| ウィリアム・ウォルトン |
| William Turner Walton 1902〜1983 |
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★ B.ブリテンと並ぶ、20世紀イギリスの代表的な作曲家。作風は重厚(例えばオラトリオ「ベルシャザール王の饗宴」など)で、時として硬質(例えば交響曲第一番)だが、元来はロマンティックで新鮮である(ヴァイオリン協奏曲など)。そして独創的で力強く、機知に富み、かつ分かりやすいため、大衆的な人気がある。 映画音楽の仕事は1930年代から始め、また第2次世界大戦中はイギリス政府のプロパガンダ映画の音楽の作曲にも従事し、さらに戦後はローレンス・オリヴィエ製作・監督・主演のシェークスピア三部作にスコアを提供するなど、クラシックの作曲家の中では質・量ともに最も優れた業績を映画音楽の分野で残している。 |
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ウォルトンは、ブリトゥンやヴォーン・ウィリアムズと並ぶ20世紀イギリスの代表的作曲家です。新鮮なハーモニーとリズムを用いながらも前衛や無調に走ることなく、大衆的な味を盛り込みながら、若々しく精力的な音楽を書き続けました。
彼も他のイギリスの大作曲家と同じく多くの映画音楽を書きましたが、異なっていたのは、彼の場合、映画音楽が単なる余興ではなく、その創作活動の主要な一部を成していたということです。そのため、彼の映画音楽は極めて水準が高く、おそらくこれまで書かれた映画音楽の中でも、最も優れたものの一つと言って良いでしょう。
ウォルトンの映画音楽にはどんなものがあるか、魅力・聴き所は何か、またそれがどのように生み出されたか、以下で探ってみましょう。
ウォルトンは早くから劇音楽とつながりを持っていました。
そもそも、デビュー作からしてが、親友イーディス・シトウェルのナンセンスな詩を朗読するダダイズム的な実験的舞台作品「ファサード」 (1922) に付けた音楽でした。
その後ディアギレフ率いるロシア・バレエ団のためにバレエ曲を書いたり(結局没になりますが)、劇音楽に手を染めたりしながら、1934年、32際の時に最初の映画音楽『逃げちゃ嫌よ』を書きます。
それ以来1970年の『三人姉妹』に至るまで、35年の間に14本の映画音楽を書きました。
彼は、「映画音楽的」な書き方はしません。映画音楽だから、といって手を抜いたり、大衆に迎合したような安っぽい音楽を書くことはなく、基本的に本領のクラシックでの作曲と同様の手法で、全力投球で仕事をこなしていったのです。
それらはいずれもイギリス音楽の伝統と新鮮な現代的感覚に満ちた優れたもので、特に、ローレンス・オリヴィエ製作・監督・主演のシェークスピア映画三部作(『ヘンリィ五世』(1945)、『ハムレット』(1946)、『リチャード三世』(1956))に付けられた壮麗なスコアは、エイゼンシュテインの映画に付けたプロコフィエフの音楽に匹敵する傑作として映画音楽史上に燦然と輝いているのです。
「ファサード」でセンセーショナルな成功を収め、1926年にはチューリッヒのISCM音楽祭で演奏会用序曲「ポーツマス・ポイント」を披露して注目された新進作曲家ウォルトンは、1929年のヴィオラ協奏曲 (ヒンデミットの独奏で初演) で実力を認められ、次々と委嘱が舞い込むようになりました。
BBCの委嘱に基づくオラトリオ「ベルシャザールの饗宴」(1931年初演)、1932年に指揮者ハミルトン・ハーティの依頼で書き始められた交響曲第1番などは彼の代表作になりました。
ところが、第1交響曲の作曲はなかなか思うようにはかどりませんでした。世界大恐慌の影響で収入が減り、当時スイスで同棲していたImma von Doernbergby男爵夫人が病気になったり、彼女との愛が破局を迎えたりしたためです。
1934年にはImmaが彼のもとを去り、ウォルトンは新たにレディ・アリス・ウィンボーンと恋に落ちました。この行動を親友シトウェル兄弟は認めず、ウォルトンはとうとう彼らの家から最終的に出ていくことになりました。
こうした困難な時期、ウォルトンの下にドイツの映画監督パウル・ツィンナー (Paul Czinner) から映画音楽への誘いが来ました。
ブダペスト生まれのツィンナー監督は、妻の女優エリザベート・ベルクナー (Elisabeth Bergner) を主演にした『ニュウ (Nju)』 (1924) 、『夢見る唇 (Der Traumende Mund)』 (1932) などサイレント・初期トーキーの名作を撮りましたが、1933年のヒトラー政権成立後、イギリスに逃れてきたのです。
