アーサー・ブリス
Arthur Bliss   1891〜1975
早崎 隆志

★  第1次世界大戦後のイギリスに登場した「恐るべき子供たち (アンファン・テリブル)」の一人で、ウォルトンと共に、ストラヴィンスキーやフランス6人組の影響を受けた当時最も先鋭的な作風を示したが、中期以降は重厚・堅実なイギリスらしい新ロマン的作風に転換。
 シンフォニック・スコアの金字塔『来 (きた) るべき世界』(1934-35) をはじめ、数々の優れた映画音楽を書き、コルンゴルトと並んで、映画音楽 (特にシンフォニック・スコア) の水準向上に最も貢献したクラシック作曲家の一人でもある。

=Contents=

  • =ブリスと映画音楽=
  • =ブリスの映画音楽:歩みと作品=
  • =ブリス映画音楽リスト=
  • =略歴=


     ブリスは20世紀イギリスの代表的作曲家です。知名度こそブリトゥン、ヴォーン・ウィリアムズ、ウォルトンに劣りますが、個性的なハーモニー、強烈なリズム、華麗なオーケストレーションを伴う彼の音楽は、3大作曲家に負けない鮮烈な印象を残します。
     それどころか、映画音楽への貢献という点では、3大作曲家も遥かに及ばない業績を残しています。『 (きた) るべき世界』(1934-35) で大管弦楽を使った映画音楽のシンフォニック・スタイルを確立し、その後30年に及ぶイギリス映画音楽の黄金時代を築いただけでなく、世界の映画音楽史上に不朽の業績を残したのです。

     以下では、正当に評価されているとは言い難いブリスの映画音楽を詳しく追ってみましょう。


    =ブリスと映画音楽=

     ブリスの音楽はメロディとリズムが明確で、ハーモニーも刺激的であり、極めて色彩的で輝かしいのが特徴です。つまり、映画音楽にうってつけだったのです。
     果たして彼は映画音楽の分野で華々しい業績を上げ、このメディア及び音楽芸術の可能性を大きく広げたのでした。

     ブリスは映画音楽の可能性に魅せられましたが、同時に、映画製作の現場では、「音楽は最後の総合段階で極めて卑しい地位へ貶められ」ていることに気付いてもいました。
     しかしその場には「教育は受けていないものの、音楽スコアの価値が本能的に分かる他の人々がいた。彼らは作曲者を自由してくれた。それで彼らとの仕事は楽しい、やりがいのあるものになった」 (John Huntley, British Film Misic, Focal Press, 1957) のでした。
     ブリスは次のように言っています。

     我々が危機にあると真剣には考えていない。純粋な音楽の響きが映画で大変な重要性を持つようになると考えているからだ。
     それは極めて表情的である。それは風景に郷愁を呼び込み、一日の何時であろうとドラマを持ち込む。それは俳優が外面的にはほとんど感情をおもてに表さない時も、その水面下の流れを表現することが出来る。それは何が起ころうとしているかを示すこともできるし、何が起こったかを思い起こさせることもできる。
     それらのうちでも最も重要なのは、恐らく、映画の中で沈滞して退屈なものを生き生きとした興奮するものに変えることが出来るということだろう。

    (Arthur Bliss, As I Remember)


    =ブリスの映画音楽:歩みと作品=

    作曲家としての名声確保まで

     アーサー・ブリスは1891年8月2日、ロンドンに生まれました。
     ケンブリッジ大学で学んだ後、ロンドンの王立音楽大学でスタンフォードやヴォーン・ウィリアムズに師事しました。
     第1次大戦にフランスに出征した後、ハマースミス抒情座 (Hammersmith Lyric) でナイジェル・プレイフェアの演出する劇作品のための作・編曲者として生活しながら、ストラヴィンスキーや6人組の影響を受けた作品を書くようになります。
     1919年に書かれたソプラノのヴォカリーズ (歌詞のない歌) と器楽のための「暴徒 (騒ぎ)」は、その斬新な語法でイギリス音楽界に衝撃を与え、「アンファン・テリブル (恐るべき子供)」との異名を取りました。
     1921〜22年には、色を音で表現しようとした「色彩交響曲」(1922) を書き、注目を集めました。
     1922〜25年の間はカリフォルニアに滞在し、管弦楽曲「序奏とアレグロ」をストコフスキーに献呈したりしました。
     1925年に書かれた「ピアノ組曲」や、翌1926年の「アポロ賛歌」が作風の転換点となり、真摯で壮大な壁画風音楽を志向するようになります。
     1928年、シチリア島の古代ギリシア遺跡を見学した感銘から、古典的なパストラール (牧歌) の世界に題材を求め、彼の代表的傑作の一つ、パストラール「羊の群は野に安らう」を書き上げます。
     続いて1930年には合唱と管弦楽のための壮大な交響曲「朝の英雄たち」を完成させます。ブリスはここに、合唱と管弦楽を使った大オラトリオを好むイギリスの伝統に完全に回帰するのです。

