらに忘れてならないのは、彼はただの映画音楽作曲家ではなく、クラシックの分野でも室内楽やバレエ音楽で認められ、また演劇の音楽やミュージカルでもヒットを多く書いたことです。
以下では Thomas, Tony : Film Score: The Art & Craft of Movie Music (Riverwood Press, Burbank, California 1991) に基づきながら、アディスンの魅力に迫ってみたいと思います。
従軍と音楽教育
アディスンは1920年、イギリスのサレー (Surrey) でcolonel=陸軍大佐(連隊長[英])の息子として生まれ、軍人の子弟のための名門ウェリントン大学の普通課程を無事終了しました。
しかしその時、父に、軍人としてではなく、音楽の道を進みたいと告白したのです。
幸い、父親は話の分かる人でした。父は17歳の息子をロンドンの王立音楽大学へ入れてくれました。
王立音楽院では作曲に優秀な成績を収め、サリヴァン賞を取りました。
しかし彼はそこで1年しか勉強できませんでした。第2次世界大戦が始まったからです。
アディスンは1940年に第23フッサール (Hussar) 戦車連隊に配属され、ヨーロッパ戦線で戦闘に参加しました。従軍中、監督でプロデューサーのロイ・ボールティング (Roy Boulting) と知り合ったことは、のちに彼のキャリアに大きな影響を与えることになります。
彼はCaenで負傷し、のちドイツに駐屯しました。
1946年、除隊してにロンドンに戻ると、退役軍人の特典を利用して、音楽の勉強に戻ることにしました。彼は王立音楽大学に再入学し、A.R.C.M.degreeを取った後、大学に残って講師の資格を得ました。
転機の年1950年
その頃、ボールティングが大学に訪ねてきました。
彼はアディスンの作品の演奏を聴いた後、言いました。「映画音楽の仕事をやってみないかね?」
こうして、アディスンはちょくちょく映画のために短い音楽を書くようになりました。
やがて1950年、ボールティングは、『戦慄の七日間 (Seven Days to Noon)』全編の音楽をアディスンに任せてみようと思いました。これは原爆で世界を脅迫する科学者を描くサスペンス・スリラーでしたが、そのスコアに示された緊迫と興奮の持続は、この若い作曲家に映画関係者の注意を引きつけるのに充分でした。
続いて担当した『波止場の弾痕 (Pool of London)』(1950)では、映画冒頭、テームズ河畔の忙しい岸壁とせわしない船の動きを、低弦の間断ないリズムで描くというモダンな手法を取っています。
同じ1950年、アディスンの「木管楽器のための六重奏曲」がフランクフルトの国際現代音楽協会(ISCM)の音楽祭で演奏されました。これは成功を収め、アディスンはクラシック楽界でも一目置かれる存在となるのです。
ミュージカルとテレビへの進出
1953年には、東西に分割されたベルリンでの熾烈なスパイ活動を描く『二つの世界の男 (The Man Between)』の音楽を担当しました。主人公(ジェームズ・メイソン)の悲哀は静かなサキソフォンのテーマで示されますが、彼が爆撃された都市の廃墟を指し示す時、テーマはぴりりと痛烈なものとなります。
第2次世界大戦中の落下傘部隊の冒険を描く同年の『赤いベレー (Paratrooper)』(1953)では、アディスン自身の従軍経験が生かされています。
1955年には、ロンドン・ミュージカル・レヴュー「つむじ曲がり共 Cranks」のスコアを書きました。これは成功し、1年後にブロードウェイでもかけられたのです。アディスンはAnthony Newleyをはじめとするオリジナル・キャストで録音しました(HMV CLP-1082)。
同じ年、アディスンはテレビにも進出します。BBCの子供番組『Steps into Ballet』に曲を書いたのです。
のち1961年、アディスンはBBCのテレビ映画『Sambo and the Snow Mountains』にスコアを書き、1964年にはBBCの二つのテレビシリーズ、『The Orchestra』『The Detective』に音楽を提供します。
