★ バリー・グレイの名は知らなくとも、『サンダーバード』の音楽を聴いたことのない人は、おそらくいないだろう。
 『サンダーバード』のみならず、1960年代から70年代前半に人気を博した英センチュリー21製作の特撮SFテレビ人形劇の音楽をほぼ一手に引き受けたのが、グレイだった。その音楽は、まことにゴージャスかつ本格的なシンフォニック・スコアで、「子供向け人形劇用音楽」などという姿勢は微塵も感じさせない。むしろ古今の交響的スタイルの映画音楽の中でも最良の部類に入ると言ってもいい。『スティングレイ』や『サンダーバード』の音楽でオーケストラ・サウンドに目覚めたクラシック音楽ファンも少なくないだろう。
 にも関わらず、彼は本職のクラシック作曲家ではなく、いわゆる軽音楽の分野で育った人だった。この辺に、1940〜1950年代のイギリス・ポピュラー音楽界の層の厚さを見ることも出来よう。

バリー・グレイ
= Contents =


 『サンダーバード』の音楽は今でも広く愛好されています。
 何もそこまでやらなくてもと思うくらいドラマティックに不協和音が高まり、一瞬の総休止ゲネラルパウゼが緊張の糸をこれでもかというほど引っ張ったのち、「バフー」という爆音と共にサンダーバードのメ力たちが発進していく。こうして子供たちは知らず知らずのうちに、シンフォニック・フコアの醍醐味を味わい尽くしていたのです。
 しかし、あの爽やかな音楽を書いた人物の素顔は、ほとんどと言っていいほど知られていません。

 以下では、バリー・グレイ作品の英 Silva 盤サウンドトラックCDのライナー・ノートに掲載のグレイの伝記をはじめ、様々な資料を参考にしつつ、グレイの実像と、その数々の名曲の生い立ちを探ってみましょう。

=バリー・グレイ:歩みと作品(ミニ評伝)=

生い立ちと青年時代

 バリー・グレイは1908年7月18日*にイギリスのランカシャー州(Lancashire)ブラックバーン(Blackburn)で生まれました。

* 生年は1925年とされることもありますが、1908年の方が正しいようです。

 本名はジョン・リヴジー・エックルズ(John Livesey Eccles)。音楽に造詣の深かった両親は、幼い頃からジョンに熱心に音楽教育を施しました。最初のピアノの先生は、ジョンの記譜と編曲能力について、「アヒルが水に入っていくように五線紙に向かっていく!」と感嘆したと言われます。
 彼は王立マンチェスター音楽大学(Royal Manchester College of Music)に入って和声と対位法、管弦楽法を学んだ後、22歳までブラックバーン大聖堂の音楽博士に和声法と対位法を教わり続けました。
 その後、ハンガリー出身の作曲家にして優秀な教師マーチャーシュ・ザイベル(マチアス・セイバー)(Matyas Seiber, 1905〜1960)から、いよいよ作曲を学びます。ちなみにザイベルはコダーイの弟子の作曲家で、他の教え子にはスウェーデンの作曲家イングヴァル・リードホルム(Ingvar Lidholm 1921〜 )などがいます。1950年代に『アニメ動物農場<VD>(Animal Farm)』(1954)、『武装強盗団(Robbery Under Arms)』(1957)等の映画音楽を書いたという点でも、バリー・グレイの先輩です。

 勉強を修了したグレイは、ロンドンの音楽出版社フェルドマン商会(B. Feldman & Co.)で働き始めます。彼の仕事は、様々な劇場やヴァラエティ・ショー、大小の放送楽団等のための音楽を書くことでした。
 その後、1930年代にはノルマンディ放送(Radio Normandy)に移り、中央ロンドンのポートランド・プレイス(Portland Place)にある商業放送局で作曲家・編曲家として活躍します。
 こうした経験が、後の彼のキャリアを築く貴重な基礎となるのです。

 第2次世界大戦が始まると徴兵され、戦争終結までの6年間、イギリス空軍(R.A.F.)で従軍し、アフリカ、インド、ビルマで軍務に就きました。この経験もまた、彼が後に、航空機や宇宙ロケットのための疾走感溢れる爽やかな音楽や、異国風エキゾティックな音楽を得意とする上で、大切な土台となったものと思います。



フリーランスの作曲家・編曲者としての活躍

 1946年、軍務が解けると彼はロンドンに戻り、フリーランス(自由契約)の作曲家・作詞家として、様々な出版社や、ラジオ、レコード、それにデンハム(デナム)(Denham)撮影所の映画のために音楽を書いて生計を立てるようになりました。
 BBC(イギリス放送協会)の番組のために、膨大な量の伴奏音楽の作曲やオーケストレーションの仕事を始めたのもこの頃です。その中には、多彩な芸人テリー=トーマス(Terry-Thomas)の人気ラジオ・シリーズ「テリーと町へ(To Town with Terry)」も含まれます。また、様々なアーティストのバラエティー・ショーの音楽も担当を始めました。
 1947年、彼は実名ジョン・リヴジー・エックルズで「演奏権協会(Performing Right Society)」に加わりますが、後に法的手続きを取って、「ジョン・リヴジー・バリー・グレイ(John Livesey Barry Gray)」と改名します。
 ここに我らが「バリー・グレイ」が誕生したのです。
 なお、この頃からしばらく作詞家としても活動したようです。脚本家・映画プロデューサーのエドワード・ドライハースト(Edward Dryhurst)と組むことが多く、ドライハーストが自分で製作・脚本を担当した映画のために作曲した歌に、バリー・グレイが歌詞を付けています。エドモン・T・グレヴィル(Edmond T. Gréville)監督の『罠(The Noose)』(1948)<未> の挿入歌「恋があなたを通り過ぎた時(When Love Has Passed You By)」(ジャン・キャヴァル(Jean Cavall)と共同で作詞)、同監督の『ロマンチック時代(The Romantic Age)』(1949)<未>からの「パリの雨の日に(On a Rainy Day in Paris)」、それにヘンリー・カス(Henry Cass)監督『空の城(Castle in the Air)』(1952)<未> の「あなたの心が行く(There Goes Your Heart)」などがそれです。

■グレイ・コラム1■ 

=バリー・グレイの作曲法=

 バリー・グレイはどのようにしてあの数々の名曲を生み出したのでしょう?
 グレイは自分の作曲の秘密について、次のような言葉を残しています。

 テーマ音楽の作曲は、誰でもが出来るし、誰も出来ないものでもあります。有り難いことに、私は誰かに何か書くよう頼まれると引き金が引かれる一種のメカニズムを持っていて、私はエピソードや映画を観て、映画が必要とするタイプの音楽の引き金を引くものを得るのです。
 また、私はプレッシャーがある時、一番いい仕事が出来ます。もし明日朝までに書き上げなければならないとすれば、明日の朝までに仕上がるでしょう。それは生まれつきのものです。

 うう、凄い……我々凡人は「はぁ」とただただ頷くしかありません。
 1949年初め、グレイは、第2次大戦時に歌姫として多くの歌謡曲をヒットさせ、“イギリス軍の恋人(Forces Sweetheart)”というニックネームで愛された国民的な人気女性歌手、ヴェラ・リン(Vera Lynn)の伴奏者兼アレンジャーになります。大戦後いったん引退を表明したリンですが、1946年のクリスマスから録音を再開、1947年末までにはほぼ完全に復帰し、1948年には、アメリカの音楽家組合が大規模なストライキを決行したタイミングを利用して、レコード会社デッカ(Decca)が彼女の音源を発売したことで、アメリカでも人気が高まっていました。
 グレイは彼女のステージやデッカの録音、ラジオ、テレビのショーのための編曲と伴奏を担当し、ヴェラ・リン及びその夫と、約10年に亘り、大変良好な関係を築いてゆきます。その最初の2年間に、グレイとヴェラ・リンは、トニー・ハンコック(Tony Hancock)やジミー・エドワーズ(Jimmy Edwards)と共に、アデルフィ劇場で「ロンドン大爆笑(London Laughs)」と呼ばれるショーに出演し、その後一緒にデンマーク、オランダ、ベルギー、ブリュッセル、ドイツを公演して回りました。
 リン夫妻との友情は終生続きました。

 バリー・グレイが組んだのはヴェラ・リンだけではありません。スタンダードの名曲「スターダスト」で有名なホーギー・カーマイケルや、1950年代に人気だった浮浪児出身の女性エンターテイナーで、日本の童謡「証城寺の狸囃子」(野口雨情作詞、中山晋平作曲)を英語でカヴァーした「ショー・ジョー・ジ」(1955)でも知られるアーサ・キット(Eartha Kitt)らの伴奏者・音楽アドヴァイザーも務めました。
 テレビの音楽も書いています。彼が作曲した、グラナダ・テレビのドラマ『我が心は高地地方に(My Heart's in the Highlands)<未>の伴奏音楽や、エッソ石油、タイフー紅茶(Typhoo tea)、ウォールズ・アイスクリーム(Walls ice-cream)のような商品の初期のテレビ・コマーシャルの音楽やジングルは、イギリスの歴史で最も早いテレビ音楽の一つと言えるでしょう。


ジェリー・アンダーソンとの出会い

 1950年、グレイはロンドン北部にある自宅に「ノース・ロンドン録音スタジオ(North London recording studio)」を設立しました。それは電子音楽と実験的音響の製作に重点を置いたスタジオでした。グレイは以前から電子楽器に強い興味と関心を抱いていたのです。
 グレイは、ノース・ロンドン・スタジオで、CMの伴奏音楽やBBC、ヴェラ・リンとの仕事を行いました。これに加え、ヴェラ・リンとのヨーロッパ・ツァーやテレビ番組の仕事が入り、バリー・グレイは多忙になってきます。

 ところで、デッカから発売されたヴェラ・リンのアルバム「ヴェラ・リンの 子供たちの歌(Vera Lynn's Songs for Children)」のためにグレイが編曲した歌の中に、女性絵本作家ロバータ・リー(Roberta Leigh)が作詞作曲したものが含まれていました。これを縁にグレイと知り合ったリーは、自分の原作がテレビ番組の企画が採用された時、その番組の音楽監督にグレイを推薦します。これがグレイを特撮人形劇の世界へと引きこんでゆくのです。
 リーが自分のキャラクターとアイデアを売り込みに訪れたのは、APフィルム社(AP Films, Ltd.)という小さなテレビ番組製作会社でした。そこの創設者兼プロデューサーのジェリー・アンダーソン(Gerry Anderson)は、共同経営者アーサー・プロヴィス(Arthur Provis)と共に、彼女の原作による連続(シリーズ)人形劇『トゥイズルの冒険(The Adventures of Twizzle)』(1957-58)<未> の製作を決定し、リーと契約を結ぼうとしました。その時、彼女は契約書に「音楽監督にはバリー・グレイが指名されるべし」と書かせたのです。
 但し、リーが望んでいたのは、グレイに伴奏音楽を作曲してもらうことではなく、音楽には素人の友人レスリー・クレア(Leslie Clair)がテープ・レコーダーに吹き込んだ鼻歌を、番組用に編曲してもらうことだったのです。
 1956年のある日、リーはジェリー・アンダーソンをロンドンにあるグレイの家に連れて行き、二人を引き合わせました。鼻歌テープを聞かせると、彼らはさっそく『トゥイズルの冒険』の音楽に関する議論を始めました。
 この出会いこそ、今後18年に亘ってバリー・グレイとジェリー・アンダーソンの才能を結び付け、テレビ音楽の世界を変えていく端緒となる、その歴史的な瞬間だったのです。
 後にバリー・グレイは、ジェリー・アンダーソンをこう評しています。

 音楽家ではないにしても、ジェリーは、シリーズや映画にふさわしいと思う音楽の種類に関しては非常によく知っています。

 また、子供番組の音楽のスタイルに関しても、彼らは意気投合しました。グレイは晩年のインタヴューでこう述べています。

 アンダーソンの番組のごく初期の頃、人形劇番組のために子供っぽい音楽を書かないというのはジェリーの考えであり、番組のスターが人形だという事実を音楽に影響させるべきではないのです。普通の方法で映画に〔音楽を〕書くべきであり、これは私がいつもやってきたことです。私は子供たちのために質を落として書いたことはありません。私は感じたままにスコアを付けました−−言い換えれば、人形たちを、あたかも生身の人間のように扱いました。そしてそれが、これらのシリーズ全部を通して多少なりとも私たちがやり続けたことだったのです。

 『トゥイズルの冒険』の製作が始まり、最初の録音セッションが1957年9月6日にロンドン北部エルズトリー(Elstree)のゲイト・スタジオ(Gate Studios)で行われました。この場に居合わせたアンダーソンは、グレイがクレアの単純なハミングを、いかに魅力的なオーケストラの音色に変貌させていくかを目の当たりにし、すっかり感服してしまいました。
 なお、この時は13の楽器という編成で、そこには当時有名なギタリスト、バート・ウィードン(Bert Weedon)も加わっていました。ダンス・バンドからこの道に入り、1950年代にはポピュラー音楽やロックンロールのセッションにも参加。ドイツの老舗楽器メーカー、ヘフナー製のギターを愛用したことでも知られる人です。

 『トゥイズルの冒険』が好評だったため、その後番組も、やはりロバータ・リーの原案による『電池少年トーチー(Torchy the Battery Boy)』(1957-59)<未> に決まりました。グレイも再び呼ばれました。今回はリーが彼女自身の歌をテープレコーダーに吹き込み、それをグレイが素敵なオーケストラ曲に編曲しました。その最初のセッションは1958年3月9日に行われましたが、スタジオはロンドン北西部のドリス・ヒル(Dollis Hill)にある彼の自宅でした。グレイは1958年初め、自宅を改造し、録音スタジオ1室、音響スタジオ1室からなるスタジオを設営していたのです。家の周囲には卵ケースが貼り付けられ、防音が施されていました。
 後にHMV からは、ロバータ・リーが全部の声をやっているトゥイズルの歌のレコード・アルバムが発売されました。

 『トーチー』の仕事が終わると、グレイはBBC管弦楽団と一緒に子供向けの特別音楽番組に携わりました。グレイは「ダンピイ(Dumpy)」という小さなキャラクターを考え出しました。ダンピイが世界中を訪れて各国について説明している間、オーケストラがその地域にふさわしい音楽を演奏するという趣向です。
 この番組を観たジェリー・アンダーソンは、音楽をグレイが担当していることを知り、改めて彼の才能に感嘆して、次のテレビ人形劇シリーズ『ウエスタン・マリオネット 魔法のけん銃』の作曲家として、彼を招きました。
 こうしてジェリー・アンダーソンとの長い、緊密な協力関係が、いよいよ本格的に始まったのです。


初期の特撮人形劇スコア

 『ウエスタン・マリオネット 魔法のけん銃(Four Feather Falls)』(1959-60)はグレイが初めて全ての音楽を一人で作曲したシリーズです。音楽だけではありません。グレイはアンダーソンと共にこの企画に原案段階から関わり、物語の大枠を決め、番組名をあみ出し、あまつさえ脚本の一部にも参加したのです。

■グレイ・コラム2■

=オーケストラ・サウンドを愛したグレイ=

 バリー・グレイは若い頃は、小規模のバンドのために大量のポピュラー音楽の編曲をこなしたり、ポピュラー・ソングを作ったりしていました。その後、ジェリー・アンダーソンとの仕事の中でも、子供向けの親しみやすい主題歌を多く作っており、ソングライターとしての顔がよく知られています。
 他方、電子機器を用いて音響作品を作るのが好きで、宇宙空間の不気味な雰囲気などを見事に映し出したため、他の映画で電子音響担当として呼ばれたこともあります。
 しかし、グレイが本当にやりたかったこと、それはオーケストラを使ったシンフォニック・サウンドを豪快に響かせることなのです。
 彼自身に語ってもらいましょう。

 私の音楽に対する愛は、大交響楽団のために作曲し、オーケストレーションを施すことにあります。

 私は大交響楽団のために作曲し、オーケストレーションを施すのを何よりも好みます−−私のキャリアの中には何回も電子〔音楽〕の道を下らなければならないことがありましたが。

 ポピュラー歌曲を書くことと、シンフォニックな管弦楽曲を作曲することはスタイルとして衝突することはないのでしょうか?

ポピュラー・メロディを書くことは、私が関わった限り、ドラマ的に構成されたスコアを作曲する必要性と衝突することは、全くありませんでした。交響管弦楽のための多くの偉大な作品は、分析されているように、基本的には、単純なポピュラー・タイプの主題であり、それを非常にクラシカルに響かせているのはオーケストレーションです。それは単純なメロディよりもずっと大きく関わっているのです。

 グレイはBBC向けにかなりの台本を書いていました。アンダーソンはこれを知って、新しいシリーズの最初の回の脚本をグレイに頼みました。グレイは、『フォー・フェザー・フォールズの魔法の街(The Magical Town of Four Feather Falls)』と題されていた原案のフォーマットを発展させ、ロバータ・リーの人形劇とは違った、大人も楽しめる番組として、パイロット版の脚本の草稿を書き上げました。その出来栄えに喜んだアンダーソンは、1958年にグラナダ・テレビと放映契約を結びます。
 『魔法のけん銃』の音楽は、当然ながら、グレイがすべて作曲しました。その中には、冒頭の主題歌「カッラ・マ・コーヤ・カッラ(Kalla Ma Kooya Kalla)」や、人気ポピュラー歌手マイケル・ホリデイ(Michael Holliday)が歌う5つの西部劇の歌も含まれています。
 音楽の収録は、またもやドリス・ヒルにある彼の自宅スタジオで、1959年3月15日から始められました。歌の伴奏コーラスはその10日後、「マイク・サムズ・シンガーズ」と12人編成の楽団によって録音されましたが、マイケル・ホリデイのメイン・ヴォーカルは、2ヵ月後の5月20日に、エルズトリーのゲイト・スタジオで別途レコーディングされました。
 マイケル・ホリデイという歌手は、マーティ・ロビンス(Marty Robbins)の歌で1957年に発表された作曲家バート・バカラックの初のヒット曲「ストーリー・オブ・マイ・ライフ(Story of My Life)」を翌1958年にカバーし、全英1位の座を獲得した歌手です。『魔法のけん銃』録音時には最も脂の乗っていた歌手と言えるでしょう。実に朗々としたいい声です。ホリデイはトミー・ライリー(Tommy Reilly)のハーモニカ伴奏で主題歌の他、「魔法のけん銃(Four Feather Falls)」、「リックリッカロケット列車(Rick-Rick-A-Rockety Train)」、「幽霊ライダー(The Phantom Rider)」、「楽しい心と親しげな面々(Happy Hearts and Friendly Faces)」、「テキサス二挺拳銃テックス(Two Gun Tex of Texas)」という5曲の挿入歌を歌いました。ちなみにホリデイはこの直後、ボクサーのフレディ・ミルズ(Freddie Mills)のスキャンダルに巻き込まれ、1963年に自殺してしまいます。

 但し、グレイの音楽にとってホリデイより重要だったのは、「マイク・サムズ・シンガーズ(The Mike Sammes Singers)」です。このコーラス・グループは、1950年代から70年代に至るイギリスのポップスのほとんど全てのバック・コーラスを歌ったと言われるほどの人気でした。リーダーのマイク・サムズ(1928〜2001)は第2次大戦後ヴォーカル・グループを結成、レコーディング・ビジネスに進出して、1950年代後半以降ほぼ20年間に亘り、大活躍をしました。
 マイク・サムズ・シンガーズは、トム・ジョーンズ、エンゲルベルト・フンパーディンク、トニー・ベネット、レイ・チャールズ、サミー・デイヴィス・ジュニア、アンディ・ウィリアムズ、バーブラ・ストライザンドほか、有名どころも無名どころも含めたあらゆる歌手、サウンドトラック、ラジオ番組、ラジオ・スポット等の伴奏コーラスを歌いました。その人気ぶりは、1週間に6日、1日に4セッションも重ねたというほどで、1959年のある日には、クリスマス・ソングの「リトル・ドラマー・ボーイ」を、朝はデッカ(Decca)でベヴァリー・シスターズ(the Beverley Sisters)と、午後はパーロフォン(Parlophone)でマイケル・フランダース(Michael Flanders)と、夜は彼らだけでフォンタナ(Fontana)に、と同じ歌を異なるアレンジで3回も続けて録音したこともありました。
 『魔法のけん銃』でマイク・サムズ・シンガーズを起用したバリー・グレイは、その後も『スティングレイ』『サンダーバード』『キャプテン・スカーレット』などで彼らを使い続けるのです。