彼がウォルトンに依頼したのは、映画『逃げちゃ嫌よ』のスコアでした。
ウォルトンは心の傷を癒す意味でも、この委嘱を受け、1934年に作曲を完成しました。
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Escape Me Never 製作会社:英 British and Dominion 撮影所 配 給:ユナイテッド・アーティスツ 上映時間:95分・白黒 封切り:1935年10月14日、ロンドンのLondon Pavilion劇場 日本での公開:1935年11月、劇場公開 製作■ハーバート・ウィルコックス 監督■パウル・ツィンナー 原作■マーガレット・ケネディの戯曲 サウンドトラック演奏■Max Greenebaum指揮 British and Dominions管弦楽団 出演■エリザベート・ベルクナー/ヒュー・シンクレア/グリフィス・ジョーンズ/ペネロープ・ダドリー=ウォード/レオン・クォーターメイン スコアの楽器編成:2 flutes, oboe, 2 clarinets in B-flat, bassoon; 2 horns, 3 trumpets in B-flat, tuba; percussion (side drum, tambourine, triangle, cymbal, celesta, cowbells, glockenspiel, vibraphone, tubular bells, gong); harp; strings |
『逃げちゃ嫌よ』を仕上げて後、1934年12月に彼の交響曲の最初の2楽章だけが初演されました。フィナーレの第3楽章はまだ完成していなかったからです。
しかし身辺が落ち着くと彼は再び交響曲の仕上げに戻りました。
1935年11月に行われたウォルトンの交響曲の全曲初演は、イギリス音楽史上希に見るセンセーショナルな成功を収めました。曲はエルガーやヴォーン・ウィリアムズの交響曲と比較され、ウォルトンは現代イギリス最大の作曲家と見なされるまでになりました。
さて、『逃げちゃ嫌よ』で一緒に仕事をしたツィンナー監督と女優エリーザベト・ベルクナーの夫妻は、ウォルトンを大変気に入り、再び彼を呼びました。
今回の仕事はシェークスピアの原作による『お気に召すまま』でした。
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As You Like It 製作会社:英 Elstree 撮影所 配 給:20世紀フォックス 上映時間:96分・白黒 封切り:1936年9月3日、ロンドン、ヘイマーケットの Carlton 劇場 日本での公開:劇場公開 製作・監督■パウル・ツィンナー 原作■ウィリアム・シェークスピアの戯曲 脚本■J・M・バリー/ロバート・カレン 撮影■ハル・ローソン/ジャック・カーディフ 編集■デヴィッド・リーン 舞台装置■Lazare Meerson サウンドトラック演奏■エフレム・クルツ指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 出演■エリザベート・ベルクナー(ロザリンド役)/ローレンス・オリヴィエ(オルランド役)/Felix Aylmer スコアの楽器編成:2 flutes (doubling piccolos), 2 oboes, 2 clarinets, bass clarinet in B-flat, bassoon; 4 horns, 2 trumpets in B-flat; percussion (glockenspiel, marimba, tubular bells, large cymbal, small cymbals, tabors, suspended cymbals, gong, jingles, side drum, triangle, church bells); piano; strings; chorus |
ウォルトンとシェークスピア映画は相性がいいのですが、そのことは最初のシェークスピア映画であるこの『お気に召すまま』でも明らかです。ここでのウォルトンは、前作の『逃げちゃ嫌よ』とはうってかわって、水を得た魚のように生き生きとした音楽を展開させています。管弦楽は鮮やかだし、音楽は勢いが良く、全てが輝き、全てが歓喜に満ちています。音楽の楽しさ、美しさの原点を見るようなスコアです。
若々しい活気と希望に満ちた「前奏曲」、色彩と音量を変化させて泉の変化を描く見事な「泉」、「オーヴェルニュの歌」の引用がある華やかなフィナーレ「婚礼の行列」など、聴き所に事欠きません。