    映画音楽の金字塔『来るべき世界』

     大家としての評価が定まりつつあったブリスのもとに映画音楽を書かないかという誘いがあったのは、1934年のことです。
     依頼主は有名な映画製作者アレクサンダー・コルダ。1年前の1933年にロンドン・フィルム社を興し、『ヘンリー八世の私生活』を大ヒットをさせた、今をときめく大プロデューサーです。今回は、1933年に出版されてベスト・セラーになっていたハーバート・ジョージ・ウェルズの近未来SF『世界はこうなる (The Shape of Things to Come)』を映画化しようとしていました。製作予算30万ポンドの大作映画です。
     コルダは、映画に於ける音楽の役割を大変重視しました。ハリウッドでは1927年以降にサイレント (無声) 映画からトーキーへの転換が進み、イギリスでも1930年以降本格的なトーキー時代を迎えていました。コルダはスコットランド出身の新進気鋭の指揮者ミューア・マシースン (Muir Mathieson) を音楽監督に迎えており、あとは音楽を依頼する優れた作曲家を見つけるだけだったのです。

     ところで原作者H・G・ウェルズは『タイム・マシン』『宇宙戦争』『透明人間』など多くの名作SFを書いていて、それらはサイレント時代から多くが映画化されていました (1934年の時点で約10本)。ですが、その多くが下らないものだったので、今回は彼は脚本に参加し、映画の質を厳しくチェックしました。音楽についても同様でした。
     しかし、1934年3月、ブリスが王立協会で行った「現代音楽の諸相」という講演を聞いたウェルズは、ブリスの芸術に対する真摯な姿勢を完全に信頼するようになります。

    来るべき世界
    Things to Come
    製作年度:1936年
    製作会社:英 ロンドン・フィルム社
    撮影スタジオ:英 バッキンガムシャー(Buckinghamshire)のデンハム撮影所 (Denham Studio)
    配  給:ユナイテッド・アーティスツ
    上映時間:93分・白黒
    封切り:1936年2月
    日本での公開:1936年9月、劇場公開
    製作■アレクサンダー・コルダ
    監督■ウィリアム・キャメロン・メンジーズ
    原作■H・G・ウェルズの小説『世界はこうなる (The Shape of Things to Come)』
    脚本■H・G・ウェルズ/ラホス・ビロ
    美術監督■ヴィンセント・コルダ
    サウンドトラック演奏■ミューア・マシースン指揮
    出演■レイモンド・マッセイ/セドリック・ハードウィック/マーガレッタ・スコット/ラルフ・リチャードソン/アン・トッド
    スコアの楽器編成:2 flutes, oboe, 2 clarinets in B-flat, bassoon; 2 horns, 3 trumpets in B-flat, tuba; percussion (side drum, tambourine, triangle, cymbal, celesta, cowbells, glockenspiel, vibraphone, tubular bells, gong); harp; strings
     映画は『来るべき世界』という題名で撮影され、映画のスコアは1935年初めに完成しました。それは約45分かかる映画史上初の本格的なシンフォニック・スコアでした。
     録音セッションは1935年3月3日、ロンドンのデッカ・スタジオで、作曲者自身の指揮するロンドン交響楽団によって行われました。
     その直後、ブリスはそのSPレコードの試作品を指揮者ヘンリー・ウッドに送りました。ウッドは興奮し、さっそくその組曲を彼の有名な「BBCプロムナード・コンサート (プロムス)」のプログラムに載せました。
     こうして、『来るべき世界』の音楽は、映画の公開より早く、1935年9月12日にプロムスで、7曲から成る組曲としてブリス自身の指揮によって初演されました。
     組曲は次のような曲から成っていました。

    1. プロローグ (Prologue) ……半音下降の音型に伴われて、苦渋に満ちた主題が登場。
    2. 子供たちのためのバレー (Ballet for Children) ……クリスマスの子供たちの嬉しそうな様子を描く。軽快で生き生きとした音楽。
    3. 行進曲 (March) ……近未来の大戦で空襲により破壊されるロンドンと、兵士の出征のモンタージュ場面で流れる。やはり半音下降音型を伴い、切羽詰まった感じの序奏があり、次いでややテンポを落として、金管の総奏で重厚な行進曲が現れる。弦とハープが刻む中、中音弦がノーブルな伸びやかなメロディーを弾くエルガー風な部分も用意されている。
    4. 廃墟の世界 (World in Ruin) ……不協和音を用いた現代的スコア。
    5. メロドラマ「疫病」 (Melodrama - Pestilence) ……長い戦争が勝利者もなく終わった後、今度は激しい悪疫が人類の人口を3分の2に減らす。重々しい楽想。
    6. メロドラマ「攻撃」 (Melodrama - Attack) ……極めてドラマティック。
    7. エピローグ (Epilogue) ……断続的な和音による導入の後、希望に満ちた都市再建の主題に入り、かなり長く展開される。時々鐘が鳴る。戦争によって破壊された都市が再建され、明るい未来が暗示され、感動的な盛り上がりを見せて終わる。
     ところで映画自体はまだ製作中でした。ブリスはスコアの書き直し応ずる体制になかったので、ライオネル・ソルター (Lionel Salter) が音楽に手直しし、ミューア・マシースンの指揮で再録音されました。

     映画は1936年2月に公開され、大評判となりました。
     映画公開にあわせ、3枚の78回転SPレコードが発売されました。うち4面はブリスがロンドン交響楽団を指揮した最初のセッションから取られたもので、残り2面はマシースン指揮による再録音時のもの (但しサントラとは違いがあるので、同時に録音された別テイクでしょう) でした。
     レコードはホット・ケーキのように売れたと言われます。