 その後グレイは、ジェリー・アンダーソンの撮った実写映画−−当時珍しかったテレビ長編映画『犯罪へのわかれ道(Crossroads to Crime)』(1959)<未> の音楽を引き受けます。それは当時流行の先端だったエレキ・ギターを使ったアップ・テンポな曲で、映画の内容に合わせてちょっと脅迫的な、神経質なスコアになっています。1960年6月21日に録音されたこの曲は、後に『キャプテン・スカーレット』に転用され、「ブラック大尉を探せ(Manhunt)」の回の前半で、ガレージ工のラジオから流れてきます。


電子音楽への興味

■グレイ・コラム3■

=電子音楽が好きだったグレイ=

 「あれ? さっきバリー・グレイはオーケストラ・サウンドを愛していたって言わなかったっけ?」
 その通り。でも、彼は同時に、電子音楽にも夢中になっていたんです。

 私の音楽に対する愛は、大交響楽団のために作曲し、オーケストレーションを施すことにあります。でも私は早い頃から、電子楽器に興味と大いなる好奇心を持っていました。〔中略〕私が興味を持った〔中略〕楽器はテルミンです。〔中略〕私は1959年にこの楽器を1台手に入れました。〔中略〕私は我々の全てのシリーズで、これを様々なやり方で使いました。

 グレイの電子音楽は、シンセサイザーのように通常の調性音楽を単に電子楽器で弾いたものではなく、むしろ第2次大戦後の前衛音楽で追求されたような、音響実験に近いものでした。そこにはメロディ的要素はほとんどありません。

『謎の円盤UFO』のような番組の電子音楽のいくつかでは、そのエピソードもしくはシリーズ全体で用いているオーケストラの音楽との間に、ちょっとしたメロディ上の関連を持たせたこともあります。しかし概して言えば、私の電子音楽のほとんどは、音楽と言うより、私が電子的効果音(electronic effects)と呼ぶものでした。

電子音楽はほとんどの場合、研究所や宇宙、非常に不思議で多分奇妙ですらあるシチュエーション、星々の煌めくシークエンスといったような事物に関連した映像にのみ、適しているのではないかと思います。〔中略〕私は今日のシンセサイザーの使用を大変評価していますが、普通の音楽をシンセサイザーのために書くスコアリングには付いて行けません。このいい例は、私にとっては『炎のランナー(Chariots of Fire)』(1981)です。とても単純な音楽ですが、マルチ=トラック・シンセサイザーで生み出された音楽はとても映画に合っています。しかし映画の出来事は1924年頃であったために、私はシンセサイザーのサウンドにあまり注意は払いませんでした。それは大オーケストラの外観を有しているのに、あなた方はなおもそれはシンセサイザー・サウンドだと言うのです。私が感じるのは、電子音楽は、私が言ったその他のシチュエーションに対してのみ適している、ということです。

 この頃、バリー・グレイは電子音楽に対する興味を強めていました。
 すでに1950年、北ロンドンの自宅に自分のスタジオを立ち上げた時から、彼は戦後現代音楽の産物である電子音楽に注目し、手作りの楽器で音響や録音技法の実験を重ね、その成果を、ヴェラ・リンや、テレビ・コマーシャルの録音に応用してきました。
 ロンドンのドリス・ヒルの自宅に録音スタジオを設置した1958年には、米アンペックス(Ampex)社製の最も初期の4トラックのイン=ライン録音機(4- track in-line recorder)や、3台のEMIマシン(3〜18ipsまでの様々な速度のステレオ再生機を含む。うちTR90マスタリング操作台はその後もずっと使用)を揃え、多重録音を可能にしました。
 1959年には、電子楽器オンド・マルトノを1台購入し、北ロンドンの自宅の録音スタジオに備え付けました。オンド・マルトノはテルミンから発達したフランスの楽器で、内部の発振器で音波を生成するのはテルミンと一緒ですが、音程のコントロールを鍵盤で行うので、ずっと演奏しやすくなっています。彼はその演奏法を、パリで直接、発明者のモーリス・マルトノその人から1ヶ月にわたり、みっちりと教わりました。
 1950年代末から60年代初めにかけてグレイは、BBCの「ラジオ音響研究班(Radiophonic Workshop)」と呼ばれる有名な電子音楽製作チームにも関与していたようです。このワークショップは、SF連続テレビ・ドラマ『ドクター・フー』に電子音楽と効果音を提供したことでも有名ですが、ビートルズの伝説的プロデューサー、ジョージ・マーティンもこの組織に協力し、1962年にはチーム・メンバーとの共作をリリースしています。『ドクター・フー』の電子音と、1967年のビートルズの名盤「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の音響実験、それに『サンダーバード』の宇宙の効果音が同じルーツを持っているかも知れないと考えると、何ともわくわくしてきます。

 同じ頃、APフィルムのジェリー・アンダーソンから新しいSFテレビ・シリーズ『スーパーカー(Supercar)』(1960-61) への作曲依頼がありました。
 第1シーズンの主題歌は、1960年10月8日にポートランド・プレイスのIBC録音スタジオ(IBC Recording Studios)で12名の音楽家によって録音されました。「すーぱーかー、すーぱーかー」と朗々とした声で歌う歌手の名は、クレジット画面に表記されていませんが、ゲイリー・ミラー(Gary Miller)だと言われます(マイク・サムズという説もありますが、マイクの回想録に言及がなく、根拠が乏しいようです)。
 エピソードを伴奏するキューの多くもこの日にまとめて録音されました。アンダースコアの音楽には、実験的な電子音楽を見出すことも出来ます (例えばイギリス放映第5話(日本放映第8話)「気球追撃(What Goes Up)」の「高空軌道(High Orbit)」というキュー) が、むしろ様々なオーケストラの楽器がきらびやかな音の動きを聴かせて楽しさを高めているのが印象的です。その中には、その後のシリーズで繰り返し使われるようになるグレイ自身のお気に入りのキューも少なくありません。
 例えば、第2話(第3話)「アマゾンの冒険(Amazonian Adventure)」で使われた、明るい冒険心溢れる「楽しい飛行(Happy Flying)」や、休日の気分を横溢させた「愉快なテーマ(Pleasant Theme)」という音楽が、その後もライブラリー音源として多くの他の番組で利用されます。同じく10月8日に収録された「街の灯り(City Lights)」というキューも、最後から2番目に製作された第38話(第28話)「海底のスパイ基地 (Transatlantic Cable)」で登場して以降、続く『スティングレイ』と『サンダーバード』を通じて頻繁に使われます。
 なお第1シーズンに於いては、バリー・グレイの音楽の他に、『セイント・天国野郎(The Saint)』(1962)や『秘密指令(Danger Man)』(1964)等のテレビ・シリーズの音楽で有名なエドウィン・T・アストレーによるライブラリー音源も使われています。
 『スーパーカー』第1シーズン26話は、娯楽番組を意欲的に開拓していたテレビ局ATVの副社長(当時)ルー・グレイド(配給会社ITCの社長を兼務)の目に留まり、ATVで放送されました。
 陸海空を自由に行き来できるスーパー・メカの活躍を描く『スーパーカー』は、アンダーソン独特の、特撮を駆使した空想科学人形劇「スーパーマリオネーション」*の最初の作品として、個性的な人形、テクノロジーを駆使した操演法、奇抜な小道具、それに秀逸な特殊効果で視聴者を魅了し、海外でも成功を収めました。その音楽も軽快で、グレイの作品の中でも最初の世界的な大ヒットとなったのです。

* 「スーパーマリオネーション (Supermarionation)」という造語は、『スーパーカー』第2シーズンのエンドタイトルからクレジットされました。

 好評の結果、『スーパーカー』は第2シーズン13話の追加製作が決まりました。
 そこでバリー・グレイは第2シーズン用の主題歌を作曲し、1961年8月22日にIBCスタジオへマイク・サムズ・シンガーズなど14名の演奏家たちを集め、録音を行いました。予算不足のため、この録音セッションにかかった136ポンドは、グレイが自腹を切りました。
 エピソードの撮影は1961年10月上旬からスタートし、アンダースコアの録音セッションは、これを追うように、11月8日、20日(これ以降録音場所をCTSスタジオに移します)、12月4日、それに翌1962年1月30日と断続的に続き、15名内外の楽団でキューを録音してゆきました。エドウィン・アストレーのストック音源も使われた第1シーズンとは異なり、第2シーズンではグレイが全ての音楽を書いています。そのうち、第36話(日本第29話)「脱獄囚 (Jail Break)」の回のスコア「脱獄組曲(Jail Break Suite)」は、一部が『サンダーバード』の「世界一のビルの大火災(City of Fire)」で一瞬引用されます。

 『スーパーカー』第2シーズンの伴奏曲の録音を終えたグレイは、ロンドン郊外の産業都市スラウ(Slough)にあるAPフィルム撮影所に戻りました。次なるジェリー・アンダーソンの番組、初のSFシリーズ『宇宙船XL−5(Fireball XL5)』(1962)の製作が始まっていたからです。もはやアンダーソンの世界にとって、バリー・グレイの音楽は不可欠となっていたのです。
 未来の宇宙を舞台にした『宇宙船XL−5』は、オンド・マルトノの未来的音響にうってつけの活躍の場でした。グレイがお得意の電子音楽を本格的にスコアに導入するのは、この『宇宙船XL−5』以降のことです。
 1962年2月4日、大ロンドン市(Greater London)南西のバーンズ(Barnes)にあるメロディスク(Melodisc)社のオリンピック音響スタジオ(Olympic Sound Studios)を初めて使って、『宇宙船XL−5』の音楽が13人編成で録音されました。ここでグレイは前作以上に多彩な電子サウンドを豊富に用いています。オープニング・テーマ曲「ゼロG(無重力)(Zero G)」にはグレイが演奏するオンド・マルトノが絡み、劇中では他にも電気スチール・ギター、ハモンド・オルガン、イギリス製ミラー・スピネッタ(Miller Spinetta)、二段鍵盤楽器などの電子楽器が使われます。これに加えてアンペックス社製4トラック・イン=ライン録音機、EMI製TR90マスタリング操作卓、様々なマルチ・トラック・レコーダー等々の録音・テープ機器が音を混合・変調し、グレイ独自の電子的な“スペース・サウンド”を作り出し、宇宙の神秘や、未知の惑星の不気味な雰囲気を醸し出したのです。
 こうした音響を、グレイは実際はどのような環境下で生み出していたのでしょうか。

 私が初期のジェリー・アンダーソンのシリーズのために電子音楽を書き始めたあの時分は、電子音楽の製作は、今とは全然違った、大変なてんやわんやの代物でした。あの当時はテープ編集に頼る他なく、また有効な基本サウンドを得るためにはどんな楽器でも使いました。あの頃は電子スチール・ギターを、ハモンド・オルガンと共にしょっちゅう使うしかなく、私は基本的にはテープに向かって仕事をしていました。 (バリー・グレイ)

 エレクトロニック・ミュージックだけではなく、第5話(第1話)「呪われた惑星(The Dommed Planet)」の回の「フォーミュラ・ファイブ(Formula Five)」等のジャズ・ピースも多く作曲されました。エンディング・テーマは「ザ・ベンチャーズ」風のサーフ・ロック・スタイルの「ファイヤーボール(Fireball)」で、チャールズ・ブラックウェル(Charles Blackwell)の編曲により、1962年6月1日にIBCスタジオで、ドン・スペンサー(Don Spencer)の歌、10人編成バンドの伴奏で録音されました。この歌は1963年にHMVによりシングル盤で発売され、1963年3月21日以降12週続けてヒット・チャート入りを記録しました(但し最高でも32位でしたが)。
 そして、オーケストラを使った劇中のアンダースコア。1962年6月1日に20人編成の管弦楽で録音された第1話(第2話)「危うしヴィーナス (Planet 46)」のためのセッションを皮切りに、1963年にかけて10名前後の編成で録音されていったこの音楽(実際に作曲されたのは最初の10話程度)も、大胆な不協和音も使いながら、ドラマティックな表現力を大きく膨らまし、シンフォニックなスケール感すら感じさせるようになっていました。
 第10話(第13話)「宇宙大サーカス (Flying Zodiac)」では、主人公スティーブ・ゾディアック大佐が夢の中で空中ブランコ乗りとして現れる場面で、華々しいファンファーレを特徴とする「サーカス・バンド(Circus Band)」というキューが流れますが、この曲は、その後のシリーズでも、祝賀シーン等で繰り返し使われます。


シンフォニック・スコアの確立

 次なるジェリー・アンダーソンのプロジェクトは、『海底大戦争/原子力潜水艦スティングレイ(Stingray)』(1964-65)でした。世界海底安全パトロール隊(WASP)所属の原子力潜水艦スティングレイ号の乗組員たちの冒険を描くこの特撮人形劇(スーパーマリオネーション)は、カラーで撮影された彼らの最初のシリーズとして、これまでより多くの予算を与えられました。その結果、バリー・グレイはこれまでのどの作品よりも大きな32人編成の管弦楽団を雇うことができ、壮大なオーケストラ・サウンドを実現することになるのです。
 野性的なオープニング・タイトルは、ジェリー・アンダーソンから伝えられたイメージとタイミングを元にグレイが作曲し、その音楽に合わせてアンダーソンがフィルムを編集したものです。
 このタイトル曲は1963年8月9日、パイ(Pye)・レコード社の「パイ・スタジオ(Pye Studios)」で録音されました。また、歌手ゲイリー・ミラー(Gary Miller)は軽快かつポップなオープニング・タイトル「スティングレイ(Stingray)」と、エンド・クレジット用のメロウなバラード「アクア・マリーナ(海のマリーナ)(Aqua Marina)」を歌い、ソプラノ歌手ジョーン・ブラウン(Joan Brown)と、マイク・サムズ・シンガースの5人のメンバーがバックを付けました。どちらも名曲です。
 実はエンド・テーマ「アクア・マリーナ」は、2ヶ月前の6月10日にウェンブリー(Wembley)のCTSスタジオで録音されていました。このセッションではロイ・エドワーズ(Roy Edwards)がジョーン・ブラウンと5人の男声コーラスを伴奏に歌いましたが、セッション・テープ全体が破棄され、最初の「アクア・マリーナ」の録音も失われてしまいました。
 スコアの録音セッションは、主題歌が録音された1963年8月以降、翌1964年2月にかけて、主にパイ・スタジオで(時にはグレイの自宅で)録音されてゆきます。

■グレイ・コラム4■ 

=オーケストレーションの秘密?=

 バリー・グレイの音楽の魅力の一つは、明るい音色のオーケストレーションですが、これを彼はどこで身に付けたのでしょう?
 グレイは若い頃、リムスキー・コルサコフの『管弦楽法原理』と、ベルリオーズの『近代の楽器法と管弦楽法』を熱心に勉強し、管弦楽法の基礎をしっかり自分の物とします。まずは勉強が大事ということでしょうか。
 この土台の上に、スタジオ・ミュージシャン、アレンジャーとしての豊富な経験が積み重ねられ、R・コルサコフでも、ベルリオーズでもない「バリー・グレイ」の音色を生み出していったのです。
 映画音楽の場合、時間の節約のため、オーケストレーションを専門家 (オーケストレイター) に任せることは良くありますが グレイは、作曲家たるもの、自分の曲のオーケストレーションを他人に任せるべきではないという確固たる考えを持っていました。その「音」が実際の音符と同じく重要であると考えていたからです。
 彼は音色に非常に敏感な作曲家でした。電子音楽にのめりこんだのも電子工学の進歩がもたらす新しい音色の可能性に惹かれたからでした。
 『スティングレイ』のスコアで特筆すべきことは、楽団が30人編成と大きくなったため、音楽が交響的スケールを持ち始め、それに合わせてバリー・グレイのスコアも輝きを増してきたということです。例えば、イギリス放映第1話(日本放映も第1話)「海底魔王タイタン(Stingray)」のスコアを聴いてみて下さい。スピード感溢れるオープニング・テーマを様々に変奏した、勢いのある音楽となっています。
 これらの中からは、後にまで受け継がれる名曲も生まれてきました。
 中でも、イギリス放映第15話(日本放映第20話)「お化け真珠貝(Secret of the Giant Oysters)」のエピソードのために書かれた「真珠貝たちの行進(March of the Oysters)」が有名です。この曲は人気となり、1965年にチャペル(Chapell)から主題歌「スティングレイ」のインストゥルメンタル・ヴァージョンがシングル盤で発売された際、B面にカップリングされたほどで、後の『サンダーバード』にも転用されます。
 また、同第6話(同第8話)「海底戦車あらわる(The Big Gun)」のスコアも、海底戦車のきびきびしたマーチといい、ソラスター海底基地の雄大で華麗なテーマといい、名曲揃いで、これらはストック音源化され、次回作『サンダーバード』等で大いに利用されます。
 第9話(第7話)「あっ!時限爆弾 (Count Down)」で、トロイ艦長たちが海底生まれの美女マリーナの部屋を楽しく飾り付けるシーンではユーモラスな音楽が流れます。これは『サンダーバード』では「公爵夫人」というキュー・タイトルで何回も使われる有名なライブラリー音源ですが、ここではそれがオリジナルの姿でフルコーラスの長さで聴くことでできます。
 第13話(第3話)「ネス湖の怪獣(Loch Ness Monster)」で聴かれる「高地の音楽(Highland Music)」も、後に『サンダーバード』に転用されます。「イージー・ラジオ・リスニング・ミュージック(Easy Radio Listening Music)」と呼ばれるBGM用小品も、その後のほぼ全てのアンダーソンのシリーズに顔を見せますが、元来は『スティングレイ』のために書かれたものです。
 その他、『サンダーバード』で使われるシンフォニックなアンダースコアの半分くらいは、すでに『スティングレイ』で顔を見せているという感じです。
 オーケストラ曲以外にも多くのバンド音楽が書かれています。例えば第29話(第38話)「タイタン、ロカビリーにイカれる(Titan Goes Pop)」では、劇中の人気ロックン・ロール歌手が「叫びたいことがある(I got Some Thing to Shout About)」を歌います。
 また、第15話(第20話)「お化け真珠貝(Secret of the Giant Oyster)」の初めの方で、スティングレーのテーマと重なって、ハードボイルド風のジャズが流れてきます。これは続く第16話(第21話)「半魚人大襲撃(Raptures of the Deep)」で、もっとはっきりしたジャズの形式を取って、悪人たちのテーマとして使われますが、この曲が最も重要な役を演じるのは第31話(第27話)「そこに爆弾が!(Tune of Danger)」です。このエピソードには「マリンビル・ジャズトリオ(WASP's Jazz Trio)」が登場し、何曲かのジャズ・ナンバーを演奏するのですが、そこで彼らがマリーナの故郷ダンマリニア海底王国(Pacifica)へ捧げる新曲として披露するのが、「海底のブルース(Blues Pacifica)」と題されたこの曲なのです。サウンドトラックは、ゴードン・ラングフォード(Gordon Langford)のピアノ、ジョー・マンデル(Joe Mundele)のベース、アラン・ガンレイ(Alan Ganley)のドラムスにより、1964年2月19日に録音されました。

 ※ 『スティングレイ』の主な録音セッション
    <話数は英国放映順(カッコ内は日本での再放送時話数)、邦題は2004年発売DVDボックスによる>
録音年月日 録 音 内 容楽器編成等
1963年6月10日 エンディング曲「アクア・マリーナ(海のマリーナ)」 歌:ロイ・エドワーズ、ソプラノ:ジョーン・ブラウン
合唱:5名
1963年8月9日 オープニング主題歌「スティングレイ」&エンディング曲「アクア・マリーナ(海のマリーナ)」
第1話(第1話)「海底魔王タイタン (Stingray)」
歌:ゲイリー・ミラー、ソプラノ:ジョーン・ブラウン、合唱:マイク・サムズ・シンガース(5名)
32人編成
1963年8月10日 打楽器セッション
1963年9月6日 第2話(第11話)「毒ガスの花(Plant of Doom)」
第3話(第23話)「出た!海底人(Sea of Oil)」
30人編成
1963年9月26日 第4話(第10話)「深海の人質(Hostage of the Deep)」
第5話(第12話)「海底の宝物(Treasure Down Below)」
30人編成
1963年10月11日 第5話(第12話)「海底の宝物(Treasure Down Below)」
第6話(第8話)「海底戦車現わる(The Big Gun)」
28人編成
1963年10月25日 第7話(第4話)「頭突きのカジキ(The Golden Sea)」
第8話(第9話)「ゆうれい船(The Ghost Ship)」
30人編成
1963年11月22日 第9話(第7話)「あっ!時限爆弾(Count Down)」
第10話(第5話)「不思議な海底人(The Ghost of the Sea)」
30人編成
1963年12月6日 第11話(第2話)「危うし!マリンビル基地(Emergency Marineville)」
第12話(第13話)「海底の砂漠(Subterranean Sea)」
31人編成
1963年12月20日 第13話(第3話)「ネス湖の怪獣(Loch Ness Monster)」
第14話(第24話)「さあこい ドラゴン大王(The Invaders)」
31人編成
1964年1月10日 第15話(第20話)「お化け真珠貝(Secret of the Giant Oyster)」
第16話(第21話)「半魚人大襲撃(Raptures of the Deep)」
31人編成
1964年2月19日 第31話(第27話)「そこに爆弾が!(Tune of Danger)」追加−ジャズ演奏シークエンス ゴードン・ラングフォード(p)、ジョー・マンデル(b)、アラン・ガンレイ(ds) 3人編成

 『スティングレイ』のオーケストラ・スコアは充分のボリューム感を備えています。興奮とロマンをかき立てるその音色は、すでに『サンダーバード』への道筋を映し出していました。


『サンダーバード』!