また、エリザベス朝時代のリュート歌曲を模した劇中歌「緑の森の木の下で (Under The Greenwood Tree)」は単独で歌曲として出版されました。
但し、当時まだ22歳だったベンジャミン・ブリトゥンは、『World Film News』1936年10月号の批評で、ウォルトンが伝統的なオーケストラ・スコアに終始し、新しい実験を行わなかったことを非難しています。二人の若きイギリス音楽のホープが、早くも路線の違いを見せているようで興味深いものがあります。
しかしそのブリトゥンも、緊密に作られた前奏曲や、端正で詩的な「ロザリンド」のライトモティーフには賞賛を送っているのです。
翌1937年もツィンナー夫妻はウォルトンに声を掛けました。
今度の作品『夢見る唇』は、ツィンナーが1932年にドイツで撮った同名映画『夢見る唇 (Der Traumende Mund)』の英語版リメイクでした。
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Dreaming Lips 製作会社:英 デンハム (Denham) 撮影所 上映時間:??分・白黒 封切り:1937年10月11日、ロンドンのLondon Pavilion 劇場 日本での公開:劇場未公開 製作・監督■パウル・ツィンナー 原作■ヘンリー・ベルンシュタインの戯曲 サウンドトラック演奏■Boyd Neel指揮 ロンドン交響楽団、独奏ヴァイオリン:アントニオ・ブローザ (Antonio Brosa) 出演■エリザベート・ベルクナー/レイモンド・マッシー (Raymond Massey) /ローズマリー・ブレント |
『夢見る唇』と同じ1937年、イギリスでは新国王ジョージ6世の戴冠式が行われました。
この荘厳な儀式のために、ウォルトンは行進曲「王冠」を書きました。これは瞬く間に大衆的な人気を集め、ウォルトンは気品高い王室向けセレモニー音楽を書いたエルガーの後継者と見なされるようになりました。
この頃、名ヴァイオリン奏者ヤッシャ・ハイフェッツとブリティッシュ・カウンシルが、ヴァイオリン協奏曲を委嘱してきました。ウォルトンは1937年遅くに作曲に取りかかり、一心不乱に書き進めて、1939年に完成します。
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Stolen Life 製作会社:英 パインウッド (Pinewood) 撮影所 配 給:パラマウント 封切り:1939年1月18日、ロンドンのプラザ劇場 日本での公開:劇場未公開 製作・監督■パウル・ツィンナー 原作■K. T. バーンズの小説 サウンドトラック演奏■Hyam Greenbaum指揮 BBCテレビ管弦楽団 出演■エリザベート・ベルクナー/マイケル・レッドグレイヴ (Michael Redgrave) /ローズマリー・ブレント |
ヴァイオリン協奏曲の作曲に没頭していた1938年、またもツィンナーから誘いがかかり、ウォルトンは『盗まれた人生』のプロジェクトに引っ張り込まれます。
これも筆者は聴いたことがないので、コメントは差し控えますが、この時期のウォルトンの作風から考えて、生き生きとした、芯のしっかりした音楽が展開されているのではと思います。
ニュース映画の場面では、『逃げちゃ嫌よ』(1934)のバレエ音楽が再び用いられているそうです。
1939年、ウォルトンは恋人のレディ・ウィンボーンと一緒にアメリカに渡ります。ハイフェッツによる彼のヴァイオリン協奏曲の初演を聴くためです。
しかし、彼は初演を聴くことが出来ませんでした。9月にナチス・ドイツがポーランドに侵攻、第2次世界大戦が勃発したからです。ウォルトンは急遽イギリスに戻ります。
戦争勃発当時、ウォルトンは作曲家としていよいよ脂の乗り切った全盛期を迎えていました。この頃までに彼の明快で鋭い語法は確立され、旺盛な創作意欲がはけ口を探しているところでした。
タイミング悪く戦争が始まったため、コンサートやオペラ・演劇の上演は激減し、いきおい彼の創作は映画へと向かいました。これが、戦後のローレンス・オリヴィエ監督・主演のシェークスピア映画に付けた数々の名スコアを導くことにもなるのです。
1940年前半、ナチス・ドイツはフランスを制圧、そこを拠点にイギリス上陸作戦を準備し、ロンドンに猛空爆を加えました。この時期がイギリスにとって最も厳しい局面でした。しかしその夏、名戦闘機「スピットファイア」を中心とするイギリス王立空軍は、「英国の戦い (The Battle of Britain)」と呼ばれる激しい空中戦によってドイツ戦闘機を撃退し、国を守り通したのです。