アメリカのテレビのためにも、CBSの『The Search for Ulysses』以後様々なドラマやドキュメンタリーに音楽を書くようになるのです。
1956年にも戦争映画の仕事が相次ぎました。『生き残った二人 (The Cockleshell Heroes)』は第2次大戦中のイギリス海軍の話です。また、RAF戦闘機のエースの元パイロット、ダグラス・ベイダー (Douglas Bader) の物語『殴り込み戦闘機隊 (Reach for the Sky)』(1956)のためには典型的なイギリス風行進曲を書いています。映画の主人公ベーダーは実在の人物で、実はアディスンの義理の兄弟にあたります。
アディスンは決して音楽で戦争を美化しようとしていたわけではありません。同じ年のボールディング・ブラザーズによるイギリス軍の風刺映画『Private's Progress』(1956)では、映画に即した意地悪な音楽を書いているのです。
リチャードソン監督との仕事
映画音楽作曲家は、優れた映画作家との幸福なコラボレーションを見つけた時、その真の力を発揮します。アディスンの場合は演出家・映画監督のトニー・リチャードソン (Tony Richardson) との共同作業がそれに当たります。
リチャードソンとの仕事が始まったのは1957年、アディスンがジョン・オズボーン (John Osborne) の戯曲『寄席芸人 (The Entertainer)』(ローレンス・オリヴィエ主演)のための付随音楽を書いた時からです。それは同時に、George Devine率いるEnglish State Societyとの出会いでもありました。
Royal Court Theatreで初演された戯曲が成功を収めた後、『Luther』(1961)、『Hamlet』(1963)、『I, Claudius』(1972)などのリチャードソンとオリヴィエの共作のいくつかを含め、アディスンはこの後20年以上にわたり、20以上の舞台演劇にスコアを提供し続けることになるのです。
1959年、アディスンは今度はSadler Wellsバレエ団のために、バレー音楽「白紙委任状 (Carte Blanche) 」を書き下ろし、喝采を浴びました。バレエ音楽は管弦楽組曲に編まれ、アディスンの作品中最もポピュラーな曲となりました。組曲はサー・トマス・ビーチャム、レオポルド・ストコフスキーといった人々に取り上げられ、作曲者指揮プロ・アルテ管弦楽団で録音もされたのでした。
その頃、リチャードソンとオズボーンはウッドフォール映画社 (Woodfall Films) を設立し、『蜜の味』(1961)、『長距離ランナーの孤独』(1962)、『トム・ジョーンズの華麗な冒険』(1963)といった数々の名作を製作してゆきますが、このチームにアディスンも加わります。
1960年の『寄席芸人 (The Entertainer)』は同名演劇の映画化ですが、アディスンは全く新たに音楽を書き下ろしました。スコアは劇で歌われる芸人アーチー・ライス (Archie Rice) の持ち歌「Why Should I Care?」をベースにしたものです。オズボーンが歌詞を書いたこの歌は、アーチーの芸と結びついたソース・ミュージックとして機能しますが、同時に劇全体と結びついたバックグランド・ミュージックでもあるのです。実際の背景スコアは最小限で、出来る限りシンプルです。いくつかのシーンではエコーの効いたピアノ独奏が「Why Should I Care?」を弾くだけですが、ピアノという楽器がアーチーの人生全体を象徴しているので、それで充分に効果的なのです。
『蜜の味 (A Taste of Honey)』(1961)は、孤独な少女(Rita Tushingham)がホモの青年と暮らした後、黒人水兵と恋に落ち、その子を宿すという物語です。
この映画の音楽について、監督リチャードスンが「音楽は(古典形式に則った)フォーマルなものにすべきだ」と言った時、アディスンは最初は驚いて、「え?」と思いました。しかしすぐに監督の意図に納得しました。もし普通のロマンティックな音楽でアプローチしたら、映画はリアリティを失い、陳腐にものに成り下がっていたでしょう。