 バリー・グレイはジェリー・アンダーソンのためだけに音楽を書いていたわけではありません。この頃でも、アンダーソンの特撮人形劇の音楽と併行して、コマーシャルやレコード・アルバムの仕事をこなしていました。時には本名ジョン・リヴジー(John Livesey)や、ジーン・デュラント(Gene Durant)、マルタン・イェルブール(Martin Jerbourg)等の偽名を使い、幅広く作曲していたのです。
 しかしその主力は、アンダーソンのAPフィルムの「スーパーマリオネーション」シリーズの音楽に注がれていました。そして、バリー・グレイの代表作となる傑作も、次の「スーパーマリオネーション」から生み出されます。そうです、『サンダーバード』です!

 『サンダーバード(Thunderbirds)』(1965-66)は、南海の孤島で優雅な生活を愉しむ富豪家族が、人命救助部隊「国際救助隊」を組織し、最新メカを駆使して世界中で災害救助に活躍するという、夢のようなゴージャスなヒーロー物語で、ジェリー・アンダーソンのシリーズの中でも頂点を成す最高傑作と言えますが、そこに付けられた音楽もまた、バリー・グレイの最高傑作と言っていいでしょう。
 「国際救助隊」のミリタリー風の雄渾さや規律正しさを表わすため、空軍出身のジェリー・アンダーソンはグレイに「軍隊風の感じ(military feel)」の音楽がほしい、と注文を付けました。これに応えて作られたのが、有名な「サンダーバード行進曲マーチ」です。グレイはこの曲を朝7時頃に眼を覚ました時に「ひらめいた」と回想しています。
 曲は1964年12月8日、ロンドン南西のバーンズにあるオリンピック・スタジオに於いて、午前11時から午後6時までの録音セッション(午後1時から2時までは昼休み)で、グレイ自身が指揮する30人編成の楽団によって録音されました(この時は第1話「SOS原子旅客機(Trapped in the Sky)」のスコアも同時に収録されました)。時にバリー・グレイは56歳でした。
 この時のことを、アンダーソンはこう記しています。

 私はバリーが最初のテイクを指揮した時の感覚を忘れることはないだろう。私の背筋がぞくっと震えたのだ。私はすぐに、これは何か特別なものだと分かった。

 『サンダーバード』のテーマのかっこ良さは、確かに軍隊調のきびきびした行進曲の形を取っているのが一因で、そのため実際に軍楽隊が「サンダーバードのテーマ」をレパートリーに加えることもしばしばです。しかしその魅力の本質は、颯爽とした、晴れやかで喜ばしい曲調が、番組の楽しさと音楽の喜び、さらには生きる喜びを生き生きと伝えてくれる、ということに尽きるのではないでしょうか。
(なお日本版『サンダーバード』主題歌は、「サンダーバード行進曲」の中間部に日本語歌詞を付けたものです。)

 バリー・グレイの音楽を得たアンダーソンは1964年12月24日、満を持して、新作『サンダーバード』のパイロット版(現在の第1話)を、発注元のテレビ局ATVの総帥にして、世界配給網のITC社社長、ルー・グレイド卿に見せました。彼は大いに気に入っただけでなく、「60分番組に変えようじゃないか」と言い出しました。
 これにはアンダーソンもあわてました。番組は、30分枠を前提に、既に12話分の脚本が完成し、9話分の人形パートの録音も終わり、4話分は撮影が進行中だったからです。
 困ったアンダーソンは、事件の周辺の人間模様を念入りに描くと共に、サンダーバード各機の発進シーンを存分に盛り込むことでエピソードを膨らませました。そこでは音楽が決定的に重要な役割を担うようになり、いよいよグレイの腕の見せ所がやってきたのです。

 グレイド率いるATVが『サンダーバード』各エピソードに3万8,000ポンドの予算を与えたため、グレイも10話分の音楽製作費として1話平均670ポンドの予算を確保することが出来ました。これによって、グレイは20〜25名の音楽家を雇って、自宅スタジオに加え、CTSスタジオやパイ・スタジオといった、設備の整った専門スタジオで録音できることになりました。
 録音は主に1965年の春から秋にかけて録音されました。但し録音されたのは以下の10エピソード分のスコアのみで、あとは時に応じて追加キューを録音しながら、基本的には録音済みキューをストック音源として使い回し、シリーズの音楽を構成していったのです。

 ※ 『サンダーバード』の主な録音セッション <話数は製作順 (カッコ内は日本での放映順)>
録音年月日 録 音 内 容楽器編成等
1964年12月8日 サンダーバード行進曲&第1話(第1話)「SOS原子旅客機 (Trapped in the Sky)」 30人編成
1965年3月18日 第5話(第9話)「ペネロープの危機 (The Perils of Penelope)」 25人編成
1965年4月5日 第2話(第10話)「ニューヨークの恐怖 (Terror in New York City)」 25人編成
1965年4月24日 第4話(第2話)「ジェット“モグラ号”の活躍 (Pit of Peril)」 22人編成
1965年5月7日 第3話(第8話)「死の谷 (End of the Road)」 24人編成
1965年6月4日 ライブラリー音源 20人編成
1965年6月18日 第7話(第11話)「超音ジェット機レッドアロー (Edge of Impact)」 25人編成
1965年7月2日 第8話(第20話)「湖底の秘宝 (Desperate Intruder)」 25人編成
1965年8月6日 エンド・タイトル歌「フライング・ハイ(高く飛んで)(Flying High)」 8人編成 独唱:ゲイリー・ミラー、伴奏Voc:フレッド・ダチラー(Fred Datchler)、ケン・バリー(Ken Barrie)、エディ・レスター(Eddie Lester)、4名編成のコンボ楽団
1965年9月8日 エンド・タイトル歌「フライング・ハイ」 再録音(伴奏部)
1965年9月10日 エンド・タイトル歌「フライング・ハイ」 再録音(ヴォーカル部)
1965年10月8日 第13話(第12話)「死の大金庫 (Vault of Death)」 24人編成
1965年11月6日 第15話(第21話)「にせ者にご注意 (The Impostors)」他 追加セッション Ampex の4トラック・イン=ライン・レコーダー使用
1965年12月4日 第17話(第25話)「情報員MI.5 (The Man from MI.5)」&追加セッション 5人編成

 これらオリジナル・スコアには魅力的な曲が満載です。
 サンダーバード発進の際の緊張感みなぎる音楽や、ラテン打楽器のボンゴなどがハラハラドキドキの緊迫を高める救出のキュー、それに南国の楽園トレーシー島のテーマなど、数え上げればきりがありませんが、中でも製作順の第1話(日本放映順も第1話)「SOS原子旅客機(Trapped in the Sky)」で登場した超音速原子力旅客機「ファイアーフラッシュ号」のテーマは、輝かしいファンファーレと、歓呼のようなマーチ風の楽想で忘れがたいものです。
 また、製作順第4話(日本放映第2話)「ジェット“モグラ号”の活躍(Pit of Peril)」に登場する米国陸軍四脚歩行戦車「ゴング(Sidewinder)」の主題は、金管楽器が重々しくリズムを刻む上を、弦や木管がひょろひょろと音階を駆け上がり、金管のリズムが段々とアッチェレランドして興奮を高めていくという印象的なもので、これは第28話(第27話)「クラブロッガーの暴走(Path of Destruction)」に現れる自走型パルプ製造工場「クラブロッガー」のテーマとしても使われます。
 他にも、第3話(第8話)「死の谷(End of the Road)」からの大見得を切るようなドラマティックなキューや、第17話(第25話)「情報員MI.5(The Man from MI.5)」のために書かれた、当時流行のスパイ物のテーマ曲を彷彿とさせるサキソフォンとエレキギターとドラムスによる“ハード・ボイルド”なテーマ曲「ジェームズ・ボンソンのテーマ(The James Bondson Theme)」等はグレイ本人も気に入っていたらしく、他のエピソードでも再利用されます。

 さらに忘れてならないのは、第25話(第28話)「魅惑のメロディー(The Cham Cham)」のために書かれた「危険な賭け([That] Dangerous Game)」というバラードです。これは劇中では「カス・カーナビー・クインテット (the Cass Carnaby Five)」の世界的ヒット曲という設定で、サックス、エレキ・ギター等で演奏されるインストゥルメンタル曲として流れますが、元来は歌として作曲され、ケン・バリー(「フライング・ハイ」のバック・コーラスをやっている歌手の一人)の歌で録音されました。しかしアラン・パティロ監督の脚本がペネロープの歌を要求していたため、この音源はいったんお蔵入りになり、後にセンチュリー21のミニ・アルバム「サンダーバード名曲集(Great Themes from Gerry Anderson's Thunderbirds)」(MA 116)に収められました。
 このエピソードでは、トーチソング(失恋バラード)歌手ワンダ・ラムール(Wanda L'Amour)に変装したペネロープが、この歌を異なる調性と遅いテンポで歌って敵の暗号を変えてしまうシーンがあります。そこで実際に歌っているのは、ペネロープの声を吹き替えたシルヴィア・アンダーソン、つまりジェリー・アンダーソンの奥さん(当時)で、物憂い、気だるい、マレーネ・ディートリヒを連想させる歌を披露しています。ちなみに日本語吹替え版では若かりし頃の黒柳徹子さんが同じような退廃的な歌い方を真似ていて、微笑ましいです(笑)。
 同じエピソードでは、他にもジャズ・ナンバーが演奏されますが、いずれもバリー・グレイの作曲で、その代表曲は「アドリブで行こう(Let's Play Ad Lib)」と名付けられ、のちにEPレコードで発売もされます。『サンダーバード』では他にも多くのジャズ・ピースがBGMとして録音されました。

 ところで、『サンダーバード』の音楽全体の3分の1は、以前のシリーズの音楽を再利用したものです。こうした手法は予算の限られた1960年代の英米テレビ音楽では一般的でした。

■グレイ・コラム5■

=発明家バリー・グレイ?=

 1960年代初め、バリー・グレイは、秒単位ではなく、フィルムのフィート長に合わせた時間を計る電子タイマーを欲しがっていました。しかしそんな需要の限られたものが商品化されて売られるはずもありません。
 そこで彼は自らタイマー時計をスタジオに作り付けにし、それをフィート数に合わせることができるよう、リモート・コントロール調整ボタンを付けた上で、そのタイマー時計で指揮しました。
 結果はどうだったか?
 グレイは答えています。

後から編集すべきところはほとんどなかったよ。音楽がちょこっとばかり短いところは、アラン・ウィリスがフィルムから3、4コマを取り除いて、映画をそれにぴたりと合うようにしたよ。

 必要は発明の友と言うべきか、人に頼らぬパイオニア精神の発揮と言うべきか。いずれにせよ脱帽です。

 また、発明ではありませんが、彼は電子音響を発生させる装置をいくつも自分で作り上げています。例えば、『ジョー90』のテーマ曲にかぶせられた「ぽよよよ」という音を発する「可聴周波掃引発振器(audio-sweep oscillator)」や、音を変調する「リング・モデュレーター(a ring-modulator)」は、グレイが「特別にこしらえた(which I had specially- built)」ものです。

 手先が器用でテクノロジーに目がなかったグレイの、子供のような姿が浮かんでくるようです。
 例えば、第21話(第22話)「公爵夫人の危機(The DuchessAssignment)」でニューヨークの活気に満ちた町並みの描写で使われた「ニューヨーク市(New York City)」というキューは、元来は『スーパーカー』のために書かれた「街の灯り」というライブラリー楽曲でした。
 『スーパーカー』からは他にも、第25話(第28話)「魅惑のメロディー(The Cham Cham)」で、ミンミンとペネロープがスキーをするシークエンスで「楽しい飛行」が、また第30話(第30話)「太陽反射鏡の恐怖(Load Parker's 'Oliday)」冒頭の日の出のシークエンスで、のどかなヴァカンス気分に満ちた「愉快なテーマ」が使われています。第16話(第5話)「世界一のビルの大火災(City of Fire)」で、トンプソン・ビルの中のカーター一家がかくれんぼ(原語版では「警官と泥棒」ゲーム)をやる箇所では、『スーパーカー』第36話(日本第29話)「脱獄囚 (Jail Break)」からの組曲の一部が短く流れます。
 これらに対し、第19話(第16話)「オーシャンパイオニア号の危機(Danger at Ocean Deep)」で、オーシャン・パイオニア2世号の出航シーンで流れるにぎやかな音楽は、『宇宙船XL−5』の第10話(第13話)「宇宙大サーカス (Flying Zodiac)」からの「サーカス・バンド」というキューです。
 一方『スティングレイ』からは、有名な「真珠貝たちの行進」が利用されています。1965年5月26〜28日にダビング編集されて第6話(同第14話)「火星ロケットの危機(Day of Disaster)」での火星探査ロケットの発射場への輸送シーンに使われたのが最も有名ですが、他にも第9話(第17話)「スパイにねらわれた原爆(30Minutes After Noon)」で守衛ソルツマンが顔を出す場面の現実音BGM、第15話(第21話)「にせ者にご注意(The Impostors)」での世界警察による国際救助隊の捜索シーン、第25話(第28話)「魅惑のメロディー(The Cham Cham)」冒頭の米空軍基地シーンで使われます。
 また、「公爵夫人の危機」の回で、公爵夫人がカジノに戻る場面に使われた「公爵夫人(The Duchess)」は、『スティングレイ』第9話「あっ!時限爆弾 (Count Down)」で初登場したコミカルなライブラリー楽曲で、第23話(第15話)「大ワニの襲撃(Attack ofthe Alligators!)」のラスト等、『サンダーバード』やその他のアンダーソンのシリーズで頻繁に使われました。
 トレーシー島で皆がリラックスしている時間や、第18話(第17話)「スパイにねらわれた原爆」冒頭のトム・スコットの運転シーンでラジオから流れてくる肩の凝らない楽しい音楽もまた、本来『スティングレイ』のために書かれた「イージー・ラジオ・リスニング・ミュージック」と呼ばれるキューで、『謎の円盤UFO』に至るまで使われ続けます。「スパイにねらわれた原爆」で、グレン・ケリー城のシーンに流れる音楽も、『スティングレイ』からの「高地の音楽」です。
 また同じく『スティングレイ』から、第31話「そこに爆弾が!(Tune of Danger)」の冒頭に聴かれた軽快なジャズ・ナンバーが、『サンダーバード』第27話(第26話)「海上ステーションの危機(Atlantic Inferno)」で「大西洋ジャズ(Jazz Atlantica)」として転用されていますし、同じエピソードからの「海底のブルース」も、『サンダーバード』第30話(第30話)「太陽反射鏡の恐怖(Load Parker's 'Oliday)」の冒頭近く、保養地モンテ・ ビアンコへ向かうペネロープ号(FAB 1)のラジオから、途切れ途切れに聴こえます。
 第31話(第32話)「宇宙放送局の危機(Ricochet)」で、海賊放送衛星のDJ、リック・オシエが流す「リトル・ルーサー(Little Luther)とシュラム・シュラム(Shram Shram)」による「1960年代のヒット曲」もまた、『スティングレイ』第29話「タイタン、ロカビリーにイカれる(Titan Goes Pop)」で歌われた「叫びたいことがある」を器楽ヴァージョンに編曲したものでした。
 さらに第19話(第16話)「オーシャンパイオニア号の危機(Danger At Ocean Deep)」のスコアは、『スティングレイ』第6話「海底戦車あらわる(The Big Gun)」のために書かれた「ソラスター海底基地のテーマ」や「海底戦車のマーチ」等を使ったものです。
 このように『スティングレイ』の音楽が違和感なく『サンダーバード』に溶け込むということは、逆に言えばバリー・グレイの音楽は、既に『スティングレイ』の時点で『サンダーバード』に匹敵するクオリティの高さに達していたわけです。

 『サンダーバード』初放映日である1965年9月30日が近付いてきた頃、バリー・グレイは最後に流すエンド・タイトル歌「フライング・ハイ(高く飛んで)(Flying High)」を作曲し、1965年8月6日にグレイの自宅のドリス・ヒル・スタジオ(Dollis Hill Studio)で、ゲイリー・ミラーの歌により録音しました。けれどもグレイは仕上がりに不満で、歌は9月8日、次いで9月10日に録音され直しました。しかしそれでも満足できず、結局は歌を破棄し、「サンダーバード行進曲」に置き換えたのです。
 では「フライング・ハイ」は永遠に聞くことができないのでしょうか?
 いいえ、製作順で最終の第32話(日本放映順も第32話)「宇宙放送局の危機(Ricochet)」の中で、DJオシエがミンミン(Tin-Tin)に捧げる曲として流されていますので、DVD等のソフトをお持ちの方は確認してみて下さい。

 なお、『サンダーバード』に於ける音楽的な結実の裏には、音響編集監督(supervising sound editor)ジョン・ピヴァリル(John Peverill)の努力がありました。決して大きくないオーケストラを使いながら、大管弦楽に匹敵する雄大なサウンドを生み出したのは、彼の腕前です。ピヴァリルは他にも『スティングレイ』や『キャプテン・スカーレット』、『謎の円盤UFO』のいくつかのエピソードや、劇場公開映画『サンダーバード』、『サンダーバード6号』、『決死圏SOS宇宙船』などでもグレイと組みます。

 『サンダーバード』はイギリスで1965年9月から放映開始されて大反響を呼び、第2シーズンに加え、劇場用映画の製作が決まりました。アンダーソンのスタッフは以降、劇場用映画『サンダーバード(Thunderbirds Are Go)』(1966)とテレビ版第2シーズン6話*を同時併行で製作するというとんでもなくハードなスケジュールに明け暮れます。

 * TV第2シーズン6話 <話数は製作順(カッコ内は日本放映順)>
    第27話(第26話)「海上ステーションの危機(Atlantic Inferno)」
    第28話(第27話)「クラブロッガーの暴走(Path of Destruction)」
    第29話(第29話)「恐怖の空中ファッションショー(Alias Mr.Hackenbacker)
    第30話(第30話)「太陽反射鏡の恐怖(Load Parker's 'Oliday)」
    第31話(第31話)「すばらしいクリスマス・プレゼント(Give or Take a Million)」
    第32話(第32話)「宇宙放送局の危機(Ricochet)」

 TV第2シーズンの音楽はこれまでの音源を再利用することになったので、グレイが新曲を書くことはありませんでしたが、その代わりグレイは、『サンダーバード』の商品戦略のために一肌脱ぎます。
 ジェリー・アンダーソンのAPフィルムは1965年に21世紀フィルムスタジオ出版と合併し、社名を「センチュリー21プロダクション(以前は「21世紀プロダクション」と紹介された)(The Century 21 Organisation)」へと変更しました。アンダーソンは傘下の「センチュリー21商会(Century 21 merchandising company)」を通じて版権ビジネスに進出を果たし、パイ・レコード社と合弁で「センチュリー21レコード(Century 21 Records)」社を設立して、『サンダーバード』等アンダーソン作品のレコードを発売することにしたのです。
 センチュリー21レコードは、1965年2月リリースの『宇宙船XL−5』からの「月世界旅行(Journey To The Moon)」(MA 100)を皮切りに、その後3年間にミニLP*37枚、通常の30cmLPを7枚発売します。

 * 「ミニLP(mini-LPs)」とはEP盤(直径17cmで毎分45回転の小型レコードで「シングル盤」とも。このうち、中央部に大きく穴の開いたものは、その形状から特に「ドーナツ盤」と呼ばれました)と同じ大きさながら、33回転で再生するレコードで、標準収録時間は両面あわせて約21分でした。