     映画が公開されると、音楽に対する賞賛が改めて湧き起こり、「音楽だけをもっと聴きたい」という要望が集まってきました。
     そこでブリスは1936年6月、新たな組曲を編みました。曲順が変えられ、「エピローグ」は「再建 (Reconstruction)」と改題され、「行進曲」が最後に置かれました。これに基づく演奏はBBCで放送されました。

     版権を巡ってもさまざまな駆け引きが行われました。何曲かのピアノ編曲はチャペル音楽出版 (Chappell & Co.) から出版されましたが、管弦楽組曲はノヴェッロ社 (Novello & Co.) の手に落ちました。

     オリジナル・スコアに基づく組曲は、その後も様々なの音楽家たちが試みました。
     例えば作曲家・指揮者バーナード・ハーマンは、1975年11月、次の5曲から成る組曲をデッカ/ロンドンのPhase4ステレオに録音しました。

    1. プロローグ (Prologue)
    2. 行進曲 (March)
    3. 新世界建設 (Building of the New World)
    4. 月面要塞への攻撃 (Attack on the Moon Gun) ……ベートーヴェンの「運命」の動機を思わせる印象的な3連符の信号に導かれたドラマティックなキュー。
    5. エピローグ (Epilogue)
     このうち「新世界建設」と「月面要塞への攻撃」はブリスが編んだ演奏会用組曲に含まれないもので、オリジナル・スコアをもとに初めて演奏会用に編曲されたものです。
     2000年には、フィリップ・レーンがオリジナル・スコアを詳細にチェックし、失われた部分の復元も試みながら、演奏時間32分に及ぶ「演奏会用音楽 (Concert Music from the Film)」を編み、2000年7月5日、ラモン・ガンバ (Rumon Gamba) 指揮のBBCフィルハーモニー管弦楽団により英Chandosレーベルに録音されました。
     これは次の11曲から成っています (約25分) 。
    1. プロローグ (Prologue)
    2. 子供たちのためのバレー (Ballet for Children)
    3. 行進曲 (March)
    4. 攻撃 (Attack)
    5. 廃墟の世界 (The World in Ruins)
    6. 疫病 (Pestilence)
    7. 掘削 (Excavation)
    8. 新世界建設 (Building of the New World)
    9. 機械 (Machines)
    10. 月面要塞への攻撃 (Attack on the Moon Gun)
    11. エピローグ (Epilogue)
     これらの他に「牧歌 (Idyll)」というキューが書かれたことは分かっていますが、映画では使用されず、演奏会用組曲にも含まれなかったので、今はどこにあるか分かりません。もしかすると紛失/破棄されたかも知れません。

     『来るべき世界』のスコアは、様々な意味で記念碑的な作品です。
     一流の管弦楽団を使って、本格的な交響的手法で映画用の音楽が書かれたこと自体が初めてだし、またそのアンダースコアの音楽がレコードとして発売されたのも初めて。そして、それが記録的な売上をほこったというのも初めての出来事でした。
     しかし、ただそれだけではありません。ブリスのスコアはその音楽的な質の高さで人々を感嘆させたのです。その後のシンフォニック・スコアの手本となり、映画音楽というジャンルに大きな刺激を与えて前進を促したという点で、映画音楽の古典中の古典であり、クラシック界に映画音楽というジャンルの価値を認識させたという意味でも、映画音楽史上の金字塔なのです。

    続く傑作『大空の征服』

     ブラームスが陽気な曲を書くとその後は必ずペシミスティックな曲を書いた (大学祝典序曲Op.80(1880)と悲劇的序曲Op.81(1880)) ように、ブリスも映画音楽と絶対音楽の傑作をペアで書くようです。『来るべき世界』の直後に書いた「弦楽合奏のための音楽」は1935年のザルツブルク音楽祭で、エイドリアン・ボールト指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によって初演され、好評を博しました。

    大空の征服
    Conquest of the Air
    製作年度:1937年
    製作会社:英 ロンドン・フィルム社
    撮影スタジオ:英 バッキンガムシャー(Buckinghamshire)のデンハム撮影所 (Denham Studio)
    封切り:1940年
    日本での公開:未公開
    製作■アレクサンダー・コルダ
    監督■ゾルタン・コルダ/アレクサンダー・イースウェイ/ジョン・モンク・ソーンダース/アレクサンダー・ショー
    編集■ピーター・ベゼンセネット/チャールズ・フレンド
    顧問■ウィンストン・チャーチル
    美術監督■ヴィンセント・コルダ
    サウンドトラック演奏■ミューア・マシースン指揮
    出演■ローレンス・オリヴィエ/ヘイ・ペトリー (Hay Petrie) 他
     しかし、二匹目のドジョウを求めるコルダとロンドン・フィルム社は、1936年 (『来るべき世界』が公開されて評判になっているその年) に、早くも次の映画の仕事を持ってきました。今度は『大空の征服 (Conquest of the Air)』(1937) (日本未公開) という映画です。
     これは、人類の大空への憧れを、伝説のイカルスから現代の世界一周飛行に至るまでの、年代順オムニバスとして描く一種のセミ・ドキュメンタリー映画です。製作はアレクサンダー・コルダ、監督は弟のゾルタン・コルダが受け持ち、ローレンス・オリヴィエその他が出演した大作級映画です。
     映画は1937年に完成しました。ところが、なかなか公開されません。何があったのでしょう?
     当時国際情勢が緊迫してきたため、どうもイギリス政府がこの映画を空軍の宣伝に利用しようと考え、そのためにロンドン・フィルム側と確執が起きたようなのです。
     映画がなかなか公開されないため、ブリスは映画のスコアを演奏会用組曲 (約13分) に編曲し、1938年のプロムスで演奏しました。またも映画公開前に映画音楽がコンサート用音楽として聴かれたわけです。