アディスンが行ったアプローチは二つに分けられます。
一つは、マンチェスターの貧困地区の学校周辺で歌われていた子供の戯れ歌「Alley, Alley O」を素材に、様々に対位法処理するもの。もう一つは、もっと正式な形式の音楽を、特定のキャラクターに結び付けたもの。例えばホモの少年と少女のためには4分の2拍子のマンドリンの主題が与えられました。
『長距離ランナーの孤独 (The Loneliness of the Long Distance Runner)』 (1962) では、伝統的な4人編成のジャズ・バンドを中心に据え、それを弦楽八重奏やいくつかの木管・金管と結び付けただけで、スコア全体を押し通しています。
傑作の誉れ高い『トム・ジョーンズの華麗な冒険 (Tom Jones)』 (1963)では、アディスンのスコアはアカデミー作曲賞を受賞しています。
ロケに出発する前のパーティーでは、リチャードソンは「皆が楽しい時を過ごせるような映画を作りたい」とスピーチしました。そして14週後に帰ってきた撮影班は、疲れ切っていたけど和気あいあいと楽しそうであり、フィルムも実際、実に愉快なものでした。
そして、リチャードソンはアディスンに一言、「ポップなスコアになるんだろ?」とだけ言いました。
アディスンの頭の中で、スコアの基本的なコンセプトはこの時もう固まったも同然でした。
しかし、リチャードソンを感嘆させたのは、60人編成の管弦楽を用いながら、全く重苦しさのない、感興豊かな18世紀風の軽やかなポップ・スコアを作り出している点でした。
最も有名なシーンは、冒頭のサイレント映画風シークエンスです。ここでアディスンは、ハープシコードとホンキー・トンク (ちょっと調律の狂ったピアノ) を用い、18世紀の典雅な世界をサイレント映画の賑やかさの中に描くことに成功したのです。
また、本編のアンダースコアでも、少数の楽器のアンサンブルで各キャラクターを描き分けています。例えばトム・ジョーンズはコンサーティナ (concertina) で、「世俗的な」愛のテーマはアルト・サキソフォーンとファゴットの二重奏で、「純粋な」愛のテーマは独奏ヴァイオリン、ハープ、ピアノで、スクワイア・ウェストン (Squire Weston) の主題は主にホルンで演奏され、追い剥ぎはバンジョーで示されます。
これらに対し、映画全体の狂言回しとして重要な役を演ずるMichael MacLiammoirのナレーションは、オペラのレチタティーヴォのように全管弦楽で伴奏されるのです。
1965年、アディスンは急遽ヒッチコック監督『引き裂かれたカーテン (Torn Curtain) 』(1966)のスコアの代役を引き受けました。ヒッチコックにはバーナード・ハーマンという優れた作曲家のパートナーがおり、彼がすでにスコアを書き上げていたのですが、「売れる主題歌を」と求めるユニヴァーサル社の圧力に屈したヒッチコックが、ハーマンのスコアをボツにしたのです。
時間のない中で、アディスンは初めて、ハリウッドの代表的な映画音楽システムであるオーケストレイターを雇いました。それまでに書いた47本の映画では、彼は一度たりとも他人にオーケストレーションを任せたことはなかったのです。
しかし、アディスンはオーケストレーターに適切な指示を与え、テーマをサキソフォンに奏させることにより、切迫しつつもユーモラスな感じを出すのに成功したのでした。
その後、イギリスの映画製作は停滞し、次第にハリウッドからの仕事の比重が増えていきました。
そこで1975年、アディスンはロサンジェルスに移住しました。
移住後すぐに書いた『シャーロック・ホームズの素敵な挑戦 (The Seven-Per-Cent Solution)』(1976)では、ミッキー・マウジングを意識的に避け、伝統的楽式(舞曲、行進曲、フーガなど)を用いたミスマッチでかえって効果を上げた佳作です。
この映画への音楽的アプローチは、アディスン自身にコメントしてもらいましょう。