 これらの大半は、各エピソードから台詞や効果音も含んだサウンドトラックを21分の音楽ドラマに編集した「ミニ・アルバム」ですが、そこには、バリー・グレイが新たに作曲・編曲・指揮した新録音も加わりました。
 『サンダーバード』のテーマ曲やメイン・タイトル、それに「真珠貝たちの行進」等は1965年11月24日にパイ・スタジオで録り直されています。「サンダーバード行進曲」の中間部は編曲されて「センチュリー21マーチ」と題され、1965年発売のミニ・アルバム「センチュリー21テーマ曲集(TV Century 21 Themes)」(MA 105)に収録されました。
 一方、バリー・グレイの個人スタジオに声優たちを集めて、台詞をかぶせたトラックも録音されましたが、とりわけ有名なのは、シルヴィア・アンダーソンがペネロープ、デヴィッド・グラハム(David Graham)がパーカーを演じ、ジェフ・トレーシー役の声優ピーター・ディンレイ(Peter Dyneley)も加わった「パーカー、よくやったわ (当時の日本国内盤表記では「パーカー、でかしたわね」) (Parker Well Done)」です。サンダーバード2号の写真を撮ったスパイを追うというシチュエーションが、ペネロープの歌も交えながら活写されます。1966年1月28日に録音された同様の歌付きミニ・ドラマ「雪男(The Abominable Snowman)」と共に、ミニ・アルバム「FAB(F.A.B.)」(MA 107)として発売されました。
 1966年5月23〜24日にはグレイの自宅スタジオで、「ジェームズ・ボンソン」テーマのカヴァー・ヴァージョン等が録音されました。5月24日の午前10時から午後1時までの間はシルヴィア・“ペネロープ”・アンダーソンとデヴィッド・“パーカー”・グラハムのコンビも集まり、「ペネロープ(Lady Penelope)」「パーカー(Parker)」という2曲のトラックを演じています。これらはミニ・アルバム「ペネロープ・テーマ曲集(Lady Penelope Themes)」(MA 111)として7月14日に発売されました。
 1966年9月1日には、『サンダーバード』から、「魅惑のメロディー」、「ペネロープの危機」、「クラブロッガーの暴走」、「情報員MI.5」、「にせ者にご注意」からの6曲が、バリー・グレイの作・編曲・指揮によりパイ・スタジオ(Pye Studios)で新録音されました。その中にはジャズ・ナンバー「アドリブで行こう(Let's Play Ad Lib)」や、「ジェームズ・ボンソン」の再録音も含まれています。8人の奏者による準バンド編成による演奏ですが、グレイらしい勢いのある録音です。これらは同月中にセンチュリー21レコードからミニ・アルバム「サンダーバード名曲集(Great Themes from Gerry Anderson's Thunderbirds)」(MA 116)として発売されました。

 ※ 『サンダーバード』の商業レコード・アルバム用の主な録音セッション
録音年月日 録 音 内 容楽器編成等
1965年7月30日 「センチュリー21マーチ(Century 21 March)」 28名編成
1965年11月24日 「サンダーバード行進曲」「メイン・タイトル」「真珠貝たちの行進」 32名編成
1966年1月28日 「雪男(The Abominable Snowman)」
(及び「パーカー、よくやりました(Parker Well Done)」?)
1966年5月23日 「ペネロープ・テーマ曲集(Lady Penelope Themes)」(MA 111) 第1セッション 歌:ケン・バリー(Ken Barrie) 8名編成
1966年5月24日 「ペネロープ・テーマ曲集(Lady Penelope Themes)」(MA 111) 第2セッション − 「ペネロープ(Lady Penelope)」「パーカー(Parker)」ほか 歌:シルヴィア・アンダーソン&デヴィッド・グラハム 8名編成
1966年8月25日 「シャドウズ(Shadows)」による「サンダーバード」のテーマによるシングル曲(デモ録音) 4名編成
1966年9月1日 「サンダーバード名曲集(Great Themes from Gerry Anderson's Thunderbirds)」(MA 116) 録音セッション − 「アドリブで行こう(Let's Play Ad Lib)」他 8名編成

 ちょうどこの前後、グレイは電子音響を創り出す腕前を見込まれ、他のプロダクションからの依頼で、全部で4本の映画を手伝っています。これらの映画では別の作曲家が音楽を書いており、グレイは純粋に電子音響製作の専門家として関わったのです。
 最初の作品は、BBCの人気テレビSFシリーズ「ドクター・フー(Doctor Who)」を映画化したゴードン・フレミング監督、ピーター・カッシング主演の『Dr.フーin怪人ダレクの惑星<VD>(Dr. Who and the Daleks)』(1965)で、同じ監督と俳優陣による続編『地球侵略戦争2150<VD>(Daleks' Invasion Earth 2150 A.D)』(1966)も手伝いました。
 グレイは、マルコム・ロックヤー(Malcolm Lockyer)とビル・マクガフィ(Bill McGuffie)が作曲した音楽に、自分のミラー・スピネッタで作り出した電子効果音を組み合わせました。その効果は主に両作のタイトル曲で聴かれます。またダレクの都市ターディス(映画1作目)や、ダレクの宇宙船(2作目)の内部のノイズも作り出しました。さらに、手作りのリング・モデュレーター(a ring modulator)を使い、ダレクの声を今まで聴いたこともないような音に変えました。もちろんオンド・マルトノのような電子楽器も駆使されます。
 ちなみに、バリー・グレイが「ドクター・フー」シリーズに関わった理由ですが、センチュリー21は「ドクター・フー」の原作マンガの作者テリー・ネイションの作品が掲載されている雑誌を扱っており、その関係で「ドクター・フー」関連のミニ・アルバム「ダレク人(Daleks)」(MA 106)(1965)も発売していました。映画化に当たってはセンチュリー21が絡み、関係者を通じてバリー・グレイが電子音響の専門家として推薦されたのかも知れません。
 グレイはもう1作、ロックヤーのスコアに電子音を加えます。1966年のテレンス・フィッシャー監督作『血に飢えた島<VD>(Island of Terror)』(1965)です。
 これらの作業は具体的にはどのように進められたのでしょうか。グレイが後年のインタヴューでこう答えています。

私は基本的なサウンドをテープに録音してから、仕事に取り掛かったものです。私はピアノの和音の出だしを切り落とすようなことをしてから、和音の〔テープの〕片面を逆にして、それ自身に接合したりしました。そうして得られたアプローチは、和音がクレッシェンドで頂点に登り詰め、再びフェイド・アウトしていくのを非常にゆっくりと響かせるのです。それは実に大仕事で、短い部分でさえ、長い時間がかかります。もちろん今日では、ヴォコーダーやシンセサイザーやもろもろの到来によって、これらのものは素早く創り出すことができますがね。

 (『Dr.フーin怪人ダレクの惑星』と『血に飢えた島』の)どちらの場合も、私には電子音楽が要求されるシークエンスが与えられ、私はテープに録音された音楽をフィルム編集者に渡しました。単にそれだけでした。35mmの磁気フィルムに移された後、編集者はそれらをそれぞれの映画に応じて配置しました。それらは非常にうまく行ったと思いますよ、私は『血に飢えた島』のアイデアは好きではありませんでしたけどね。あれは全然私の好みじゃなかったな!

 グレイはこの他、レイ・ブラッドベリの名作SF『華氏451度』をフランソワ・トリュフォー監督が映画化した『華氏451(Fahrenheit 451)』(1966)にも電子音響での参加を要請され、バーナード・ハーマンの伝説的なスコアを陰で支えたのです。

 グレイはその後はアンダーソンの下で、編集がほぼ終わった劇場用長編映画『サンダーバード(Thunderbirds Are Go)』(1966)の作曲に取りかかります。
 いつもながらの「サンダーバード」のテーマに加え、今回は火星探査ロケット「ゼロエックス号」のテーマが新たに作曲されました。これが実にかっこいいのです。心を高揚させるようなリズムと壮大なメロディが、バリー・グレイ特有の青空のように爽やかなオーケストレーションと転調で膨らんでいき、その頂点で、ヴァイオリンに全く新しい対位旋律が現れて、テーマ本体と同時演奏される様は、感動的ですらあります。
 使用する管弦楽団のサイズについては、グレイ自身が次のようなエピソードを伝えています。
 ある日、ジェリー・アンダーソンがバリー・グレイを部屋に呼びました。
「バリー、私は映画版『サンダーバード』のために、本物の交響楽団のサウンドが欲しいんだ。何人の音楽家が必要かね?」
と大きなことを言います。
 そこでグレイは答えました。
「そうですね、あなたが“本物の交響楽団”のサウンドが欲しいなら、120名ほどが必要でしょうね」
 アンダーソンは勢いを挫かれ、目をぱちくりさせながら、こう尋ねます。
「ええと、それを君は何人でできる?」
 グレイはニヤニヤ笑いながら答えました。
「70人でできますよ」
 こうしてグレイは、アンダーソンとの仕事の中で最大の70人編成オーケストラを用いて、サウンドトラックを録音できることに決まったのです。グレイは回想の中で「最高に楽しい打ち合わせだった!」と述べています。
 スコアは1966年10月9日〜11日の3日間に亘り、デンハム近郊のアンヴィル・スタジオ(Anvil Studio)に於いて、毎日午前9時半から12時半まで、及び午後2時半から5時半までの2部制で1日2回、合計6回のセッションを通じ、エリック・トムリンソン(Eric Tomlinson)によって録音されました。トムリンソンは『空軍大戦略』『ライアンの娘』『スター・ウォーズ』『スーパーマン』『スペースバンパイア』『ロボコップ』『バットマン』等の音楽録音を担当した名録音技師であり、グレイの友達でもありました。
 映画のエンド・タイトルでは、「サンダーバード・マーチ」が何とブラスバンドによる華麗なドリル演奏として繰り広げられます。そこでは、イギリス海軍吹奏楽団がケント州ディール(Deal)の母校で吹奏している様子が実写で映し出され、観客の意表を突いたのでした。
 映画は1966年12月にロンドンのウエスト・エンドにあるパビリオン劇場(London Pavilion)でプレミア上映されましたが、そこでもグレイは上映に先立ってバンドを指揮し、マーチを生演奏しました。
 併行して、劇場版『サンダーバード』のサウンドトラック・アルバムがユナイテッド・アーティスツから発売されることになりました。グレイは1966年12月29日と30日の両日、オリンピック・スタジオで54人編成の管弦楽を指揮し、スコアを改めて録音しました。
 だから、劇場版『サンダーバード』の「サウンドトラック」アルバムは、実際には映画で使われた録音とは違うのです。例えば、映画のメイン・タイトル直後、本編冒頭の「ゼロエックス号のテーマ」は、映画の本当のサウンドトラックでは悠揚迫らぬテンポでたいそう雄大に繰り広げられ、画面に合わせて自由に展開されていきますが、いわゆる「サントラ盤」では、形式もテンポももっと引き締まっており、クライマックスへの盛り上げ方はこちらの方が見事と言えます。バリー・グレイのファンならどちらも聴いておきたいものです。

■グレイ・コラム6■

=「バリー・グレイ楽団」の正体=

 バリー・グレイの音楽をサウンドトラックで演奏している「バリー・グレイ楽団(バリー・グレイ・オーケストラ)(Barry Gray and His Orchestra; The Barry Gray Orchestra)」。決して多くない人数で、難易度の高いグレイのスコアを熱演し、管弦楽の醍醐味を味あわせてくれるこのヴィルトゥオーゾ集団は、一体どういう楽団なのでしょう? 今でも活動しているのでしょうか? 来日してコンサートを開いたりはしてくれないのでしょうか?
 実は、我々が思い描くような「バリー・グレイ楽団」なるオーケストラは、一度も存在したことはないのです。その名前は、スーパーマリオネーションの全盛期に「センチュリー21」レーベルから発売されたミニ・アルバム・シリーズに用いるために案出されたものなのです。
 そして、その実体は、バリー・グレイがいつも懇意にしているスタジオ・ミュージシャンの集合体です。それは一つの楽団として組織されているものではなく、セッションごとに必要に応じて臨時に集められるもので、編成も人員もばらばらです。
 「それにしては音色はいつも同じだし、演奏技術も常に高い水準が維持されているなあ」−−と感じられる方も多いのではないでしょうか。
 そうです。「バリー・グレイ楽団」は、臨時編成のスタジオ楽団ではありましたが、そこに参加する顔ぶれは、大体決まっていたのです。
 ハリウッドで映画音楽を録音する場合、通常は「オーケストラ・コントラクター」という職業の人がいて、これから録音するスコアに最適の奏者たちを、適正な演奏料で契約し、録音用臨時オーケストラを編成します。
 しかしバリー・グレイは、こうしたドライなやり方は好みませんでした。彼はいつも、昔からの気心の知れた演奏家たちに声を掛け、勝手知ったる仲間同士で手早く、高水準のサウンドトラックを仕上げていったのです。

 グレイの演奏者たちのレギュラー陣は、『スティングレイ』の頃にはほぼ出来上がっていました。その中核は、木管3本、打楽器3台、トロンボーン2本、トランペット2本、ホルン1本に、時々少人数の弦楽部が加わる、といった編成を中心としていました。常連が来られない時は、弦楽器のリーダー、ジョージ・フレンチらの推薦に頼って、グレイが手配していました。
 スコアが完成する都度、グレイは自ら電話でミュージシャンたちに連絡して予約を入れ、セッション数日前には彼特有の見事な装飾書体で確認の葉書を送りました。そこには大抵、それぞれのミュージシャンが各自の楽器を運ぶ小さなマンガも描かれていて、奏者たちを楽しませました。

 大きな編成の場合、大型の専用スタジオを借りましたが、中規模以下の録音は、グレイは基本的に自宅で行いました。
 『トゥイズル』から『サンダーバード』までは、ドリス・ヒルにある自宅のスタジオで、『キャプテン・スカーレット』(1967)はサリー州イーシャーのレッド・ゲイブルズにある大きな家(いくつかの部屋がプロ仕様のスタジオに改造されました)で録音されました。

 グレイの自宅で行われる録音セッションは、とても家庭的な雰囲気だったといいます。皆、休憩時間にグレイのお母さんが入れてくれるお茶を楽しみにしていました。またセッションも、のんびりとした雰囲気の中、グレイのお喋りで始まります。グレイは常に穏やかで、演奏に注文を付ける時も奏者たちを非難することはなく、楽器が壊れた時も、奏者が直すまで辛抱強く待ちました。
 プロデューサーや監督からグレイには様々な圧力が掛かったはずですが、それをセッションで匂わすようなことは一切ありませんでした。同じシークエンスのための音楽セッションが繰り返されることがあり、奏者たちは無言のうちにグレイの苦労を察しましたが、奏者たちがストレスを感じることは決してありませんでした。
 しかし、セッションそのものはプロフェッショナルな内容で、極めて効率的でした。『トゥイズルの冒険』(1957)から『ロンドン指令X』(1968)まで参加したクラリネット奏者ゴードン・レウィン(Gordon Lewin)は、こう証言します。

集まった時には、簡単に弾けるものが出てくるのか、それとも超絶技巧の曲が出てくるのか、皆目分からない。何でも有り得るんだけれど、とにかく座って、〔譜面を〕見て、弾くことを期待されているんだ。そこでの最初の通し演奏では、変な間違いが起こり得る。2回目の通しでは合っていなければならない。3回目の通しでは、完成品に仕上げられて、それで終わりだったよ。

 呼び集められた奏者たちは譜面を初見で演奏するのに慣れたプロのスタジオ・ミュージシャンたちだったので、1曲は3回も演奏すれば録音完了だったのです。こうして1日に多くのキューが手早く録音されていきました。

 グレイが書く譜面は正確で間違いがないため、レコーディング・セッションで、音の間違いや修正・変更で時間を費やすことはありませんでした。
 彼がオーケストレーションと編曲に精通していることは、ミュージシャンたちは分かっていました。そこで、変な音だと思っても、彼らはそのまま演奏し、実際それらの音は、全体の中でぴたりとはまるのでした。

 セッションが終わると、グレイ夫人がもう一杯お茶を配り、歓談のひと時となります。庭ではグレイがラジコン・カー遊びを始めます。打楽器奏者アラン・ハキンは、イーシャーのグレイ邸に到着した奏者たちにとって重要だったのは、録音セッションではなく、ビリヤードの一種「スヌーカー」の試合だった、と回想しています。

 グレイの指揮棒の下で演奏した音楽家たちは100人を下らないと言われますが、最後に、グレイのセッションに常連だった音楽家の何人かを紹介しておきましょう。

▼トミー・マックォーター(Tommy McQuater)
 トランペット奏者。
 1932年、「ルイス・フリーマンズ・ネイヴィ(Louis Freeman's Navy)」というバンドに参加し、大西洋往復定期客船の乗客たちを2年間楽しませた。戦時には英国空軍で「爆撃隊バンド(The Squadronaires)」を設立。軍隊から戻ると、ロンドンのパラディウム劇場で働いた。その後シリル・ステイプルトン(Cyril Stapleton) [後にジャック・パーネル(Jack Parnell)] 率いる「BBCショー・バンド(BBC Show Band)」に加わった。グレイとは『スーパーカー』(1959-61)以来の長い付き合い。

▼シリル・ルーベン(Cyril Reuben)
 クラリネット、バス・クラリネット、バリトン・サキソフォン奏者。
 軍楽隊でクラリネットを始め、戦後はダンス・バンドを続け、ジャック・パーネルやジェラルド一座(Geraldos)に参加。フランク・シナトラ、ライザ・ミネリ、シャーリー・バッシーらのバック・バンドとして世界中を演奏旅行。ビング・クロスビーがロンドンのパラディウム劇場で行った引退コンサートの楽団のメンバーでもあった。彼が参加した録音は、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団からビートルズまでと幅広い。フリーになってからは映画の仕事が多くなった。グレイとは『スーパーカー』以降、『謎の円盤UFO』(1970-73)まで続いた。

▼アラン・ハケン(Alan Haken)
 打楽器奏者。
 陸軍に入隊後、コ−ルドストリーム近衛軍楽隊へ移され、軍楽隊のリーダーになる。軍を離れると、チャーリー・シェヴラル(Charlie Cheveral)のヴァラエティ楽団(Variety Orchestra)に参加。名バンド・リーダー、ジャック・パーネルとのテレビ局ATVでの20年は、「マペット・ショー(The Muppet Show)」(1976-81)<未>のような「素晴らしい番組(marvellous shows)」で働く機会となった。最初の映画の仕事は『007/ドクター・ノオ(Dr. No)』(1962)。グレイとは『スーパーカー』の時代に出会う。『スティングレイ』(1962)でマリンビル基地が戦闘態勢に変わる際の威勢のよい打楽器の音楽を叩いているのも彼なのだろう。その後は、デレク・ワズワースによる第2年を含む『スペース1999』(1975-77)に至るまで、ほぼ全てのバリー・グレイの音楽を演奏した。

▼ジョン・スコット(Cyril Reuben)
 今や、大変すぐれたシンフォニック・スコアの書き手として高名な、トップ・クラスの映画音楽作曲家だが、バリー・グレイの友人で、若い頃『スーパーカー』や『宇宙船XL-5』でフルートを吹いていた。
 お返しというわけでもなかろうが、グレイの方は、ジョン・スコットの映画音楽『恐怖の目覚め(Wake in Fright 別題Outback)』(1971) の中で、オンド・マルトノを弾いている。