    1. (The Wind) ……フルートとピッコロの楽句が吹きすさぶ風を表す。人々は空を見上げ、鳥に憧れた。グラズノフのバレー音楽「四季」の冬の音楽に似ている。(約1分半)
    2. レオナルド・ダ・ヴィンチの幻影 (The Vision of Leonardo da Vinci) ……ルネサンス期ヴェネツィアの工房で飛行機械の設計に熱中するダ・ヴィンチ……。穏やかで落ち着いた気品ある音楽は、悲しみを湛え、天才の孤独さを象徴するかのようだ。(約3分)
    3. 曲芸飛行 (Stunting) ……精力的なスケルツォ。木管の軽快な音型に始まり、間もなくブリスらしい活発な金管全開のフレーズとなる。最後はトロンボーン、ホルン、ファゴットから高音域へ急上昇する音型で締め括られる。(約2分)
       このキューはいくつかのシーンで使われたが、ブリス自身がスコアの序文に記している場面は、大胆不敵なフランスの飛行家がセーヌ川の水面ぎりぎりの高さを飛び、次々と橋の下をくぐってゆくシーンだ。
    4. 極北を越えて (Over the Arctic) ……葬送行進曲のように重苦しい音楽は、北極点着陸を目指す飛行の孤独さを表す。次第に高潮するが、頂点に達した後緊張を解き、最後は穏やかに終わる。(約3分)
    5. 滑空 (Gliding) ……さわやかな小鳥の声が聞こえ、曲は軽やかなワルツになる。(約1分)
    6. 行進曲「大空の征服」 (March - Conquest of the Air) ……悲劇的な導入部は、飛行機発明の先駆者オットー・リリエンタールの事故死の場面のキュー。すぐ続いて、映画のオープニングで用いられた輝かしい勇壮な勝利の行進曲が始まる。全曲中最も優れた音楽だろう。(約2分)
     せっかくこれほど優れた音楽をスコアとして持ちながら、映画が公開されたのは、第2次世界大戦が始まった後の1940年です。しかも71分に切り刻まれ、イギリスの航空軍需産業の成長をアピールする部分が付け加えられていました。
     ブリスの音楽も無惨にずたずたにされてしまいました。当然観客の入りも悪く、『来るべき世界』には遠く及ばない結果となりました。
     映画のクレジット (配役・スタッフ紹介) には顧問として当時の首相ウィンストン・チャーチルが名を連ねている一方、監督ゾルタン・コルダの名も、脚本家ヒュー・グレイ (Hugh Gray) の名も見られないのは、政府の介入に対するささやかな抵抗でしょう。

     『大空の征服』と同じ頃、ブリスの代表作の一つ、バレー音楽「チェックメイト(王手詰め)」(1937) が書かれました。これは、現在のロイヤル・バレエ団の前身であるヴィック・ウェルズ・バレエ団が、初のパリ公演用に委嘱したもので、ブリスの大胆な刺激的和声と分かり易い語り口が程良く溶け合った傑作ですが、その中の「赤のキャッスルの登場 (Entry of the Red Castle) 」は、『来るべき世界』の「新世界建設」をほぼそのまま用いたものです。ブリスがどれほど自分の映画音楽に自信を持っていたかがうかがえます。

    『シーザーとクレオパトラ』での苦い経験

     1944年、再びブリスのもとに映画音楽の依頼が行きました。しかし、今回はコルダのロンドン・フィルムではなく (彼らは大戦中はハリウッドに亡命していました) 、そのライバルであるランク・オーガニゼーションが製作する映画で、ガブリエル・パスカル監督の『シーザーとクレオパトラ』(1944) でした。バーナード・ショーの戯曲を元にした皮肉なタッチの史劇で、ショー自身が脚本も書いています。
    シーザーとクレオパトラ
    Caesar and Cleopatra
    製作年度:1945年
    製作会社:英 ランク・オーガニゼーション/Two Cities Films Ltd.
    撮影スタジオ:英 バッキンガムシャー(Buckinghamshire)のデンハム撮影所 (Denham Studio)
    配  給:Sterling Entertainment Group/ユナイテッド・アーティスツ
    上映時間:138分・テクニカラー
    封切り:1936年2月
    日本での公開:1950年
    製作■J・アーサー・ランク/ガブリエル・パスカル
    監督■ガブリエル・パスカル
    原作・脚本■ジョージ・バーナード・ショー
    撮影■ジャック・カーディフ/フレディ・A・ヤング
    音楽■ジョルジュ・オーリック
    サウンドトラック演奏■ミューア・マシースン指揮
    出演■クロード・レインズ (シーザー)/ヴィヴィアン・リー (クレオパトラ)/スチュアート・グレンジャー/フローラ・ロブソン/アンソニー・ハーヴェイ (プトレマイオス)/ルネ・アシャーソン/ケイ・ケンドール (奴隷女)/ジーン・シモンズ (ハープ奏者)
     元来ショーは気難し屋で、自分の戯曲が映画化されるのを決して許可しませんでしたが、1938年、自分が脚本も書くことを条件にハンガリー出身のプロデューサー、ガブリエル・パスカルが『ピグマリオン』(1938) を製作するのを許しました (音楽はフランスのオネゲルが作曲)
     これが成功を収めたため (のちにミュージカル「マイ・フェア・レディ」にリメイク) 、ショーとガブリエルは再び協力して、今度は女性士官の活躍を描く『バーバラ少佐』(1941) (日本未公開) を製作します。音楽はウォルトンが書きました。
     そして、ショーとパスカルの合作第3作として企画されたのが、ショーの名作「シーザーとクレオパトラ」の映画化です。巨額の予算をかけた超大作になる予定でした。
     ところが、この映画は最初から多くのつまづきに見舞われました−−ことに音楽に関して。