『シャーロック・ホームズの素敵な挑戦』はとりわけスコア付けするのに興味をそそる映画でした。私はいつものように監督ハーバート・ロスと付き合うことから仕事を始めました。我々は何日間か、映画を上映しながら議論して過ごしました。映画は一種のファンタジーで、想像上の人物(しかしほとんど実在人物のようになっている)シャーロック・ホームズが歴史上の人物ジークムント・フロイトと関わるという設定でした。映画を監督するにあたり、ロスはユーモアが露骨にならず、なるべく原作の文学的香りを残すように−−但し過剰な文学趣味に走らぬよう−−骨を折ったのです。それはある種の綱渡りであり、ロスは私がスコアの中で映画を間違った方向へ持って行かないかどうか心配していました。その後、『カリブの嵐 (Swashbuckler)』(1976)や、『遠すぎた橋 (A Bridge Too Far)』(1977)という素晴らしいスコアを完成後、アディスンは仕事の中心をテレビに移しました。
私の最初のアイデアの一つは、映画の始まり近くで、章の出だしのような短い音楽的コメントを付けるというものでした。興味深いことに、ロス自身も一度、映像に章の始まりを挿入しようと考えていたことがあったということを、後に知りました。我々は明らかに同じ方向を模索していたのです。次に私はホームズのコカイン嗜好癖という問題と取り組みました。これは音楽が重要な役を果たすはずです。それはオーボエの悲しげなフレーズ(楽句)とヴァイオリン・セクションの急くような音を、シンセサイザーの弦の効果音でつないだものになりました。弦の音はコカイン摂取の強迫観念と、薬物による過度の興奮状態の両方と結びつけられました。映画全体を通してオーボエのフレーズは、階段を上る少年の映像のフラッシュバックを伴う強い緊張場面の前後で流されました。それは、極めて短いのフラッシュバック(一度に2〜3秒)が周期的に繰り返されるものです。これは異様な効果を醸しだし、その真の意味はフロイトがホームズを分析する映画の最後で初めて解明されます。ホームズは母が大好きで、幼年時代のトラウマ(精神的外傷)が後に女性との関係で感情的な障壁となっていたのでした。オーボエのフレーズは抑圧された感情と隠された優しさを示すもので、それゆえフラッシュバックに少年が現れるたび、このフレーズが使われたのであり、終わりの場面で、フロイトに治療してもらったホームズが以前救った歌手に再会する時、フレーズは抒情的メロディーへと変化を遂げます。この時点で、母の主題はその本来の姿を取り戻すのです。
『シャーロック・ホームズの素敵な挑戦』のもう一つの特徴は、再び舞曲の形式を用いたことです。ホームズとワトソンが最初にオーストリアに到着する場面でワルツを用いるのは自然なことでした---手触りはシュトラウス風、但し本当の借用ではなく。最初、主題は元気溢れるものですが、ウィーンにあるフロイトの邸宅に近付くに連れ、ワトソンは不安を抱き、この時にはワルツのテーマは自信なげに響きます。後でホームズとワトソンが悪玉の男爵を追いかけて病院から飛び出してくるシーンがあり、音楽は息せき切っていますが、やはりワルツのテンポなのです。その後映画の終わりにかけて追跡シーンがあり、ホームズと男爵とのスペクタクルな剣による決闘があります。リチャード・ロドニー・ベネットが『オリエント急行殺人事件』の列車のために書いた霊感溢れるワルツ主題に感嘆していた私は、リチャードが実に見事に成し遂げたようなことを、違う形でやってみたいとこだわっていました。登場人物たちはバルカン半島へ向かっていたため、テーマをチャールダーシュの形式で扱えるのではないか、という考えが浮かびました。実際チャールダーシュのリズムは速く走っている列車のリズムと共通のものを感じさせますし、アッチェレランドのようなテンポの変化にも敏感です。音楽を様々な動きに同期させ、しかも長時間にわたって緊張感を持続させるのは、面白い技術的な訓練になりました。
現在、アディスンの携わった映画のサントラはほとんどが廃盤のままで、せっかくの彼のスコアを聴くことが出来ません。どこか、彼の名作を一括してCD復刻してくれる剛毅なレコード会社はないものでしょうか……?