後期のスーパーマリオネーション

 次のアンダーソンの作品は『キャプテン・スカーレット(Captain Scarlet and the Mysterons)』(1967)です。
 邪悪な宇宙人ミステロンが地球人への復讐のために人間を操って陰湿な破壊工作(今で言えばテロ攻撃ですね)を仕掛けてくる。地球防衛組織「スペクトラム」の隊員キャプテン・スカーレットはいったんミステロンの手に落ちるが、死んでも生き返る能力を身に付け、彼らの計画を阻止するために活躍する……というストーリーは、これまでの子供向け番組とはちょっと趣を変えたシリアスなものです。より人間に近付いた精巧な人形たちがミステロンの計画遂行のために無慈悲な殺人を行い、時には敵ミステロンの予告した計略が成功し、多くの人が殺される…というように、内容もハードボイルドなものでした。
 グレイの音楽スタイルも、番組の雰囲気の応じてがらりと変わります。地球側を描く際には管弦楽のアコースティックな音楽が書かれ、特にスペクトラムは勇壮な軍隊調のテーマに伴奏されます。他方、宇宙を舞台としたシークエンスや、邪悪な宇宙人ミステロンが関与する場面では、身も凍るような不気味な電子音効果を持つ音楽が流れました。ここでグレイが新たに導入したのは、ボールドウィン電子ハープシコード(Baldwin Electronic Harpsichord)という電子楽器でした。これはオープニングとタイトル・シークエンスでも効果的に使われ、さらに『ジョー90』や『謎の円盤UFO』(1970-73)など後続の番組の主題曲でも重要な役割を演じるのです。
 『キャプテン・スカーレット』のスコアのハードボイルドな印象を強めているものの一つは、忘れがたいティンパニの威圧的な7打(ダ・ダン・ダン・ダ・ダ・ダ・ダン!)です。この打撃音は、番組の本編中で、斬新な場面転換の道具として使われています。このリズムに合わせて転換前後の場面が交互に現れ、打数が奇数なので最終的には新シーンに切り替わったまま終わるという仕組みです。
 日本の初回放送では流れなかったと思いますが、エンド・タイトルの歌「キャプテン・スカーレットのテーマ(Captain Scarlet Theme)」もあります。これは当初、電子合成音のヴォーカルを加えたインストゥルメンタル・ナンバーでした。曲は1967年2月26日、サリー(Surrey)州イーシャー(Esher)のレッド・ゲイブルズ(Red Gables)にあるグレイの新しい家の録音スタジオで行われた「キャプテン・スカーレット」最初のセッションで録音されました。ケン・バリーら3人の男声コーラスをバックに、グレイ自身が、EMIのエンジニア、チャールズ・グレゴリー(Charles Gregory)を助けを得ながら、“電子ヴォイス(electro-voice)”を弾いたのです。
 このヴァージョンは最初の14回のエンディングで使われますが、その後「ザ・スペクトラム(The Spectrum)」が演奏するアコースティック・ヴァージョンに置き換えられました。
 この「ザ・スペクトラム」は、ロンドンを拠点とする5人組−−キース(Keith)とコリン(Colin)のフォーシー(Forsey)兄弟、それにビル・チェンバース(Bill Chambers)、アンソニー・ジャッド(Anthony Judd)、トニー・アトキンス(Tony Atkins)の3人−−の実在のグループです。ジェリー・アンダーソンが番組宣伝用に作ったわけではありません。アンダーソンの運転手が、カー・ラジオから流れた曲のグループ名が、たまたま主人の新番組の地球防衛組織と同じことを知り、主人に連絡したのです。アンダーソンは即刻彼らと契約を結びました。グレイはエンド・タイトル・テーマをグループ演奏用に歌詞付きの歌としてアレンジし、1967年7月26日に録音したのです。
 本編アンダースコアの方は、1967年3月16日から同年12月3日にかけて11回以上にわたり、主にバリー・グレイ・スタジオに4〜16人の演奏者を集めてセッションを行い、録音しました。グレイが新規に作曲したのは『キャプテン・スカーレット』全32話中の19話分で、それ以外は録音済みのキューを再利用したり、以前のシリーズからのキューを転用したりしています。

 ※ 『キャプテン・スカーレット』の主な録音セッション <話数は製作順(カッコ内は日本での放映順)>
録音年月日 録 音 内 容楽器編成等
1967年2月26日 エンド・タイトル曲「キャプテン・スカーレットのテーマ (Captain Scarlet Theme)」 コーラス:フレッド・ダッチラー(Fred Datchler)、ケン・バリー(Ken Barrie)、フレッド・ルーカス(Fred Lucas) 6人編成
1967年3月16日(午前9時〜午後1時) メイン・タイトル曲「スペクトラム (The Spectrum)」 9人編成
1967年3月16日(午後7時30分〜11時30分) 第1話(第1話)「キャプテン・スカーレット誕生 (The Mysterons)」 16人編成
1967年4月3日 第2話(第2話)「無人機をストップ(Winged Assassin)」
1967年4月16日 第3話(第3話)「鐘は13鳴った!(Big Ben Strikes Again)」
第4話(第4話)「ブラック大尉を探せ (Manhunt)」
14人編成  録音技師:エリック・トムリンソン
1967年4月30日 第5話(第5話)「無人戦車ユニトロン (Point 783)」 14人編成
1967年5月14日 第6話(第6話)「タイムを追え!(Operation Time)」
第7話(第7話)「消えたロケット(Renegade Rocket)」
12人編成
1967年5月28日 第8話(第8話)「ホワイト大佐を守れ!(White as Snow)」 14人編成 ハモンド・オルガン演奏:バリー・グレイ
1967年6月11日 第9話(第11話)「ミステロン探知機を出せ!(Spectrum Strikes Back)」
第10話(第9話)「北部地球防衛軍あやうし!(Avalanche)」
15人編成
1967年7月22日 第13話(第12話)「ミニ衛星をとばせ!(The Shadow of Fear)」
第14話(第13話)「大爆発!(Fire at RIG 15)」
15人編成
1967年7月23日 第15話(第16話)「ミステロン基地発見! (Lunerville 7)」
第16話(第30話)「大統領を守れ!(The Launching)」
4人編成 オンド・マルトノ演奏:バリー・グレイ
1967年7月26日 エンド・タイトル曲「キャプテン・スカーレットのテーマ」 演奏:ザ・スペクトラム
1967年8月21日 センチュリー21レコード用の「キャプテン・スカーレット」商業レコード・アルバム(MA 132?) 録音 歌:ケン・バリー(Ken Barrie)、エディ・レスター(Eddie Lester)、ニック・カーティス(Nick Curtis)
1967年8月27日 第17話(第15話)「地球の翼を守れ!(The Trap)」
第18話(第20話)「ファッションショーをねらえ!(Model Spy)」
16人編成
1967年8月30日 センチュリー21レコード用の「キャプテン・スカーレット」商業レコード・アルバム録音 12人編成
1967年12月3日 第28(?)話(第31話)「原子炉爆発寸前!(EXPO 2068)」
第31話(第24話)「ミステロン宇宙船あらわる!(Attack on Cloudbase)」
14人編成
録音年月日不明 第32話(第29話)「スペクトラムの暗号をねらえ(The Inquisition)」

 ちょうどこの頃、『サンダーバード』の2本目の劇場用映画『サンダーバード6号(Thunderbird Six)』(1967)が作られることになりました。
 アンダーソン率いるセンチュリー21プロのスタッフは、『キャプテン・スカーレット』の製作と並行してサンダーバードの長編劇映画を製作するという殺人的スケジュールをこなしました。テレビ版『サンダーバード』がアメリカ3大ネット局への売込みに失敗し、第2シーズンが6本のみで打ち切られたため、『サンダーバード』用の人形は廃棄されており、彼らはその再現から始めなければなりませんでした。
 しかし、少なくともバリー・グレイは、大いに楽しんで仕事をこなしました。というのも、映画が世界中の様々な場所を舞台としているので、場面ごとに様々な国のスタイルで作曲できることが嬉しくてたまらなかったのです。場面に応じてロシア風、インド風、エジプト風、スイス風の音楽が展開されますが、そこに「サンダーバード」の主題が巧みに編み込まれているのがさすがです。
 スカイシップ号がニューヨークに到着する場面では、アメリカ国歌「星条旗」が使われますが、この場面は物語の展開上、緊迫したシチュエーションなので、引用も不安げに歪んでいます。間もなくアメリカ・インディアン風、アラブ風の音楽も聴こえます。
 インドの市場では、シタールの音楽が流れます。また、民族音楽の楽器を模したイングリッシュ・ホルンが突然「サンダーバード」の主題を吹くので、パーカーが驚いて「おやまあ、有名になったもんだ」と呟くシーンもあります。
 他方で、独特の電子音を交えた不気味な音響や、強烈な不協和音も聴かれ、同時期の『キャプテン・スカーレット』を思わせます。
 ラウンジで流れるジャズ・コンボや、フルートとヴァイヴのナンバーもグレイが作曲したものです。
 ただ、やはりこの映画のスコアの中では、メイン・タイトルで流れる軽快な「スカイシップ号」のテーマと、グランド・キャニオンの場面を彩る壮大な管弦楽曲が特に印象的です。
 スコアは1968年2月1、2、5日の3日に亘り、オリンピック・スタジオに集められた56人編成の管弦楽団が、グレイの指揮のもと、演奏・録音しました。
 録音エンジニアはキース・グラント(Keith Grant)です。バリー・グレイの旧友でもあるグラントは1958年にIBCスタジオからオリンピック・スタジオに移り、ビートルズをはじめとする多くのロックやポピュラー音楽の録音を手がけました。『ジーザス・クライスト・スーパースター(Jesus Christ Superstar)』(1973)で英国アカデミー賞(BAFTA Film Award)最優秀サウンドトラック部門(Best Sound Track)を受賞した後は、イギリスの映画録音技術を代表する人材として活躍します。グレイとは1968年3月26日にも『ジョー90』製作順第8話(日本放映順第13話)「幽霊教会の対決(The Unorthodox Shepherd)」用のオルガンとハープの音源を録音しています。
 このような多くの名人と呼ぶべきイギリスの裏方職人たちの力に頼りつつ、バリー・グレイの音楽的才能は大きく花開いたのです。

 『サンダーバード6号』のレコーディングを行った頃、すでに『キャプテン・スカーレット』の製作は終了しており、グレイは次のスーパーマリオネーション作品『ジョー90(Joe 90)』(1968)の音楽の録音を始めていました。
 『ジョー90』は、ダークなタッチの前作とは対照的に、少年が毎回、脳に特定分野の専門家の知識を刷り込まれて大活躍する冒険物です。この番組のためにグレイは、非常にキャッチーでポップなテーマを作曲しました。冒頭のオープニング・クレジット用のアップ・テンポ・ヴァージョンは、「ジェームズ・ボンドのテーマ」のリフ(反復楽句)演奏で有名なエレキ・ギター奏者ヴィク・フリック(Vic Flick)を招き、1968年1月18日にオリンピック・スタジオで録音されました。「ぽよよよ」という効果音は、グレイ手作りの可聴周波掃引発振器(audio sweep oscillator)による電子音です。同じテーマ曲は、エンド・タイトルではオーケストラで軽快に演奏されます。
 『サンダーバード6号』の収録を挟み、グレイは1968年2月から9月までのセッションで『ジョー90』の劇中アンダースコアを集中して録音します。
 『ジョー90』の音楽は、『スカーレット』との違いを引き立たせるために、意図的に明るくポップになっています。電子音の使用は減り、アコースティックなオーケストラの音響に重心が置かれました。
 スコアの多くはテーマ曲の変奏の形を取っています。特に見事なのは、6月16日にバリー・グレイの個人スタジオで録音された英国放送第16話(日本第15話)「ビッグラットの秘密を盗め(Project 90)」の中で、ジョーが気球に乗って飛ぶシーンの音楽です。華麗で軽やかな、正に空へ上昇してゆくスコアですが、良く聴くとこれは「ジョー90のテーマ」の変奏なのですね。

■グレイ・コラム7■

=「ライト・クラシック」の世界とのつながり=

 グレイの伝記を追っていくと、「旧友」スタンリー・ブラックやチャールズ・ウィリアムズ、ロバート・ドッカーといった、ライト・クラシックあるいはセミ・クラシックと呼ばれるジャンル(イージーリスニングよりもクラシック色が強い)の作曲家たちの名前が出てきます。
 彼らは、正統派クラシックの作曲技法を身に付けながら、堅苦しい形式の曲ではなく、肩の凝らないお気楽な音楽を書き、オーケストラを使ったポピュラー・コンサートを指揮し、1950〜1960年代を中心に高い人気を保ちました。言わばケテルビーの戦後版、エリック・コーツの後継者、ルロイ・アンダーソンのイギリス版といったところです。
 そう言えば、バリー・グレイの音楽も、オーケストラの豊かな音色を生かし、親しみやすく、聴く者を幸せにするという点で、イギリス・ライト・クラシックの伝統を受け継いでいます。もちろんドラマ性という面では際立った秀逸さを聴かせるグレイのスコアですが、そのルーツの一つは、ライト・クラシックの世界との交流にあったと言えるでしょう。
 かつては日本でも人気を誇ったオーケストラを使った英国ライト・クラシックの世界。ここからバリー・グレイやロン・グッドウィンらの音楽の一端が生み出されたことを考えれば、良質な管弦楽曲の源泉として、音楽史上、再評価されるべきかも知れませんね。
 シリーズ中で最も音楽が豊富に鳴り響くのは、3月20日に収録された第4話(第8話)「消えた天才ピアニスト(International Concerto)」でしょう。世界的名ピアニスト、スラデックを救出するこの回では、スコアは全編華麗なピアノ協奏曲風に書かれています。「たーらららー」といういつものバリー・グレイ節が華麗なピアノでドラマティックに展開されていく様子は、聴いていてわくわくします。モスクワのコンサート会場が写ると、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の冒頭が少し流れたのち、グレイお得意の走句(下降フレーズ)につながるなど、クラシックの名曲も巧みに取り入れています。またスラデックから「ラフマニノフの第8交響曲を練習中」という手紙を受け取ったマックレイン教授に「おかしいな、ラフマニノフは第8交響曲など書いていないんだが」と言わせ、それが暗号文であることを気付かせるなど、クラシックの教養がストーリーにも生かされています。
 なお、この回のスコアで華麗なピアノを聴かせているのは、作曲家・アレンジャー・鍵盤奏者・指揮者としてイギリスのライト・ミュージックの世界で活躍したロバート・ドッカー(Robert Docker, 1918-1992)です。彼の楽しい管弦楽作品は今でも人々を楽しませており、またティオムキンの『ローマ帝国の滅亡(The Fall of the Roman Empire)』(1964)のスコアのオーケストレーションや『炎のランナー(Chariots of Fire)』 (1981)のスコアの一部も手掛けるなど、映画音楽の世界にも貢献しました。
 エピソードのクライマックスで、ジョーがスラデックとピアノの演奏を交代する場面で、鍵盤上に写るジョーの手は、グレイの息子サイモンのものです。サイモンはお父さんの指導で、左手で難しい分散和音を弾いています。
 また8月23日には、『魔法のけん銃』でハーモニカを吹いたトミー・ライリーをゲストに呼んで、第18話(第19話)「早撃ち保安官(The Lone Handed 90)」の伴奏を録音していますし、9月27日には常連トランペッッターのトム・マックォーターが、第29話(第30話)「愉快なまぼろし作戦(See You Down There)」でジョーの演奏場面を録音しています。

 ※ 『ジョー90』の主な録音セッション <話数は製作順(カッコ内は日本での放映順)>
録音年月日 録 音 内 容楽器編成等
1968年1月18日 テーマ&場面転換曲
第1話(第1話)「小さな特別諜報員誕生(The Most Special Agent)」
28人編成
1968年2月16日 第2話(第2話)「地底基地を爆破せよ(Hi-jacked)」
第5話(第16話)「大手術作戦 (Operation McClaine)」
26人編成
1968年3月20日 第3話(第6話)「連続ジェット機墜落のなぞ(Splash Down)」
第4話(第8話)「消えた天才ピアニスト (International Concerto)」
1968年3月26日 第8話(第13話)「幽霊教会の対決(The Unorthodox Shepherd)」特別セッション(オルガンとハープの音楽) 3人編成 録音技師:キース・グラント(Keith Grant)
1968年4月10日 第6話(第7話)「恐怖の海底脱出(The Big Fish)」
第8話(第13話)「幽霊教会の対決(The Unorthodox Shepherd)」
1968年4月18日 第7話(第11話)「地獄の生き埋め(Relative Danger)」
第9話(第17話)「身がわり王子(King for a Day)」
21人編成
1968年5月12日 第11話(第3話)「宇宙ステーション応答せず(Most Special Astronaut)」
第13話(第10話)「二重スパイは誰だ?(Double Agent)」
17人編成
1968年5月22日 第14話(第5話)「北極のミサイル回収(Arctic Adventure)」
第15話(第9話)「ジャングル死の脱出(The Fortress)」
17人編成
1968年6月16日 第16話(第15話)「ビッグラットの秘密を盗め(Project 90)」
第17話(第24話)「恐怖の爆弾トラック(Colonel McClaine)」
17人編成
1968年6月22日 第12話(第26話)「危険な女スパイ(Three's a Crowd)」
第20話(第14話)「世界一の金庫破り(The Professional)」
17人編成
1968年7月15日 第19話(第12話)「決死のスピードレース(The Race)」
第21話(第18話)「死のテストパイロット(Talk Down)」
22人編成 録音技師:ジョン・リチャーズ(John Richards)
1968年8月23日 第18話(第19話)「早撃ち保安官(Lone-Handed 90)」 7人編成 ハーモニカ:トム・ライリー(Tom Reilley)
1968年9月27日 第29話(第30話)「愉快なまぼろし作戦 (See You Down There)」 − 追加セッション(Tom McQuater) トランペット:トム・マックォーター
1968年10月3日 パイ・ディスク社商業アルバム録音セッション 15人編成

 その後、10月3日にはCTSスタジオで、商業アルバム用に15人編成で「ジョー90のテーマ」を録音しました。これは、第2話(第2話)「地底基地を爆破せよ(Hi-jacked)」からの同名器楽曲を裏面にして、パイ(Pye disk)からシングル・レコードとして発売されました。

 『ジョー90』が終わってから、新たにグレイが取り組んだアンダーソン作品は、「スーパーマリオネーション」シリーズとしては最後となる『ロンドン指令X(The Secret Service)』(1969)でした。「ビショップ(B.I.S.H.O.P.)」と呼ばれる秘密組織で働く諜報部員(普段は僧侶ビショップに扮している!)を主人公としたシリーズで、実写と特撮人形劇の融合が奇妙な印象を残すドラマです。
 ジェリー・アンダーソンは、主人公スタンレー・アンウィンが神父だという設定なので、音楽もバッハのスタイルを応用したらいいだろうと考え、バリー・グレイに、当時人気のフランスの声楽グループ、スウィングル・シンガーズに頼んでみたらどうか、と提案しました。

 そこで、とにかくすぐにフランスへ飛んで、彼らと契約しようとしたんですが、必要額が私達の予算をオーバーしていましてね。ところが、帰りの飛行機の中で、バッハの様式による3声のフーガのテーマが思い浮かんだんですよ。結局、マイク・サムズ・シンガーズが見事な演奏をしてくれて、とても成功した録音となったわけです。
(バリー・グレイ)

 この「ロンドン指令Xのテーマ(The Secret Service Theme)」は1968年10月16日、CTSスタジオで、マイク・サムズ・シンガースの8人の歌手と、オルガン奏者ビル・デイヴィス(Bill Davis)の演奏で録音されました。
 このテーマ曲はグレイにとっても会心の出来だったようです。そのあまりにも洗練されたスマートな書法は、『サンダーバード』と同じ作曲家による作品とは思えないほどですが、そのカデンツ(終結和音)には紛うことなきバリー・グレイの個性が焼き付けられています。グレイは、代表作と言われる「サンダーバードのテーマ」よりも、むしろこの『ロンドン指令X』(1969)と、次回作『決死圏SOS宇宙船』(1969)の主題曲を好んでいました。
 比較的少量のアンダースコアは、テーマ曲に引き続き、1968年10月から翌1969年の1月初旬にかけての計4日間のセッションで録音されました。


ライヴ・アクションへの挑戦

 『決死圏SOS宇宙船<TV>(Doppelgänger; 米題 Journey to the Far Side of the Sun)』(1969)は、『ロンドン指令X』(1969)に続くアンダーソン作品で、人形ではなく、人間(ロイ・シネス、エド・ビショップ等)が演じた劇場用SF映画です。アンダーソンは遂にスーパーマリオネーションを卒業したのです。
 『決死圏SOS宇宙船』のスコアは1969年の1月〜3月頃に書かれ、1969年の3月27日から3日続いたセッションで録音されました。編成は、3月27日が55人の管弦楽(31人の弦と24人の木管、打楽器、それに金管楽器)、28日は42人、最後は28人編成、といずれも大規模なオーケストラで行われ、リッチなサウンドを実現しています。
 メイン・タイトル曲はSFには珍しく、ドラマティックなピアノ協奏曲のスタイルを取っています。また、通常の楽器の他に電子楽器オンド・マルトノが使われました。フランスから呼ばれて渡英した世界的なオンデスト(オンド・マルトノ奏者)、シルヴェット・アラール(Sylvette Allart)の演奏は、スコアに鮮烈な効果を与えています。  『決死圏SOS宇宙船』の音楽はグレイにとっても自信作のようで、彼はこの映画のスコアを、自分がアンダーソンのために残した最良の仕事と考えています。特に「眠れる宇宙飛行士(Sleeping Astronauts)」のシークエンスの音楽は、オンド・マルトノの音色の美しさを最高度に発揮させたことで有名で、次の『謎の円盤UFO』の製作順第13話(日本放映第5話)「惑星Xクローズ・アップ作戦(Close Up)」でも再使用されることになります。