     プロデューサー兼務の監督ガブリエル・パスカルは、音楽に関して頑固な考え方を持っていました。彼は最初プロコフィエフを招こうとして失敗し、次に再びウォルトンに声をかけますが、今回は断られます。そこでショーの推薦に基づいてブリスに依頼が行きました。  バーナード・ショーは、ブリスがこの仕事を受けるに際して、次のような言葉を与えました。

     天地神明にかけて、エジプトの音楽はなしだ。エジプトもどきでもいけない。 [中略] それは全くもってブリス的でブリティッシュ (英国的) でなければならぬ。 [中略] 君の想像力が知らず知らずに音楽に然るべき特徴を与えてくれるだろう。
     書かれたスコアは、ショーの求め通り、古代エジプト風ではなく、紛れもないブリスの音がします。序曲の颯爽とした曲想、やや東洋風な風情漂う海の描写、エキゾティックと言うよりはヨーロッパの香りをまき散らす舞曲集、ロマンティックな舟歌、ドラマティックなアレグロ「Supply Sequence」など、いずれも素晴らしい音楽です。

     ところが、パスカルは最初からブリスという選択に不満でした。
     それに、戦時下で物資は不足するし、当時最新鋭のテクニカラー・カメラは故障するし、天気は悪くて撮影が延期されるし、主演女優ヴィヴィアン・リーは妊娠しているし……と全てが悪い方へ進み、パスカル監督のいらいらはつのるばかりでした。おまけに、撮り直しに次ぐ撮り直しを命じられたヴィヴィアンは流産してしまい、入院したため、撮影はますます遅れました。
     パスカルは誰彼なく当たり散らし、撮影現場の雰囲気は最悪になりました。
     ブリスはおよそ80ページもの分量の「骨組みピアノ・スコア (a skeleton piano-score) 」を書き上げていましたが、パスカルに受け入れられず、途中で降りてしまいます。
     ブリスの個性が全開した優れた音楽だっただけに、これらのスコアが未完成に終わったことは残念としか言いようがありません。
     『シーザーとクレオパトラ』での出来事は、ブリスの長いキャリアの中でも最低の経験でした。彼は自伝の中でこの時のことを、「音楽に関する限りお墨付きのおつむの変な (certifiable lunatic) ある監督との忘れがたい経験」と述べています。

     『シーザーとクレオパトラ』の音楽担当者はその後どうなったのでしょうか?
     ブリスはプロジェクトから抜けた後、友人のベンジャミン・ブリテンから電話を受けます。『シーザーとクレオパトラ』の音楽を書くよう頼まれたのだと言います。
    「君はあれをやってたよね、アーサー」
     ブリスは自分の経験を話して聞かせました。
    「君はぼくよりずっと人間が出来ている」と、ブリテンは言いました。「もし君が彼とやっていけないなら、ぼくにどんなチャンスがあるというんだろね」

     ブリテンにも断られたパスカル監督は、突然「映画が本当に必要としたのはフランスの音楽なのだ!」と叫んで、フランスの作曲家ジョルジュ・オーリックにスコアを依頼しました。
     オーリックのスコアもムードがあって悪くはないのですが、ブリスに見られた強烈な個性と較べると小粒なのは否めません。
     映画は思ったほどの観客を動員できず、芸術的にも興行的にも失敗作になりました。

     1945年、ブリスはイギリス情報省から英仏合作の戦争プロパガンダ映画『踏み止まるか戦うか (Présence au Combat)』(1945) (日本未公開) の音楽を委嘱されます。彼は『シーザーとクレオパトラ』の「Supply Sequence」の音楽を転用しました。