(詳しくは後日記載の予定。)
『遠すぎた橋 (A Bridge Too Far)』 (1977)
映画はジョセフ・E・レヴィン製作、リチャード・アッテンボロー監督の第2次世界大戦終盤の1944年に行われた連合軍による「マーケットガーデン作戦」の悲劇を描いた戦争大作です。
作戦の失敗を描いた長時間映画は必然的に中だるみをもたらし、現実の作戦同様映画も失敗に終わりましたが、その音楽は、『カリブの嵐』と共にアディスンのシンフォニック・スコアの代表となりました。
アディスンは、映画の原作であるコーネリアス・ライアンの『Brought It All Back』を読んだ時から、その音楽を書きたいと考えていました。アディスン自身、第2時大戦中に激しい戦闘体験があったからです。
アディスンは第23軽騎兵団の戦車指揮官としてDデイ(1944年6月6日の連合軍ノルマンディー上陸作戦実行日)直後ノルマンディーから上陸し、カーエンまで進軍しましたが、そこで彼の部隊はほぼ全滅しました。アディスンは燃えるシャーマン戦車から一人の隊員を引きずり出したものの、運転手と無線手を助けることは出来ませんでした。
のちにアディスンは第30軍団の戦車部隊に転属となりますが、この部隊こそ「マーケット・ガーデン作戦」の中心となった部隊だったのです(この時作戦はすでに終了していました)。
このような因縁から、『The Guinea Pig』 (1948) 以来の知り合いである俳優・監督のリチャード・アッテンボローが、ライアンの『Brought It All Back』を映画化しようとしていると聞いたアディスンは、自ら希望して、作曲を担当したいと申し出たのです。
プロデューサーのジョセフ・レヴィンに招待されて初めて映画を見た時、アディスンはこう言いました。
「人は働かなければならないから働く。だが時には自分の全てをかけてやりたい仕事があるものだ。そして、これこそが私にとってはそうした機会の一つだ。もしこの映画のために素晴らしいものが書けないなら、私は辞めた方がいい」
その結果はどうだったのか。アッテンボローは次のように記しています。
ジョー・レヴィンと私は、ジョンのロサンジェルスの家にある小さな音楽室で座って、彼が初めてスコアをピアノで弾くのを聴いた。私たちは二人とも涙が溢れそうになった。彼は実際に、本当に素晴らしいスコアを書いたのだ。
アディスンによれば、このスコアの中心を占めるのは3つの主題です。それはいずれも、抜群にかっこいい序曲で聴くことが出来ます。
ヒロイックで感動的なファンファーレに始まります。何とも豊かで暖かいハーモニーです。
すぐに、同じ旋律素材を用いた有名な「遠すぎた橋」マーチが続きます。伸びやかな旋律が魅力的で、勇壮と言うより、優雅でスマートな感じがします。これは陸軍魂を象徴する第30軍団の行進曲であり、映画スコア全体の第1主題です。マーチのトリオ(中間部)も巧みな転調を用いたさわやかなもので、希望、青空といったものを連想させます。金管のメロディーに絡むヴァイオリンの対位法も華麗です。
テンポが落ち、重々しくも壮麗な金管合奏が現れますが、これは米英・ポーランド兵からなる3万5000名の空挺師団のテーマであり、スコアの第2主題です。
どこまでも高揚していくように思われた音楽は、最後で突然テンポが落ち、ヴァイオリンのトレモロを背景に、イングリッシュ・ホルンの悲痛なメロディに受け渡されます。再びナチスの手に落ちるオランダ、アルンヘム地方の悲劇を暗示する第3主題です。
アディスンの音楽があまりにも屈託のないものだけに、このラストの悲劇はちょっと唐突です。しかしアディスンによれば、「最初のうち行進曲音楽がしばしば脳天気でアップビート」なのは、後で人々が「期待された戦果を挙げられなかった戦闘が生む人命の損失などの悲劇的要素に対するアイロニー(皮肉)を感ずる」よう仕組んだからだそうです。
スコア全体も序曲に示された三つの主題に基づき、新鮮で躍動的な音楽として展開されて行きます。
(作成協力:島田幸市さん)
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