 その『謎の円盤UFOユー・エフ・オー (UFO)』(1970-73)は、ジェリー・アンダーソンが生身の俳優を使った最初のSFテレビ・シリーズで、1969年4月下旬から英MGMスタジオで撮影が始まりました。バリー・グレイは1969年から1970年までの間、このドラマの作曲・録音に従事します。
 『キャプテン・スカーレット』よりもずっとリアルなタッチで、未確認飛行物体(UFO)に乗って地球侵略にやって来る宇宙人と、それを迎え撃つ極秘の地球防衛組織SHADOシャドーとの戦いを描くこのSFでは、メカが活躍する激しい戦闘シーンも少なくありませんが、むしろ心理描写や宇宙での密室の圧迫感、スパイ的要素、オカルト的要素といった地味な側面が目立つ物語でした。そのためバリー・グレイの音楽も、スカッとした爽快なものより、むしろ『キャプテン・スカーレット』に似た、重苦しい不気味なものが多くなっています。
 その中で、断トツに素晴らしいのは、スピーディーなテーマ曲でしょう。「かっこいい」という言葉がぴったりのこの曲には、電子オルガンがフィーチャーされ、少し前のフラワー・ムーブメントやサイケ・ブーム、さらには「スウィンギング・ロンドン」の残り香まで感じさせる時代の雰囲気も纏っています。しかし、単純な音形を基礎に全曲を築く手腕や、巧みな転調は聴く者を飽きさせず、全く古さを感じさせません。
 当初、このタイトル曲を含む多くのアンダースコアが、1969年6月14日にイーシャーにあるグレイの自宅のスタジオで11人編成の楽団によって録音されました。しかし、全体的な感じがやや耳障りで軍隊調過ぎ、このテレビ・シリーズには合わないと判断されたため、録音は全て破棄され、グレイは全部を再編曲・再録音しました。
 パイロット版(=第1話)の伴奏音楽の録音セッションは7月16日にアンヴィル・スタジオで、再びオンデストのシルヴェット・アラールを含む、17人編成のオーケストラで行われました。
 これに続いて何話かのエピソードのスコアが録音されていますが、「謎の円盤UFO」の新しいタイトル曲がようやく録音されるのは、約3ヶ月経った10月16日のことです。この日、グレイの自宅スタジオで14人編成の楽団により何テイクか録音されたオープニング・タイトル曲のうち、本編に採用されたのは「テイク4」です。
 一方、エンド・タイトルの電子音楽(日本での放映時にはカットされていました)は、『決死圏SOS宇宙船』(1969)で用いられた「不時着と救出(Crashlanding and Rescue)」という電子音キューを元としていますが、これは元来、1961年の『宇宙船XL−5』のために録音された何曲かの電子音楽をミックスしたものと言われます。グレイはこのエンド・タイトルについて、「世界(地球)」「月」「太陽」「宇宙人」から成る「ワールド・ミュージック」だと述べています。実際、画面には地球、月、太陽、そしてどす黒い不気味な惑星Xが、電子音の変調と共に順に現れます。
 本編中の音楽は、これまでのように以前のアンダーソン作品の音楽を、ライブラリーとして使うこともありますが、作品のカラーがそれまでと大きく異なるため、基本的には他作品のスコアの使いまわしはほとんどありません。『スティングレイ』からの「海底のブルース」が、製作順第23話(日本放映第16話)「人間爆弾 (The Psycho Bombs)」の中でリンダ・シモンズの車のラジオから流れたり、同じく『スティングレイ』の「イージー・ラジオ・リスニング・ミュージック」がやはりBGMとして使われたりする程度でしょうか。

(註) 日本語吹替版では、ミサイル揚撃機インターセプターの発進シーンで「サンダーバード」行進曲が流れますが、これは日本独自の演出で、オリジナル版ではもっとクールなインターセプター発進の音楽が流れます。

 オリジナルのアンダースコアでは、グレイは交響管弦楽からジャズ・コンボ、ロック・バンドまで、実にバラエティに富んだ大小の様々なアンサンブルを用いています。
 最も大きいものは、1970年1月7日に製作順第11話(日本放映第14話)「UFO攻撃中止命令(The Square Triangle)」と、同第15話(同第11話)「超能力!! UFO探知人間(E.S.P.)」の音楽の録音で用いた26人編成であり、最も小さいのは、翌1970年11月9日の第26話(第26話)「眠れる美女の怪奇(The Long Sleep)」の8人コンボでした。
 これら二つの録音セッションの間に、『謎の円盤UFO』とアンダーソン率いるセンチュリー21プロにかなり大きな変動が起きていました。

 ※ 『謎の円盤UFO』の主な録音セッション <話数は製作順(カッコ内は日本での放映順)>
録音年月日 録 音 内 容楽器編成等
1969年6月14日 テーマ曲&本編楽曲複数
1969年7月16日 第1話(第1話)「宇宙人捕虜第一号 (Identified)」 17人編成 オンド・マルトノ:シルヴェット・アラール
1969年8月14日 第3話(第13話)「UFO月面破壊作戦 (Flight Path)」 20人編成
1969年8月24日 第5話(第3話)「我が友宇宙人 (Survival)」 14人編成
1969年10月2日 第8話(第25話)「宇宙人・地球逃亡! (A Question of Priorities)」 19人編成
1969年10月5日 第6話(第4話)「円盤基地爆破作戦 (Conflict)」 19人編成
1969年10月16日 タイトル曲(再録音) 14人編成
1969年12月4日 第9話(第10話)「宇宙人フォスター大佐 (Ordeal)」
第5話(第3話)「我が友宇宙人 (Survival)」(改訂版)
15人編成
1969年12月7日 第9話(第10話)「宇宙人フォスター大佐 (Ordeal)」
第5話(第3話)「我が友宇宙人 (Survival)」  追加セッション
1970年1月7日 第11話(第14話)「UFO攻撃中止命令 (The Square Triangle)」
第15話(第11話)「超能力!! UFO探知人間(E.S.P.)」
26人編成
1970年3月4日 第14話(第22話)「シャドーはこうして生まれた (Confetti Check A-O.K.)」 18人編成
1970年11月9日 第26話(第26話)「眠れる美女の怪奇 (The Long Sleep)」 8人編成

 それは、撮影スタジオの変更と、それに伴う撮影上のブランク、それがもたらした作品の質的変化と、その結果生じた経営危機です。
 『謎の円盤UFO』の当初の17話は英国MGMスタジオで撮影されていましたが、この一種の貸しスタジオが1970年初夏に解体されて団地に作り変えられることが決まり、スタジオは1969年末をもって閉鎖されました。
 困ったセンチュリー21は、続きをパインウッド撮影所で撮ることにしましたが、空きを待つ間、6ヶ月を空費せざるを得なかったのです。
 この間にフリーマン大佐役のジョージ・シーウェルや、エリス中尉を演じたガブリエル・ドレイクといった重要な俳優たちが契約切れで番組を去り、さらに予算縮小、製作期間短縮、脚本家入替などにより、1970年6月中旬からパインウッド・スタジオで製作が再開された『謎の円盤UFO』は作品のムードが一変します。

※ 『謎の円盤UFO』のうち、パインウッド撮影所で製作された9話
    第18話(第9話)「湖底にひそむUFO (The Sound of Silence)」
    第19話(第8話)「猫の目は宇宙人 (The Cat with Ten Lives)」
    第20話(第17話)「地球最後の時 (Destruction)」
    第21話(第15話)「人間ロボット殺人計画 (The Man Who Came Back)」
    第22話(第19話)「UFO大編隊接近中 (Reflections in the Water)」
    第23話(第16話)「人間爆弾 (The Psycho Bombs)」
    第24話(第24話)「UFO時間凍結作戦 (Timelash)」
    第25話(第20話)「謎の発狂石 (Mindbender)」
    第26話(第26話)「眠れる美女の怪奇 (The Long Sleep)」

 バリー・グレイも、1970年前半のこのブランクの期間に、ロンドンのイーシャーにあった自宅を引き払い、英仏海峡中のフランス・ノルマンディ地方近くに位置する、イギリス連邦チャネル諸島に属す小さなタックス・ヘイヴン、ガーンジー島(Guernsey)に移住しました。バリー・グレイ62歳の時のことです。
 彼はガーンジー島東岸にある主都セント・ピーター・ポート(St. Peter Port)に新しい住居を構え、同時に、地下15フィート(4.5m)に位置する旧ドイツ軍の燃料庫だった古い掩蔽(えんぺい)壕(1941年建設)の中に、新しい録音スタジオを設営しました。
 『謎の円盤UFO』第2製作ブロックのために新しく録音されたのは、最終回「眠れる美女の怪奇(The Long Sleep)」のスコアのみで、グレイはそのアコースティックな音楽の録音のため、1970年11月9日にロンドンのパイ・スタジオに赴いて、セッションを行いました。これをガーンジー島の地下スタジオに持ち帰り、そこで作られた電子音と合成して、サウンドトラックを仕上げたのです。
 なおこの回は、ドラマの時代設定(1980年)より10年前の1970年、つまり製作当時を舞台とする回想シーンが多いため、ヒッピー風の主人公たちに合わせ、当時のポピュラー音楽−−ラヴ&ピースのフラワー・ムーヴメントを匂わせるテーマ曲が設定されており、時代の刻印をわざと付けた巧みな曲作りが楽しめます。しかも、この主題が場面やムードの変化に合わせて変容し、アンダースコアとして機能するのです。

 『謎の円盤UFO』終盤の質的低下により、テレビ局ATVはセンチュリー21プロに次回作を発注することを中止しました。アンダーソンはスタッフを維持できず、センチュリー21の閉鎖を決定し、特撮スタッフはじめ多くの優秀な人材が離散してしまいます。バリー・グレイも幾ばくかの寂しさを感じたに違いありません。
 しかし、グレイとアンダーソンのSFシリーズはこれで終わりではありませんでした。

最後の作品『スペース1999』

 ジェリー・アンダーソンが続いて作った2つの作品にはバリー・グレイは参加していません。
 『プロテクター電光石火(The Protectors)』(1972)は、ATV(ITC)の総帥ルー・グレードが自らが企画した作品で、ジェリー・アンダーソンと彼の新しい会社「グループ3プロダクション」(1971年設立)に製作が委託されました。しかし配役やスタッフの大部分はグレード側によって決められおり、作曲家も当時作曲・編曲・音楽監督として売り出し中のジョン・キャメロンが指名されていて、バリー・グレイが加わる余地はありませんでした。
 翌1973年、アンダーソンは彼自身の企画による『インヴェスティゲーター(The Investigator)』(1973)<未>を製作します。『ロンドン指令X』(1969)に似た、実写ドラマと人形劇の奇妙な混合作で、SF的な設定を持っていますが、出来が悪く、30分のパイロット版が作られただけで終わりました。音楽は『プロテクター電光石火』に続き、ジョン・キャメロンがスコアを書き、主題曲は、全英ヒット・チャート1位を記録した「イエロー・リバー(Yellow River)」でデビューしたバンド「クリスティー(Christie)」の元メンバー、ヴィク・エルムス(Vic Elms)が担当しました。エルムスはジェリー&シルヴィア・アンダーソンの娘と結婚しており、彼が起用された裏には、エルムスがジェリーの婿だったという事情もあったようです。

 1973年、ジェリー・アンダーソンは念願のSF連続テレビ・ドラマの製作に入りました。それが『スペース1999 (Space: 1999)』(1975-77)で、アンダーソンの古くからのスタッフが参集し、バリー・グレイも駆け付けました。
 しかし今回は、これまでとは空気がかなり違っていました。
 まず、この番組ではバリー・グレイが唯一の音楽担当者ではありませんでした。それどころか、彼はジェリー・アンダーソン夫妻の義理の息子のポップ・ミュージシャン、ヴィク・エルムスと共作をさせられ、スコアも全体の3分の1程度しか書かせてもらえず、全体の音楽構成も音楽監督のアラン・ウィリスが仕切っていました。
 テーマ曲もヴィク・エルムスとの共作名義になっていますが、実際にどこまでヴィク・エルムスが作曲に関わったのか、はっきりしないところがあります。第2年(第2シーズン)以降のテーマ曲を担当するデレク・ワズワースはこう述べています。

 『スペース1999』第1シリーズで、バリー・グレイをロック・ミュージシャンのヴィク・エルムスと一緒にやらせようというのは誰か別の人のアイデアだったな。ぼくの見るところ、バリーが自分の分を少し書いて、それからヴィク・エルムスの番になったと思うね。

 エルムス本人は、あるインタヴューに次のように答えています。

 リード・ギターがイントロのテーマで曲を演奏し始めるのが聞こえるところと、各回の終わりで、ぼくがこの曲を、バリー・グレイが作曲していた音楽の全般的なムードに基づいて、自分で書いた、とされるべきだろうね。

 あいまいですが、要するにグレイが作曲したモティーフに基づいてバンドへのアレンジと演奏を行ったということでしょう。
 実際、このテーマ曲では、グレイの重厚なテーマに続き、ディスコ調がかったクロスオーバー・スタイルのロック・バンドの演奏が入ってきます。そこではヴィク・エルムスがファズでワウを踏ませたリード・ギターを弾き、ベースはジョン・マッコイ、ドラムスはリアム・ゲノッキー*が演奏しています。

* ちなみにマッコイとゲノッキーはどちらも「ゼブラ(Zzebra)」というバンド出身で、マッコイは後にハード・ロック・グループ「ディープ・パープル」のヴォーカル、イアン・ギランが結成したソロ・バンド「イアン・ギラン・バンド」(1976-78)及び「ギラン」(1978-83)でベースを弾きました。
 ゲノッキーの方はいわゆるカンタベリー系ミュージシャンとのコラボレーションで活躍し(ギランのバンドにも参加)、2006年には、1970年代を中心に活動したプログレッシヴ・ロック/フュージョン・バンド「ソフト・マシーン」の残党バンド「ソフト・マシーン・レガシィ」に参加して注目を浴びています。

 メイン・タイトルの収録の様子を、ジョン・マッコイは次のように述べています。

 有難いことに、俺は60人編成のオーケストラで〔エレキ・〕ベースの仕事をもらって、『サンダーバード』で有名なジェリー・アンダーソンの主題曲や伴奏音楽を録音したよ。
 最初のセッションは『スペース1999』とかいう番組のためのもので、そいつは今でも再放送されてる。〔中略〕ドラマーのリアム・ゲノッキーと俺は午前5時までパーティで外出していて、サウンド・ステージには、数時間前の酒、大麻、LSDのおかげでひどい状態で遅刻して現れたもんだ! 俺が与えられたパートを見たが、俺のヤクにラリった目には、よく言われる変てこな点々が、パート譜のページの上を動き回っているのが見えた。俺は便所に行き、吐き、俺のパート譜をトイレに落とし、気を失った。リアムが俺を起こし、俺たちはサウンドステージに戻った。そこには58人の“きちんとした”音楽家たちがうずうずしながら待っていて、俺たちは大道芸をした! 誰もがそれを気に入ったみたいだったが、ベースが〔あれほど〕信られないくらいうるさく聞こえた番組は観たことがない! ああ、若気の至り……

 こんな具合ですから、若者たちとバリー・グレイの仲があまり好くなかったとしても仕方ないでしょう。ヴィク・エルムスは回想します。

 バリー・グレイがぼくと一緒に仕事をしようという気がないことは、火を見るより明らかだったからね。彼がその膨大なクラシック音楽の素養ゆえに、ぼくを音楽に関して下っ端か見習か何かのようにみなしていたことは実にはっきりしていた。というわけで、このために我々が仕事の関係を見出だすことを不可能にしたんだよ。

(前略)バリー・グレイがシリーズへの私の貢献についてコメントすることは一度もなかったし、ぼくも彼についてはしなかったよ。音楽の二つのスタイルの衝突というアイデアが、実験の主なポイントだったんだ。

 これに対するグレイ側の証言がないので、これらのインタヴューだけで真実を判断することは差し控えなければなりませんが、いずれにせよ、当時の現場の雰囲気の一端は伝えていると思われます。
 ちなみにバリー・グレイは、後のインタヴューで、ポピュラー音楽やロックのスタイルを取り入れた映画音楽について、こう述べています。

ポップス&ロック志向のスコア(pop- and rock-oriented scores)が書かれ始めた頃は、多くのプロデューサーたちはポップス&ロック音楽の商業シーンを睨んでいたと思いますよ、特に1960年代初期のビートルズが始まって間もなくの頃にはね。彼らの大半は、このご馳走にありつかなきゃいけないと感じ、ポップス・タイプのスコアを手に入れて、それで商業的に仕事をするのはいい考えだと感じていたと思います。ポップ・グループは山のようなレコードを売っていましたからね。私はこの現象が広まったのは、演技を省略したがっていたプロデューサーたちを通じてだと思います。私は本当に新しいスタイルを批判しているわけではありません。これは最近20年に起きている現在の流れの、さらなる広がりだと思います。多くの場合、ある特定のタイプの映画、特定のタイプのシークエンスにおいて、ポピュラー志向のスコアは演技にとてもよく合います。

 グレイは、テーマ曲だけでなく、本編中のアンダースコアに関しても一人でやらせてもらうことは出来ませんでした。それは、製作者サイドと言うよりは、労働組合との間の問題でした。音楽用の予算が制限されていたため、当時の音楽家組合(the Musician's Union)の規則により、グレイは第1年(第1シーズン)全13話のうち、次の4話ないし5話分の録音セッションしか音楽家たちを使うことが許されなかったのです。

 ※ 『スペース1999』のうち、バリー・グレイの主な録音セッション  <話数は製作順(カッコ内は日本での放映順)>
録音年月日 録 音 内 容楽器編成等
1973年12月11日 テーマ曲(オープニング&クロージング・タイトル) 52人編成
1974年3月14日 第2話(第14話)「宇宙によみがえった死者(Matter of Life and Death)」 32人編成
1974年3月15日 第1話(第1話)「人類の危機!宇宙基地大爆発(Breakaway)」 32人編成
1974年4月25日 第3話(第4話)「黒い太陽ブラックホール(Black Sun)」 38人編成
1974年6月25日 第5話(第18話)「月が二つに分かれる時(Another Time, Another Place)」 52人編成
1974年12月3日 第15話(第10話)「宇宙洞窟原始人の襲来(The Full Circle)」一部
(他の部分は『サンダーバード6号』からの流用)
特殊打楽器

 『スペース1999』の最初の録音セッションは、1973年12月11日の午前9時から午後1時にかけて、デンハムのアンヴィル・スタジオで行われました。この時グレイは52人編成の大管弦楽を指揮し、先述のヴィク・エルムス(g)、ジョン・マッコイ(b)、リアム・ゲノッキー(d)と共演して、テーマ曲を収録しました。なお、テーマ曲は4つのヴァージョン(テイク?)が書かれ、実際に採用されたのはそのうちの1曲(1テイク?)だと言われます。
 それ以外のエピソードには1974年の3月から5月にかけて、CTS録音スタジオで、32〜38人編成の管弦楽によるスコアが付けられています。最初に第2話(第14話)「宇宙によみがえった死者(Matter of Life and Death)」のスコアが録音され、続いて第1話以降、第5話(第18話)「月が二つに分かれる時(Another Time, Another Place)」までの音楽が順次録音されました。
 これ以外にもグレイは、ガーンジーの自分のスタジオで電子音響やキューを製作して提供し続けました。1974年11月20日録音の第19話(第22話)「宇宙悪霊の呪い(The Troubled Spirit)」(冒頭でジム・サリヴァン作曲・演奏によるシタール独奏が流れる)と、12月3日録音の第15話(第10話)「宇宙洞窟原始人の襲来(The Full Circle)」では、それぞれの録音セッションを自ら監修もしています。
 とは言え、全体の中ではグレイのオリジナル楽曲は半分以下に過ぎず、音楽編集者アラン・ウィリスは、グレイのわずかな音源を、ヴィク・エルムス等の他のミュージシャンの演奏や、多くのライブラリー音源(以前のエピソードや昔のアンダーソンのシリーズのからの既存の録音)、クラシック音楽の既存録音などと組み合わせ、伴奏音楽に仕立てざるを得ませんでした。第4話(第15話)「宇宙コンピューターの反逆(Ring around the Moon)」はヴィク・エルムスがアラン・ウィリスの助けを得て作曲しています。第20話(第20話)「巨大な宇宙脳の攻撃(Space Brain)」ではホルストの組曲「惑星」からの「火星」、第23話(第17話)「宇宙墓場の怪獣現わる! (Dragon's Domain)」ではアルビノーニの「オルガンと弦楽のためのアダージョ」が使われました。