    戦後の作品群

     『シーザーとクレオパトラ』の翌年1945年に引き受けた『二つの世界の男たち』(1945) (日本未公開) は、前作とは打って代わってブリスにとっては楽しい仕事でした。また監督のソロルド・ディッキンスンも「今まで一緒に仕事をした最も素晴らしい人物の一人」(ブリス)でした。
    二つの世界の男たち
    Men of Two Worlds
    製作年度:1945年
    配  給:ユナイテッド・アーティスツ
    上映時間:93分・白黒
    日本での公開:未公開
    製作■ジョン・スートロ (John Sutro)
    監督■ソロルド・ディッキンスン
    美術監督■ヴィンセント・コルダ
    サウンドトラック演奏■ミューア・マシースン指揮
    出演■ロバート・アダムズ/エリック・ポートマン
     映画は、ヨーロッパで音楽を学んだアフリカ人作曲家・ピアニスト、キセンガの話です。開幕シーンで自作のピアノ協奏曲を披露したキセンガが、故郷タンガニーカの村に戻り、学校の先生になった時、眠り病の大流行が村を襲います。キセンガは、伝統的な呪術医マゴレの魔力との戦いを通じて、西欧文化に対する確信に疑問を抱くようになります。彼は、10年間のヨーロッパ経験と、1万年のアフリカの伝統という二つの世界の矛盾に苦しみます。しかし、自らに幻覚を起こす危険な病気に晒されながら、彼は人々に健康を取り戻し、ライバルを打ち破り、自己内部の葛藤を克服するのです。
     ブリスは作曲を引き受けた時、彼は正確なイメージをつかむため、東アフリカの伝統的な民族音楽の録音に立ち合いました。その甲斐あって、スコアの中では民族的素材とブリスのオリジナル音楽が巧みに融合されています。

     ブリスが書いたスコアのうち、「メイン・タイトル」、幻覚シーンの音楽、それに全ての合唱ナンバーを含む多くの部分が失われましたが、ブリス自身が演奏会用音楽に編曲した部分と、いくつかのキューが辛うじて残されています。
     ブリスが編曲したのはキセンガが作ったという設定の7分ほどのピアノ協奏曲で、「バラザ (Baraza)」と題されています。これはブリスが実際にアフリカ的要素を西欧クラシック音楽に導入して作った野心作であり、翌1946年に英デッカがアイリーン・ジョイス (Eileen Joyce) のピアノ、ミューア・マシスン指揮のナショナル交響楽団の演奏で78回転SPレコード化しています。
     野性的な導入に続き、トランペットが非西欧的なイントネーションの第1主題を示します。リズミックな経過部を経て重厚な第2主題がアフリカ色を感じさせる男声合唱によって提示されます。第1主題が再提示されると、ピアノのカデンツァとなり、第2主題を扱いながら高潮していきます。それが終わると、管弦楽を伴ったハバネラ風のゆっくりした部分となり、男声合唱も加えながら進行していきます。次いで活発なリズムの部分となり、シンコペーションを強調した男声合唱の歌を中核としてコーダが形作られます。
     「バラザ」以外のスコアは、Marco PoloレーベルのCD [8.223315] で聴くことが出来ます。そこで付けられた題に従って各キューを解説しましょう。

     このスコアはブリスの映画音楽の中でも実験的な要素を多く含んだ野心作でしたが、映画自体が成功を収めることができず、音楽も注目を集めることは出来ませんでした。

     翌1946年、ブリスはバレー音楽「アダム・ゼロ」 (1946) を発表して高い評価を受けます。
     その後しばらく映画から離れますが、1949年に再び映画音楽に手を染めることになります。それが『コロンブスの探検』でした。
    コロンブスの探検
    Christopher Columbus
    製作年度:1949年
    製作会社:英 ゲインズボロ・プロ
    上映時間:104分
    日本での公開:劇場公開
    監督■デヴィッド・マクドナルド
    原作■ラファエル・サバティーニの小説
    サウンドトラック演奏■ミューア・マシースン指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
    出演■フレドリック・マーチ(コロンブス)/リンデン・トラヴァース/フランシス・L・サリヴァン/フローレンス・エルドリッジ/ノラ・スウィンバーン/キャサリン・ライアン
    スコアの楽器編成:木管各2本ずつ、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、ティンパニその他増強された打楽器群、ハープ、ハープシコード、ギター、弦5部。
     現代の目で見た場合、この映画は、先住民の征服というデリケートなテーマを呆れるほど単純に取り扱っていて、とても今日まともな鑑賞には耐えられない映画だと言われます。のちにブリスはグラナダ・テレビの対談番組で、指揮者ミューア・マシースンの問いに対し、映画の場面の多くは「漫画」だったと回想しています。
     ただ、マクドナルド監督が作り出す画面は美しく、しかもサウンドトラックに「あまり外的な会話や騒音がなかった」ので、「音楽のみによる塗りつぶし」が可能になりました。つまり、映画は「輝かしいページェントとフレデリック・マーチのための多くのチャンス」なのであり、ブリスにとっては音のキャンバスに思う存分筆を振るう絶好の機会だったのです。
     映画に対する音楽上のアプローチについて、ブリスは次のような方法を採りました。

     アメリカとイギリスの俳優ではスペインの雰囲気を出すのは難しいことです−−それは音楽が為すべきことなのです−−そこで私はスペインのイディオム(語法)や、コロンブスがスペインから出航した時代の感覚と雰囲気を持つ歌の使用を試みたのです。

    (『Film Music』誌 1949年11/12月号)
     ブリスの自筆スコアは140ページに達する膨大なものです。その中には、例えばコロンブスとドンナ・ベアトリスのラブ・シーン用の2つのキューのように、映画では使われなかった音楽も含まれます。
     楽器編成は3管編成に匹敵する大管弦楽を要します。