 このように行き違いだらけだった『スペース1999』第1シーズンに(おそらく)嫌気が差したグレイは、これを最後に映画・テレビ音楽の世界から引退を決意するのです。
 第1シーズン終了後の祝賀パーティーで、ジェリー・アンダーソンは妻シルヴィアとの離婚を公表しました。夫婦は『謎の円盤UFO』終了時点にはすでに危機にありましたが、番組製作で多忙な毎日を送るうち、二人の溝は修復不能なほど深まっていたのです。
 『スペース1999』の第2シーズンは、第1年(第1シーズン)の出来に満足しなかった放送局の意向を反映して、アメリカ人プロデューサー、フレディ・フェインバーガー(Freddy Feinberger)が雇われ、番組カラーの変更が決められました。この際、元妻シルヴィアをはじめ、一部の出演者やスタッフたちがジェリーのもとを去りました。その中にはバリー・グレイも含まれていたのです。第2シーズンの音楽は、ライト・クラシックの伝統を引き継ぐイギリス人作曲家・指揮者デレク・ワズワース(Derek Wadsworth)が新たに書き下ろすことになりました。
 結果として、『スペース1999』第1年のスコアが、グレイの最後のジェリー・アンダーソンとの協力作品となりました。

 こうしてバリー・グレイは、テレビ・映画作曲家としての長いキャリアの幕を引いたのです。


引退後の生活&アポテオーズ(栄光化)

 『スペース1999』での仕事を終えた67歳のバリー・グレイは、ガーンジー島に腰を据え、趣味の世界に没頭するようになります。素描画やカリグラフィ(能書法)の腕前は玄人はだしで、彼が友人やファンたちへ出した手紙の数々は、西洋書道の超一級品と言われる一方で、ガーンジー島に関する冊子を執筆し、自ら挿絵を描く……という多芸多才ぶりを発揮しています。
 1977年からは、ガーンジー島の旧市庁舎ホテル(Old Goverment Hotel)の専属ピアニストとなり、夕食の時間になると、ピアノやオルガンをリクエストに応じて演奏し、ホテルの宿泊客を楽しませたのです。何と言う贅沢な客たち!
 もっとも、一番多くリクエストされたのは『サンダーバード』ではなく、『カサブランカ』からの「時の過ぎゆくままに(As Time Goes By)」だったと言います。

 こうしてグレイは平穏な日々を楽しみました。しかし彼が引退し、サウンドトラックの世界から遠ざかっている間に、世間ではアンダーソンのシリーズをリアル・タイムで見た若い世代を中心に、彼の名声がどんどん高まっていきました。

■グレイ・コラム8■

=指揮者バリー・グレイ=

 バリー・グレイは録音セッションではプロの音楽家たちを前に、自分の曲を指揮しました。その腕前は、どんなものだったんでしょう?
 指揮者の中には派手に髪を振り乱し、自己に没入するような、いかにもゲイジュツカ的な指揮をする人々がいますが、グレイの場合は極めて何気ない様子で、実務的にタクトを振りました。
 彼の指揮は「控え目」ですが「大変効果的」で、「労働者のための」指揮と記憶されています。何より、安定した拍を打っていたことが特徴で、これはおそらく何十年も前、ブラックバーン大聖堂で習っていた頃に習得したテクニックだろうと考えられます。そこで彼は合唱を指揮していました。合唱を統率するには、明白な拍子が必要なのです。
 グレイの実務的な指揮が、偉大な芸術を引き出すことを立証したのは、1979年に行われた映画音楽コンサート「フィルムハーモニック '79」での会場でした。ここでグレイは93名のナショナル・フィルハーモニー管弦楽団を振って自作を演奏し、見事な交響的な壁画を構築して見せたのでした。
 1979年の初め、グレイのもとに、「フィルムハーモニック (Filmharmonic)」と呼ばれる映画音楽のコンサートのために、自作を編曲し、客演指揮者として管弦楽を振ってくれないかという依頼が舞い込みました。「フィルムハーモニック」は「映画慈善基金(Cinema Benevolent Fund)」への寄付を目的にシドニー・サミュエルソン(Sidney Samuelson)が企画した、年1回開催される映画音楽のコンサートでした。
 グレイは快諾し、「フィルムハーモニック '79 (Filmharmonic 79)」のために、『決死圏SOS宇宙船』、テレビ版『サンダーバード』および『サンダーバード6号』の音楽を12分の組曲「パインウッド・イン・スペース(Pinewood in Space)」に編曲し(パインウッドとはイギリスの有名な映画撮影所のあった地名)、1979年10月にロイヤル・アルバート・ホールで開催されたコンサートに於いて、93人から成るナショナル・フィルハーモニー管弦楽団を指揮するという、夢のような企画が実現したのです。
 「フィルムハーモニック '79」は大成功を収めました。グレイは演奏終了後、山のような人々が楽屋口にサインを求めて群がっているのを見て、うれしい驚きを感じました。彼らのうちには、グレイにサインしてもらおうと、昔のアンダーソン・シリーズのテレビ主題曲が収録された古いセンチュリー21のLPコレクションを持ってきている者たちもいて、グレイを大いに感激させました。
 なお、「フィルムハーモニック '79」で演奏された曲目の主要なものは、コンサート本番に先立ち、CTSスタジオでレコード用に録音されました。レコードのクレジット表示では、楽団名は「ランク・コンサート管弦楽団」となっていますが、シドニー・サックスがコンサート・マスターをつとめており、その実体はナショナル・フィルハーモニー管弦楽団です。
 このレコードはLPアルバム「フィルムハーモニック '79 音楽ハイライト(Musical Highlights from Filmharmonic 79)」(註)として、1979年中にユナイテッド・アーティスツから「UAG 30281」という番号で発売されました。その中でグレイが振っているメドレー「パインウッド・イン・スペース」は、次のような構成になっています。
  1. 『決死圏SOS宇宙船』 (1969) 〜 メイン・タイトル
  2. 『決死圏SOS宇宙船』 (1969) 〜 眠れる宇宙飛行士(Sleeping Astronauts in Space)
  3. 『サンダーバード』 (1964) (TV) 〜 ファイアーフラッシュ号着陸(高速エレベーター・カーによる救出シーンの音楽)
  4. 『サンダーバード6号』 (1968) 〜 メイン・タイトル/グランド・キャニオン
  5. 『サンダーバード』 (1964) (TV) 〜 サンダーバード行進曲

 グレイはここで、シンフォニックなサウンドを思う存分展開させています。「眠れる宇宙飛行士」のオンド・マルトノ声部は木管楽器が代行し、「サンダーバード行進曲」はテレビのサウンドトラックより心持ちゆったりとした雄大な演奏になっています。
 これらの演奏、特に『決死圏SOS宇宙船』は録音自体が珍しく、演奏もサウンドトラックを凌駕するほどの名演という、かけがいのない音源であるだけに、復刻CDの発売を切に望みます。

(註) ちなみに、このレコードには他に次のような曲目が収録されています。

  (以上、スタンリー・ブラック指揮)

  (以上、アリン・エインズワース指揮)

  (以上、エド・ウェルチ指揮)

 どれもオリジナル・スコアを基本とした、いずれ劣らぬ極上の編曲・演奏・録音です。

 「フィルムハーモニック」コンサートの成功に大いに喜んだ主催者シドニー・サミュエルソンは、さっそくグレイに翌1980年3月の「ロイヤル・フィルム・パフォーマンス(王室映画上映会)(Royal Film Performance)」のために王室入場ファンファーレを委嘱しました。「ロイヤル・フィルム・パフォーマンス」とは、王室臨席のもとで年1回行われる豪華な上映会で、オールスター・チャリティ・ショウのようなものです。グレイが作曲したファンファーレは、レスター広場(Leicester square)のオデオン劇場で行われたこの上映会の開幕部分で、女王陛下とフィリップ皇太子が入場する際に、近衛コールドストリーム連隊(Coldstream Guards)のトランペット合奏によって盛大に演奏されました。
 グレイはまた、「フィルムハーモニック'80 (Filmharmonic 80)」コンサートのためにも、サミー・フェイン作曲「ザット・オールド・フィーリング(That Old Feeling)」、テレビ・シリーズ『ばか騒ぎ(Making Whoopee)』(1970)<未>のテーマ曲、マノス・ハジダキス作曲『日曜はダメよ(Never on Sunday)』(1960)のテーマ曲、クルト・ヴァイル作曲のミュージカル「ニッカーボッカー氏の休日」(1938)からの「セプテンバー・ソング」を編曲し、「ユナイテッド・アーティスツの様式によるヒット・ソング集(Great Songs United Artists Style)」というメドレーを提供しました。
 さらに翌1981年3月にも、彼は「ロイヤル・フィルム・パフォーマンス」を手伝うことになります。舞台音楽を作曲・編曲し、皇太后(エリザベス女王の母后)とマーガレット王女が登場する場面でナショナル・フィルハーモニー管弦楽団を指揮しました。さらに演奏後には皇太后らに拝謁するという栄光にも浴したのです。

 この1981年には、グレイはITCニューヨーク支社(ITC New York)のロバート・マンデル(Robert Mandell)のために仕事をしました。マンデルは、『海底大戦争/原子力潜水艦スティングレイ』、『サンダーバード』、『キャプテン・スカーレット』、『ジョー90』、『謎の円盤UFO』、それに『スペース1999』という、ジェリー・アンダーソンの主なスーパーマリオネーション番組のエピソードを繋ぎ合わせて、90分のオムニバス「スーパーマリオネーション・スペース・シアター(Supermarionation Space Theatre)」を製作しました。グレイはこの番組のために、再アレンジ・再ダビングを行ったのです。
 この年にはまた、1960年代にパイ・レコード社が発売したグレイのテレビ主題曲による商業レコードが、コンピレーションEP「No Strings Attached」として再発されました。

 同じ頃、グレイは「国際救助隊」のための新しいテーマ曲を書きました。と言ってもこれは『サンダーバード』の新作ではなく、実際の人命救助活動を目的にイギリスに組織された現実の団体のためのものです。この団体はジェリー・アンダーソンを名誉会長とし、『サンダーバード』の理念を継承するものでした。ここにバリー・グレイの音楽が加われば、もう怖いものはなかったでしょう。

 1982年には、グレイはアメリカ合衆国オハイオ州のアトランタ、ジョージア、コロンバスで開かれた「スペース1999/合同大会(Space: 1999 Alliance Conventions)」に招かれました。さらにまた、ロンドンの「ファンダーソン」(ジェリー・アンダーソンの番組のファン・クラブ)の1982年大会(Fanderson 1982 convention)に賓客として登場し、有名なアンダーソン番組のテーマ曲の数々を自ら即興的にパロディめかして演奏して会場を沸かせました。

 こうした散発的なイベントに加え、この頃グレイのもとには、旧友ジェリー・アンダーソンから、新しいシリーズのために音楽を書いてくれるよう依頼が来ていました。グレイは1982年2月のインタヴューでこう述べています。

ジェリー・アンダーソンは数ヶ月前、今年(1982年)中に形にしようとしている新シリーズの音楽を作曲・監修するよう私に頼んできたんです。彼がそれを形にできるかどうか、私には分かりませんが、形になることを願っています。

 本格的なTVサウンドトラックの世界へのカムバックも間近だったわけです。
 ところが、アンダーソンが1982年から製作した新シリーズ『地球防衛軍テラホークス(Terrahawks)』 (1983-86) の音楽は、バリー・グレイが第一候補だったにも関わらず、蓋を開けて見ればリチャード・ハーヴェイによるシンセサイザー・スコアでした。
 グレイが担当しなかったのは、なぜでしょう? 一つはオーケストラを使えなかったからと思われます。ハーヴェイも立派なシンフォニック・スコア作曲の腕前を持っていますが、アンダーソンら製作者側から予算の関係でシンセサイザーの音楽を指示されていたのです。
 しかし理由は他にもあったかも知れません。グレイは上記のインタヴューの中で

私は宇宙テーマの映画より、内容豊富な物語の方が好みです。本当にいい、内容の詰まった映画をやりたいものです

と述べています。『テラホークス』の内容に興味をそそられなかったとしても不思議はありません。
 ただ、作曲への意欲は持ち続けており、機会があればまた素晴らしい音楽を書くだろうと周囲の期待は高まっていました。

 残念ながら、そんな皆の望みは実現しませんでした。
 1984年4月26日、バリー・グレイは循環器障害(動脈瘤破裂)のため、ガーンジー島のプリンセス・エリザベス病院(Princess Elizabeth Hospital)で75歳で亡くなりました。突然の死でした。

 グレイの死後も、彼の音楽は相変わらず根強い人気を保ち続けました。否、その音楽を評価する声は日増しに大きくなり、人気は生前よりもさらに高まってゆきました。
 小さい頃テレビで『スティングレイ』や『サンダーバード』を見て育ったベビー・ブーマーたちが社会に出て、好きな物を買えるようになると、グレイの音楽はコレクターズ・アイテムとなり、1988年には映画『サンダーバード』サウンドトラック盤が、1990年にはグレイのテレビ主題曲のコンピレーションEP「No Strings Attached」が、CD化されて再発されました。
 また1991年には日本のバンダイビジュアル(株)がドラマCD製作の目的で『サンダーバード』の3エピソード分のアンダースコアを復元して新録音し、1992年には東北新社がグレイの音楽をロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団で新録音し、CDアルバム「組曲サンダーバード/ジェリー・アンダーソンの世界」として発売しました(海外ではシルヴァ・スクリーン・レコード社(Silva Screen Records)がアルバム「FAB」として販売)。

 グレイの音楽の再発掘の動きの頂点を成したのは、レコード・プロデューサー、レイフ・ティッタートン(Ralph Titterton)による、テレビ版『サンダーバード』のオリジナル・サウンドトラック・テープの執念深い捜索です。
 彼は、どこかの倉庫に莫大な量のバリー・グレイの録音テープが眠っているという噂を耳にし、1993年からテープ群を追い求めました。そして10年後の2003年、彼はイギリスの放送局「グラナダ・テレビ」のメディア・ライブラリーの中に、目指すオリジナルのマスター・テープの山を見つけたのです。ティッタートンは大きなバンを借りてロンドンの高級住宅地チェルシーまで出向き、テープ、関係書類、セッションノートを山積みにして自宅に運びました。
 幸運だったのは、オーディオ・マニアだったグレイが、多くのセッションを4トラックのマルチ録音でテープに残してくれたことです。これにより、『サンダーバード』等のオリジナル・サウンドトラックは、純正ステレオとして蘇ることになりました。
 こうして、ステレオ化され、徹底的に雑音除去されたクリアな美音で、紛う事なきオリジナルの『サンダーバード』のサウンドトラックCDが、シルヴァ・スクリーン・レコード社から2003年に発売されました。
 小さい頃からテレビの『サンダーバード』の音楽のサントラ・レコードがほしい!と願っていた多くの大人たち(もちろん子供も)の夢が、遂に叶ったのです。


一個の作曲家としてのバリー・グレイ

 『サンダーバード』をはじめとするバリー・グレイの数々の名曲の人気はいまだに衰えません。その音楽は青空を思わせるように希望に満ち、健康で、喜びに溢れています。他方で興奮、悲哀、荒々しさ、不気味さ、恐怖といったものを効果的に音楽で表す術にも長けていました。どんな種類の音楽を書こうと、彼の音楽は、一種の気品と矜持きょうじを保ち続けているのが、魅力の一つと言えるでしょう。

 慎ましやかな人柄を反映してか、その音楽の素晴らしさに較べ、バリー・グレイという作曲家はまともに評価されることがありませんでした。と言うより、評価の対象外として、ほとんど人々の意識にのぼることもありませんでした。

■グレイ・コラム9■

=バリー・グレイの好きな作曲家=

 バリー・グレイは、どんな作曲から大きな影響を受けたかと聞かれ、こう答えています。

何と言っても三大巨匠、バッハ、モーツァルト、それにベートーヴェンです。それにフランス印象派のドビュッシーとラヴェルですね。

 映画作曲家では、グレイはマックス・スタイナーとミクロス・ローザを好んでいました。
 彼は、テレビや映画、コマーシャルのためのオリジナル・スコア等、専ら商用音楽の作曲・編曲に携わり、クラシックの作曲家のように交響曲やソナタといった演奏会用の作品を残すことはありませんでした。ミュージカルやレヴュー、あるいはライト・クラシック作曲家がよく書く軽いオーケストラ用の組曲すら、残していません。これも彼の評価を困難にすることでした。
 グレイほどのプロフェッショナリズムに徹した作曲家の場合、個人のプライベートな側面に立ち入ることは、音楽の分析に関してはあまり意味がありませんし、グレイ本人も望んでいないでしょう。ただ、これほど豊かな音楽がどのような背景から生み出されたのか、知りたいと思うのは人情ですし、それを知れば、グレイがいかに稀有の才能を持った作曲家・音楽家だったかが分かるでしょう。
 元ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団のホルン奏者で、ジェームズ・ボンド・シリーズなどの多くの映画で働いた後、『スーパーカー』以降のほぼ全てのアンダーソンの番組でグレイのスコアを演奏したジム・バック(Jim Buck)は、『サンダーバード』の曲について、こう述べています。

 私自身バンドで演奏したが、それらの曲は実に良く響く。演奏しやすく良く響く音楽を書くというのは偉大な芸術だよ。

 グレイの音楽は常にアンダーソンの特撮SFドラマと一緒に語られます。しかし、一個の優れた作曲家の作品として、是非それ自身に耳を傾けてみて下さい。

 グレイを作曲家として分析した場合、彼の音楽は特定の様式・語法・個性を持っているでしょうか? 答はイエスでありノーでもあります。  『スーパーカー』以降のほとんどのアンダーソンの番組でグレイと一緒に仕事をした打楽器奏者アラン・ハケンはこう言います。

 もし『サンダーバード』のテーマ曲に耳を済ませば、そこには完全に特定の響きがある。たくさんの人々がそれを真似しようとしてきたけど、それはやっぱりバリーなんだ。

 バリー・グレイの音楽はどれを聴いても同じ、という批判もあるでしょう。それは一つには、芸術家と違って常に一定水準で要求されたものを書くテレビ作曲家の宿命なのですが、また、彼の音楽がそれだけ強い個性を持っていることの証でもあり、どれを聴いても「バリー・グレイの音楽」を聴けるのを嬉しく思うファンも少なくないでしょう。
 にも関わらず、グレイの音楽には作風の変遷が見られます。例えば、1967年の『キャプテン・スカーレット』以降、かなりシリアスな方向に曲調が変わり、音楽が神経質で不協和な傾向を強めます。これはもちろん、映像作品の内容に応じた変化なのですが、その背景に、1960年代の楽観主義から、1970年代の悲観論への大きな転換を読み取ることも不可能ではないでしょう。
 一貫したスタイルを維持したように見えながらも、時代の変化を絶妙に読み取り、絶えず進化していったグレイの音楽−−彼が書いてきた全ての音楽は、それ全体が一つの壮大な楽曲になっているようにも思えます。
 『トゥイズル』『トーチー』のような素朴な子供の歌から始まったこの長大なシンフォニーは、途中で電子技術による音響実験や勇壮な交響的な規模を加えつつ、『スティングレイ』『サンダーバード』でいったん、1960年代前半のヒロイズムの頂点を築きます。その後、60年代後半の世情の混乱を写すようにペシミスティックなスコアに暗転した後、最後の『スペース1999』では哲学的な深みすら感じさせる高みに達し、この長い一連のサウンドトラックを終えるのです。

 バリー・グレイの音楽は、「ヒロイックなテレビ特撮音楽」という現代特有の音楽分野のスタイルを確立したという点でも偉大な業績を残しており、ポップ・カルチャーに大きな影響を与えた20世紀音楽の最良の遺産の一つとも言われます。
 しかし私たちが彼の音楽を愛し続けるのは、むしろ彼の音楽が、私たちの個人的な思い出の、懐かしい大切な部分と結び付き、かけがえのない宝物となって、心に染み付いているからなのかも知れませんね。
 今こそ、「アンダーソンの作曲家」という肩書きをはずした本来の姿で、この才能ある作曲家を、聴き直してみるべき時ではないでしょうか。


バリー・グレイ

=バリー・グレイと映画音楽=

 バリー・グレイは、映画における音楽の役割を、どう考えていたのでしょう?

 映画の中の音楽は、人生のある局面、ある状況、あるムード、等々の正しく印象をカヴァーし、正しい空気を作り出し、映画のシチュエーションに付け加えるべきだと思います。言葉を変えて言えば、映像は、正しいタイプの音楽と一緒だと、それなしの場合よりも良くなるのです。

 そのためにグレイが心掛けていたことは何でしょう?

 私は特に、映像だけに合わせるのではなく、会話に合わせるようにしています。もし会話の背後の音楽を書けと言われれば、私はそれに応じて書きますし、会話の進行中は、それに適した背景、非常に控え目で、急かすことのないバックグラウンドになります。会話が終了して素早いアクションと、おそらく早い音楽に移行する時ですら、私は大抵、音を長く伸ばすだけか、とてもゆっくりした動きを会話の背景に維持するでしょう。なぜなら私にとって、会話の背景に忙しい音楽が流れることより悪いものはないからです。〔中略〕私は、映画の中の演技を補強するための正しい種類の音楽(correct kind of music)を書くのが好きです。

 グレイの実際の映画音楽作曲は、職人的な細かさを持つものでした。
 彼は通常の「キュー・シート」(場面と音楽の関係をタイミングごとに並べて記した対照表)の他に、3分の1秒単位に区分した自分用のキュー・シートを作りました。また、パート譜の写譜も丹念に一つ一つ自分でやりました。打楽器のように複数の楽器を使うパートでは、今演奏している楽器の五線に青や黄色で下線が引かれ、すぐに目に飛び込んでくるよう工夫が凝らされていました。

 彼にとって映画音楽は、頭で考える観念論的なものではなく、効果と効率を考えた実務的なものでした。
 にも関わらず、そうして作られた音楽が多くの人々に興奮と感動を与え続けたということは、バリー・グレイが天性のすぐれた作曲家だったことを証明していると言えるでしょう。

=バリー・グレイ映画音楽リスト=

 バリー・グレイは1950年代末から1970年代半ばまで、18年に亘り、ジェリー&シルヴィアのアンダーソン夫妻のために、10本のテレビ・シリーズと3本の映画でオリジナルの音楽を生み出し続けました。

凡例: <未> =劇場未公開(タイトルは作者による直訳)
     <TV> =劇場未公開/テレビ放映時タイトル
     <VD> =劇場未公開/ビデオ・DVDタイトル

【作曲年】【メディア】 【原題 (公開年)】【邦題】 【製作/監督】 【備考】
1948 劇場用映画 The Noose (1948)
... 別題 The Silk Noose (米)
<未> エドモン・T・グレヴィル監督 【作曲せず】 挿入歌「When Love Has Passed You By」作詞
1949 劇場用映画 The Romantic Age (1949)
... 別題 Naughty Arlette (米)
ロマンチック時代 <未> エドモン・T・グレヴィル監督 【作曲せず】 挿入歌「On a Rainy Day in Paris」作詞
1952 劇場用映画 Castle in the Air (1952) 空の城 <未> ヘンリー・カス監督 【作曲せず】 挿入歌「There Goes Your Heart」作詞
1957 TVシリーズ "The Adventures of Twizzle" (1957) トゥイズルの冒険 <未> ジェリー・アンダーソン製作 【作曲せず】 編曲・音楽監督
1957-58 TVシリーズ "Torchy, the Battery Boy" (1958-59) 電池少年トーチー <未> ジェリー・アンダーソン製作 【作曲せず】 編曲・音楽監督  全26話
1958-60 TVシリーズ "Four Feather Falls" (1959-60) ウエスタン・マリオネット 魔法のけん銃 ジェリー・アンダーソン製作 全39話
1960 TV映画 Crossroads to Crime (1960) 犯罪へのわかれ道 <未> ジェリー・アンダーソン製作 実写映画
1960 TVシリーズ "Supercar" 1st season (1961) スーパーカー 』 第1シーズン ジェリー・アンダーソン製作 26話
1961-62 TVシリーズ "Supercar" 2nd season (1962) スーパーカー 』 第2シーズン ジェリー・アンダーソン製作 13話
1962-63 TVシリーズ " Fireball XL5" (1962-1963) 宇宙船XL−5 ジェリー・アンダーソン製作 全39話
/ 『 谷啓の宇宙冒険 』 (第12話以降)
/ 『 宇宙船XL5号 』 (DVD題)
1963-64 TVシリーズ "Stingray" (1964-65) 海底大戦争 ジェリー・アンダーソン製作 全39話中、17話に作曲
/ 『 トニー谷の海底大戦争 』 (第10話以降)
/ 『原子力潜水艦スティングレー』 (再放送)
/ 『 海底大戦争/原子力潜水艦スティングレイ 』 (スーパーch)
/ 『 海底大戦争スティングレイ 』 (DVD題)
1964-65TVシリーズ "Thunderbirds" (1965-1966) サンダーバード ジェリー・アンダーソン製作 第1シーズン 26話/第2シーズン 6話 計32話中、第1シーズンの10話に作曲
1965 劇場用映画 Dr. Who and the Daleks (1965) Dr.フーin怪人ダレクの惑星 <VD> ゴードン・フレミング監督 【作曲せず】 電子音響の生成のみ
1966 劇場用映画 Daleks' Invasion Earth: 2150 A.D. (1966) 地球侵略戦争2150 <VD> ゴードン・フレミング監督 【作曲せず】 電子音響の生成のみ
1966 劇場用映画 Island of Terror (1966) 血に飢えた島 <VD> テレンス・フィッシャー監督 【作曲せず】 電子音響の生成のみ(クレジット表記なし)
1966 劇場用映画 Fahrenheit 451 (1966) 華氏451 フランソワ・トリュフォー監督 【作曲せず】 電子音響の生成のみ(クレジット表記なし)
1966 劇場用映画 Thunderbirds Are Go (1966) サンダーバード ジェリー・アンダーソン製作
1967 TVシリーズ "Captain Scarlet and the Mysterons" (1967-68) キャプテン・スカーレット ジェリー・アンダーソン製作 全32話中、19話に作曲
1967-68 劇場用映画 Thunderbird 6 (1968) サンダーバード6号 ジェリー・アンダーソン製作
1968 TVシリーズ "Joe 90" (1968-69)ジョー90 ジェリー・アンダーソン製作 全30話中、21話に作曲
/ 『 スーパー少年・ジョー90 』 (第6話以降)
1968-69 TVシリーズ"The Secret Service" (1969)ロンドン指令X ジェリー・アンダーソン製作 スーパーマリオネーションと実写の混合
1969 劇場用映画 Doppelgänger (1969)
... 米題 Journey to the Far Side of the Sun
決死圏SOS宇宙船 <TV> ジェリー・アンダーソン製作 実写映画
1969-70 TVシリーズ "UFO" (1970-71) 謎の円盤UFO ジェリー・アンダーソン製作 実写。全26話中、11話に作曲
1973-74 TVシリーズ "Space: 1999" Year One (1975-76) スペース1999 』 (第1年) ジェリー・アンダーソン製作 実写。全24話中、4〜5話のみ作曲

=バリー・グレイ略歴=

1908 (0歳) 7月18日、イギリス、ランカシャー州 ブラックバーン(Blackburn)に生まれる。 本名:ジョン・リヴジー・エックルズ(John Livesey Eccles)
1913年頃 (5歳) ピアノのレッスンを始める
1930年代 ロンドンのフェルドマン音楽出版(Feldman publishers)、続いてノルマンディ放送で作編曲の仕事
1939-45 第2次世界大戦。英空軍に加わり、アフリカ、インド、ビルマへ赴く
1946 (38歳) ロンドンに帰還。様々な出版社やデンハム映画撮影所、BBC、ヴァラエティ・ショー等の仕事を幅広くこなす
1947 (39歳) 実名ジョン・リヴジー・エックルズで「演奏権協会(Performing Right Society)」に加盟。後に「ジョン・リヴジー・バリー・グレイ(John Livesey Barry Gray)」と改名。
1948-49 映画『罠(The Noose)』(1948)<未>や『ロマンティック時代(The Romantic Age)』(1949)<未>の挿入歌の歌詞を提供
1949 (41歳) 人気女性歌手ヴェラ・リンの伴奏者兼アレンジャーに
1950 (42歳) 「ノース・ロンドン録音スタジオ(North London recording studio)」設立、電子音響製作に注力
1950年代前半 ホーギー・カーマイケル、アーサ・キットとの仕事や、初期のテレビ音楽を担当
1956 (48歳) 女性作家ロバータ・リーの仲介でAPフィルム社プロデューサーのジェリー・アンダーソンと出会い、『トゥイズルの冒険』の編曲・音楽監督を引き受ける
1957 (49歳) 9月6日、『トゥイズルの冒険』の最初の録音セッション
1958 年初、ロンドン北西部ドリス・ヒルの自宅に録音スタジオを設置
米アンペックス社製初期4トラック・イン=ライン録音機等、多重録音用の機器を揃える
(50歳) 3月9日、リー原案・作曲の『電池少年トーチー』の最初の録音セッション
BBC管弦楽団を使った子供向け特別音楽番組の音楽監督
1959 (51歳) 3月15日、『ウエスタン・マリオネット 魔法のけん銃』 最初の録音セッション(〜1960/4/4)
オンド・マルトノを購入、ノース録音スタジオに装備。発明者モーリス・マルトノから1ヶ月演奏法を学ぶ
1960 6月21日、『犯罪へのわかれ道(Crossroads to Crime)』(1959)<未> 録音
(52歳) 10月8日、『スーパーカー』 第1シーズン用スコアを録音
1961 (53歳) 8月22日、『スーパーカー』 第2シーズン主題歌を録音
11月8日、『スーパーカー』 第2シーズン最初のアンダースコア録音(〜1962/1/30)
1962 2月4日、『宇宙船XL−5』 最初の録音セッション(〜1963/2/20)
1963 (54歳) 6月10日、『海底大戦争/原子力潜水艦スティングレイ』 エンディング曲 「アクア・マリーナ」 録音 【後日破棄】
(55歳) 8月9日、「アクア・マリーナ」再録音を含む、『スティングレイ』 最初の録音セッション
1964 1月10日、『スティングレイ』より 「真珠貝たちの行進(March of the Oysters)」 ほか録音
2月19日、『スティングレイ』 最後の録音セッション(「海底のブルース」ほか)
(56歳) 12月8日、『サンダーバード』 最初の録音セッション(サンダーバード行進曲ほか)
1965 (57歳) 7月30日、ミニ・アルバム用「センチュリー21マーチ」 録音
9月、イギリスで 『サンダーバード』 放映開始
『Dr.フーin怪人ダレクの惑星』の電子音響を製作
11月24日、ミニ・アルバム用「サンダーバード行進曲」「真珠貝たちの行進」ほか 録音
12月4日、『サンダーバード』 最後の録音セッション
1966 1月28日、ミニ・アルバム用「雪男」(&「パーカー、よくやりました」?) 録音
3月31日、第26話「秘密作戦命令(Security Hazard)」で『サンダーバード』第1シーズンが終了
5月23〜24日、ミニ・アルバム「ペネロープのテーマ集」(MA 111) 録音セッション
(58歳) 9月1日、ミニ・アルバム「サンダーバード名曲集」(MA 116) 録音セッション
9月、イギリスで 『サンダーバード』 第2シーズン放映開始(新作6話を含む再放送)
『地球侵略戦争2150』の電子音響を製作
『血に飢えた島』の電子音響を製作
『華氏451』の電子音響を製作
10月9日〜11日、劇場版『サンダーバード』 録音セッション
12月、劇場版『サンダーバード』 公開
12月25日、第32話「すばらしいクリスマスプレゼント(Give Or Take A Million)」で『サンダーバード』第2シーズンが終了
12月29〜30日、劇場版『サンダーバード』 サウンドトラック・アルバム 録音セッション
1967 2月26日、『キャプテン・スカーレット』 最初の録音セッション(エンド・タイトル曲「キャプテン・スカーレットのテーマ」 )(〜1967/12/3)
1968 (59歳) 1月18日、『ジョー90』 最初の録音セッション(テーマ曲ほか)(〜1968/9/27)
2月1、2、5日、劇場版『サンダーバード6号』 録音セッション
(60歳) 10月16日、『ロンドン指令X』 最初の録音セッション(テーマ曲)(〜1969/1/10)
1969 1月〜3月頃、『決死圏SOS宇宙船』 作曲
3月27日〜29日、『決死圏SOS宇宙船』 録音セッション
6月14日、『謎の円盤UFO』 最初の録音セッション(テーマ曲【後日破棄】ほか) (〜1970/11/9)
(61歳) 10月16日、『謎の円盤UFO』 テーマ曲 再録音
1970 1月〜6月中旬まで『謎の円盤UFO 』撮影中断。その間にチャネル諸島のガーンジー島(Guernsey)へ移住
(62歳) 11月9日、『謎の円盤UFO』 最後の録音セッション(第26話「眠れる美女の怪奇 (The Long Sleep)」)
1973 (65歳) 12月11日、『スペース1999』 最初の録音セッション(テーマ曲) (〜1974/12/3)
1975 (67歳) 事実上の引退
1977 (69歳) ガーンジー島の旧市庁舎ホテル(Old Goverment Hotel)の専属ピアニストに
1979 (71歳) 10月、ロイヤル・アルバート・ホールで開催された映画音楽コンサート「フィルムハーモニック '79」に於いて、ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して自作を編曲した組曲「パインウッド・イン・スペース」を演奏
1980 3月、「ロイヤル・フィルム・パフォーマンス(王室映画上映会)」に於いて、委嘱された王室入場ファンファーレを指揮して初演
(72歳) 「フィルムハーモニック'80」コンサートのために、他人の映画音楽を編曲、メドレー「ユナイテッド・アーティスツの様式によるヒット・ソング集」を提供
1981 3月、「ロイヤル・フィルム・パフォーマンス」のために舞台音楽を作・編曲、皇太后とマーガレット王女の登場場面でナショナル・フィルハーモニー管弦楽団を指揮
(73歳) ITCニューヨーク支社のロバート・マンデルが企画した90分オムニバス番組「スーパーマリオネーション・スペース・シアター」のために音楽を再アレンジ・再ダビング
実在の人命救助組織「国際救助隊」のためにテーマ曲を作曲
1982 2月、『シネマスコア(CinemaScore)』誌 (後の『サウンドトラック(SoundTrack)』誌) がインタヴュー
米オハイオ州アトランタ、ジョージア、コロンバスで開かれた「スペース1999/合同大会(the Space: 1999 Alliance Conventions)」に招待
(74歳) ロンドンの「ファンダーソン」 1982年大会に来賓として登場
1984 (75歳) 4月26日、英国チャネル諸島ガーンジー島、プリンセス・エリザベス病院でにて死去。 死因: 動脈瘤破裂(ruptured aneurysm)、粉瘤(atheroma)、閉塞性気道疾患(obstructive airways disease)  享年75歳

【参考文献・参考資料】
  1. Barry Gray - 21st Century Maestro(バリー・グレイ−−21世紀の巨匠マエストロ)」 …… 英 Silva Screen 盤のバリー・グレイ作品のCDのライナー・ノートに連載されたバリー・グレイの伝記。レコード製作者レイフ・ティッタートンが、バリー・グレイの資料収集家・研究者キャサリン・フォード(Catherine Ford)、ジェリー・アンダーソン作品ファン団体「ファンダーソン」の会長クリス・ベントレー(Chris Bentley)、それにバリー・グレイ自身から資料を得て執筆。「ファンダーソン」の1982年大会のために書かれた紹介文をもとに、書き加えられていったもの。以下のCDのライナー・ノートに掲載された。
    • Part 1 (第1部) …… 『キャプテン・スカーレット』 オリジナル・サウンドトラック盤 (2003) FILMCD 607
    • Part 2 (第2部) …… 『サンダーバード』 オリジナル・サウンドトラック盤 第2集 (2004) FILMCD 609
    • Part 3 (第3部) …… 『スペース1999』第1年(Year One) オリジナル・サウンドトラック盤 (2004) SILCD1157
  2. Barry Gray: Music with strings(バリー・グレイ−−メロディ溢れる音楽)」(2003) (Century 21.comより) …… 10年以上もバリー・グレイ一家と交流を続けているオランダ在住の収集家にして熱烈なファン、テオ・デ・クラーク(Theo de Klerk)による略伝。タイトルの「Strings」はマリオネーションの「糸」と掛けてある。「TV Century 21 - the Gerry Anderson Home Page」 (http://www.tvcentury21.com/) の「Barry Gray: Music with strings (http://www.tvcentury21.com/content/view/64/44/)」に掲載。
  3. Complete studio - recording list of Barry Gray (バリー・グレイの全スタジオ録音表)」 …… バリー・グレイのスタジオ録音データ集。グレイ自身の録音メモに基づく日付、時間、作品名、録音場所、参加人数、追記など。但し僅かに欠落がある。またグレイはここに記した以外にも録音を行っていたらしいので注意。ウェブでは、テオ・デ・クラークが「TV Century 21 - the Gerry Anderson Home Page」に掲載した「Complete studio-recording list of Barry Gray (http://www.tvcentury21.com/content/view/67/44/)」で閲覧可能。
  4. Barry Gray interview(バリー・グレイ・インタヴュー)」 Written by Randall D. Larson …… 『シネマスコア(CinemaScore)』誌(後の『サウンドトラック(SoundTrack)』誌)が1982年2月に行ったインタヴュー。『サウンドトラック(SoundTrack)』誌 第12巻第47号(1993年9月)所収。ウェブでは、「TV Century 21 - the Gerry Anderson Home Page」の「Barry Gray interview (1993) (http://www.tvcentury21.com/content/view/65/42/)」にて閲覧可能。
  5. Rhapsody in Gray(ラプソディ・イン・グレイ)」 …… グレイ研究家キャサリン・フォードが、「バリー・グレイ・オーケストラ」に参加したミュージシャンとのインタヴューを通じて、グレイの録音セッションの様子をレポートした記事。ファンダーソン会報『FAB』1994年5月15日号に掲載。ウェブでは、「TV Century 21 - the Gerry Anderson Home Page」の「Rhapsody in Gray (http://www.tvcentury21.com/content/view/68/44/)」にて閲覧可能。
  6. Barry Gray - a discography(バリー・グレイ/レコード一覧表)」 …… 様々なディスコグラフィーが作られているが、おそらく最も包括的なものは、テオ・デ・クラークが「TV Century 21 - the Gerry Anderson Home Page」に掲載した「Barry Gray - a discography (http://www.tvcentury21.com/content/view/66/44/)」であろう。
  7. 『サンダーバード6号』オリジナル・サウンドトラックCD ライナー・ノート …… CD番号:MGM MGMCD 001 筆者不明だが、関係者の筆になるらしく、他では知ることのできないエピソード等がある。
  8. 完全版 サンダーバード全記録集(ストーリーファイル)5』(2006)(伊藤秀明・監修)より 「バリー・グレイ・ワールド」(文:シミケン)
  9. 伊藤秀明、池田憲章両氏の諸著作(DVDボックスの解説を含む)
  10. ウェブ・サイト「ミステロンの工作室」(http://www.geocities.jp/mysterons_workshop/index.html)
  11. "UFO Series Home Page" (http://www.ufoseries.com/) …… 『謎の円盤UFO』のファン・サイトだが、『UFO』の音楽(http://www.ufoseries.com/music/index.html)のみならず、バリー・グレイの音源集(http://www.ufoseries.com/barry/index.html)が充実。ヴェラ・リンのための曲や『トゥイズルの冒険』の歌も聴ける。
  12. その他
 上記資料中、ウェブサイトはすべて2007年8月12日現在でリンクの存在を確認したものです。
 上記資料相互間でデータが矛盾する場合は、正誤関係が明らかな場合を除き、上記掲載順が先の資料を優先して採用しました。
 なお、当ページの誤りは作者の責任であり、参考にさせて頂いた文献・資料のせいではありません。
 著作権上の問題がある場合は速やかに対応いたしますので、ご連絡下さい。

■謝辞■
本ページ作成に際し、友人I.N.君から、
バリー・グレイに関するウェブ情報検索や、
筆者の疎いロック音楽に関して多大なる助言を頂きました。
この場を借りて感謝申し上げます。
どうもありがとう!

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©2007 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:2007/08/12

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