     ブリスはこの映画のスコアから演奏会用の組曲を作ることはありませんでしたが、ランク・オーガニゼーションは、宣伝用の10インチ78回転SPレコードを作りました。ここには「航海の始まり (The Voyage Begins) 」と「スペインに帰る (Return to Spain) 」の2曲が含まれていました。
     作曲者の死後、出版社ノヴェッロ (Novello) は、ここに「メイン・タイトル」を加えた3曲を演奏会用の一種の組曲として出版しました。
     1990年にマルコ・ポーロ・レーベルの依頼を受けた指揮者アドリアーノは、この組曲に中心に、自筆スコアも研究し、可能な限り多くの音楽を再現し、演奏会用の形式に編曲して録音しました。ここでは彼らの録音に沿って簡単に曲を概観してみましょう。

    1. 序曲 (Overture) (5分弱) ……切迫した序奏に続いて、ポロネーズのリズムによる「アラ・ポラッカ」の主楽想が始まる。これが「メイン・タイトル」に当たる。中間部ではメランコリックな木管の合奏になり、緩やかなシチリアーノのリズムに乗って切ないメロディーが奏でられる。映画では後の部分で用いられるキューである。船員たちのホームシックであろうか。やがて主部が回帰する。
    2. 契約 (The Comission) (3分半) ……3つの連続したキューをまとめた曲。沈んだ曲想がしばらく続いた後、テンポが早まり、追い立てられるような音楽が続く。最後は初めの足を引きずるような主題が弦のピッツィカートで厳粛に奏される。
    3. ベアトリス嬢 (Dona Beatriz) (3分) ……たっぷりとした弦の合奏に始まり、すぐに弦のトレモロを伴奏とした管楽器とチェロがメランコリックな主題を示す……表情の起伏が大きい音楽が、激しい情熱を秘めた美女の性格を描き出す。断片的なキューをつなげてあるため、バランスのためダ・カーポされる。コーダでは堂々としたファンファーレが響く。
    4. 闘争 (Struggles) (1分半) ……低音楽器のユニゾンと打楽器だけで緊張感を盛り上げる筆力は大したものだ。間もなく不協和音が加わる。ダ・カーポが加えられている。
    5. 使節 (The Messenger) (1分) ……イサベラ女王の使節は一刻を争って馬を駆る。コロンブスに援助金が出たと知らせるために……切羽詰まった状況が描写される。ダ・カーポあり。
    6. 航海の始まり (The Voyage Begins) (2分半) ……グラーヴェ。いよいよ大海原に乗り出す時が来た……船乗りたちの心の震えを表すかのような、非常に雄大な楽想が展開される。
    7. 反乱 (Mutiny) (2分15秒) ……スタッカートの劇的な音型(序曲序奏で出た)が緊迫感を高め、さらにドラマティックな主題が現れる。長い航海で溜まった不満が爆発し、水兵たちは乱闘する。4つの異なったキューをつなげ、ダ・カーポしたもの。
    8. ついに陸地だ (Land at last) (1分15秒) ……堂々とした行進曲調の主題が、水平線に陸の影を認めた船員たちの胸の高まりを告げる。
    9. 鎖に繋がれたコロンブス (Columbus put into chains) (2分15秒) ……引き裂かれるような不協和音を背景に、反乱で捕らえられたコロンブスの悲惨な姿が描かれる。悲痛な行進曲調の歩みが聴かれる。
    10. スペインへの帰還 (Return to Spain) (2分15秒) ……アラ・マルチア 前曲後半に流れた悲痛な行進曲が、ここでは新世界を手に入れた人々の勝利の行進曲として華やかに繰り広げられる。途中で華麗なファンファーレが挟まれる。

     『コロンブスの探検』と同じ年、イギリス政府製作の国策ドキュメンタリー映画『音よりも速く (Faster than Sound) 』(1949) (日本未公開) の音楽も書いています。

    三文オペラ
    The Beggar's Opera
    製作年度:1952年
    上映時間:94分
    日本での公開:未公開
    製作■ローレンス・オリヴィエ/ハーバート・ウィルコックス
    監督■ピーター・ブルック
    サウンドトラック演奏■ミューア・マシースン指揮
    出演■ローレンス・オリヴィエ(マクヒース船長)/スタンリー・ホロウェイ/ジョージ・ディヴァイン(ピーチャム)/ドロシー・テューティン/ダフネ・アンダーソン/メアリー・クレア/ヒュー・グリフィス/ローレンス・ネイスミス/イヴォンヌ・フルノー
     ブリスの次の映画音楽は、1952年の『三文オペラ』です。但しブレヒト=ヴァイルの有名な音楽劇の映画化ではなく、その原作となった18世紀イギリスの風刺劇「乞食オペラ」(ジョン・ゲイ原作)を映画にしたものです。ブリスは当時の俗謡などをつなぎ合わせたペープッシュの音楽の編曲・追加を担当しました。

     1950年代以降、ブリスは大作曲家としての評価と栄誉を受けます。
     1950年、ナイトに叙され、1953年に女王エリザベス2世が王位を継ぐと、引退するサー・アーノルド・バックスの後を継いで「女王音楽顧問 (Master of the Queen's Music) 」、つまり英国王室楽長の栄職に就き、死ぬまでその地位にありました。

     ところで、女王音楽顧問は決して閑職ではなく、ちゃんとこなさなければならない仕事が定められていました。その一つは、王室の重要人物の外交訪問の儀式音楽を作曲することでした。
     1953年、王位を継いだばかりの若きエリザベス女王は、イギリス連邦歴訪の旅を終えてイギリスに帰ってきました。
     パテ社はこの様子を報じるニュース映画を製作しました。そしてそのために女王音楽顧問ブリスに作曲を依頼しました。
     これに応じて、ブリスは行進曲「ようこそ女王陛下 (Welcome the Queen) 」(1954)を書きました。浮き浮きするようなリズムに乗った、いかにもブリスらしい、リッチでゴージャスな行進曲です。中間部では、詩人John Pudneyが書いた2連(スタンザ)の詩がゆっくりと歌われます。ここはエルガー以来の伝統的な「威風堂々」の「希望と栄光の国」的な流麗なメロディとなっています。
     なお、ブリスが書いたのは映画のスコアのうちこの華々しいマーチだけで、残りの部分はマルコム・アーノルドが作曲しました。
     ブリスは演奏会用に短縮した版を作り、1954年6月19日の「お帰り」コンサートで初演されました。

    二十七人の漂流者
    Seven Waves Away
    製作年度:1956年
    製作会社:英 コーパ・プロダクション (Copa Production)
    上映時間:100分・白黒
    日本での公開:劇場公開
    製作■タイロン・パワー/テッド・リッチモンド/ジョン・R・スローン
    監督・脚本■リチャード・セール
    サウンドトラック演奏■ミューア・マシースン指揮
    出演■タイロン・パワー/スティーヴン・ボイド/モイラ・リスター/マイ・ゼッタリング/ジェームズ・ヘイター/ロイド・ノーラン/ゴードン・ジャクソン
    スコアの楽器編成:木管各2本ずつ、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、ティンパニ他の打楽器、弦5部。
     1956年の『二十七人の漂流者』は、ブリス最後の劇映画スコアとなります。
     これは救命艇で起こる生存をかけた争いを描く人間ドラマですが、戦時ではなく平時を背景にしている点を除けばヒッチコック監督の『救命艇』(1943)の二番煎じで、映画は大してヒットもせずに忘れ去られました。

     ブリスはこの映画の仕事には気乗りがしませんでした。最後の最後でミューア・マシースンに説得されてようやく重い腰を上げたのです。

     私は大して音楽スコアに関わっていませんでしたよ−−一種の主題歌としてハーモニカの節がありましたね。それにありきたりの−−何て言えばいいんでしょう?−−危機で慌てふためく音楽もありました。

    (『Film Dope』誌 1974年7月号)
     今では映画のプリントそのものも失われ、映像と一体になったブリスのスコアを聴くことは出来ませんが、自筆譜で3つのキューだけが残されています。但しそれがどんな場面に使われたかも分かりません。 ブリスの管弦楽曲の最高作と言われる「ジョン・ブロウの主題による瞑想」が書かれたのはこの前年です。特に3曲目にパワフルで充実した響きが聴けるのも道理です。

     ブリスは最後にもう一つ、テレビ・ドキュメンタリーのための音楽を残しています。
     1966年のクリスマスにBBC/ITVで放映された『イギリスの王宮』(1966) (日本未公開) です。
     気品に溢れた色彩豊かなオーケストラの扱いは名人の域に達しています。盛り上がる曲もあり、いつものブリスのエネルギッシュな面を堪能することもできます。
     サウンドトラックはミューア・マシースン指揮のシンフォニア・オヴ・ロンドンにより録音されました。イギリスではフランク・エリクソン (Frank Erikson) が吹奏楽用にやや短縮した編曲を作り、しばしば演奏会で取り上げられても来ました。


    =ブリス: 映画音楽リスト=

    凡例: <未> =劇場未公開
        <VD> =劇場未公開/ビデオ・タイトル
        <TV> =劇場未公開/テレビ放映時タイトル


    =ブリスの略歴=

     ケンブリッジ大学とロンドンの王立音楽大学に学ぶ。後者ではスタンフォードやヴォーン・ウィリアムズに師事。
     第1次大戦に従軍したのち、ストラヴィンスキーや6人組の影響を受けた作品を書く。
     初期のブリスは前衛的と非難されたが、実際に聴くとそれほど実験的なものではない。当時のイギリス音楽界は過度に保守的であった。
     その後、彼はイギリス音楽の伝統を踏まえたスタイルへ移行する。

    1919 ソプラノと器楽のための「暴徒」
    1921-22 色彩交響曲(1922) で注目を集める。
    1922-25 カリフォルニアに滞在、管弦楽曲「序奏とアレグロ」をストコフスキーに献呈。
    1930 合唱と管弦楽のための交響曲「朝の英雄たち」……イギリスの伝統に回帰。
    1934-35 映画音楽『来るべき世界』……映画音楽の古典
    1937 バレー音楽「チェック・メイト」
    1939 ピアノ協奏曲変ロ長調……ニューヨーク世界博覧会の異色作で注目を集める。
    1946 バレー音楽「アダム・ゼロ」
    1950 ナイトに叙される。
    1953 「女王の音楽師範(Master of the Queen's Music)」( = 英国王室楽長)の栄職に就き、死ぬまでその地位に。
    1964年11月 来日
    1975年3月28日 ロンドンで死去

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    更新日:2001/06/03

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