この年の後半、ウォルトンはシカゴ交響楽団からの委嘱に基づいて喜劇序曲「スカピーノ」を書きましたが、同じ頃、新たな映画音楽の依頼が舞い込みました。
依頼主は、作家バーナード・ショーの原作・脚本に基づく『ピグマリオン <未> (Pygmalion)』 (1938) でヒットを飛ばしたプロデューサーのガブリエル・パスカル。今回もショーと組み、女性士官の活躍を描く『バーバラ少佐』を作ろうとしていました。
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Major Barbara 製作会社:英 DenhamのD & P 撮影所 配 給:ユナイテッド・アーティスツ 封切り:1941年3月21日、ナッソーのサヴォイ劇場 (the Savoy) 日本での公開:劇場未公開 製作・監督■ガブリエル・パスカル 原作・脚本■ジョージ・バーナード・ショー サウンドトラック演奏■ミューア・マシスン指揮 ロンドン交響楽団 出演■ウェンディ・ヒラー/レックス・ハリソン/ロバート・モーリー/デボラ・カー |
1941年はじめ、ウォルトンに召集令状が送られました。自分もいよいよ戦場に送られるか、と覚悟した時、情報省に呼ばれ、前線に行かなくていいから、「国家的に重要な」映画に音楽を付けるという形で国に貢献してもらいたい、と言われました。
筆者の手元には資料が無くて確かめようがないのですが、この当時ミューア・マシスンが情報省にいて、ヴォーン・ウィリアムズやバックスといった名だたるイギリスの作曲家に盛んに国策映画の音楽を書く仕事を回していましたから、ウォルトンにも同様に彼が救いの手を差し伸べたのでは、と思われます。
その直後の5月、ロンドンにあった彼のアパート(フラット)が爆撃されました(同じ空襲でクイーンズ・ホールも破壊されました)。そこで彼は、Northants.の Ashby St.Ledgers にある恋人レディ・アリス・ウィンボーンの邸宅で居候生活をすることになりました。
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Next of Kin 製作会社:英 イーリング映画社 配 給:ユナイテッド・アーティスツ 封切り:1942年1月、ロンドンのカーゾン劇場 日本での公開:劇場未公開 製作■マイケル・バルコン 監督■ソロルド・ディッキンスン 脚本■ソロルド・ディッキンスン/Basil Bartlett/Angus MacPhail/John Dighton サウンドトラック演奏■音楽監督アーネスト・アーヴィング指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 出演■Marvyn Johns/Stephen Murray |
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The Foreman Went to France 製作会社:英 イーリング映画社 配 給:ユナイテッド・アーティスツ 封切り:1942年4月13日、ロンドンのLondon Pavilion 劇場 日本での公開:劇場未公開 製作■マイケル・バルコン 監督■チャールズ・フレンド 脚本・語り■J・B・プリーストリー サウンドトラック演奏■音楽監督アーネスト・アーヴィング指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 出演■Clifford Evans/Tommy Trinder/Constance Cummings/Gordon Jackson |
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The First of the Few / Spitfire 製作会社:英 DenhamのD & P 撮影所 配 給:RKOラジオ映画社 上映時間:87分 封切り:1942年8月20日、ロンドンのLeicester Square 劇場 日本での公開:劇場未公開/ビデオ発売 製作・監督■レスリー・ハワード 原作■ヘンリー・ジェイムズ サウンドトラック演奏■ミューア・マシスン指揮 ロンドン交響楽団 出演■レスリー・ハワード/デヴィッド・ニーヴン/ロザムンド・ジョン/ローランド・カルヴァー/アニー・ファース/デヴィッド・ホーン/J・H・ロバーツ |
ミッチェルは「英国の戦い」での勝利を見ずして過労で亡くなりましたが、製作・主演のレスリー・ハワードにも同様の運命が待ち構えていました。
1943年5月、スペインとポルトガルに講演ツァーに行った彼は、予定を変えてリスボンで『スピットファイアー』のプレミア上映に立ち寄りました。翌6月1日、ブリストルに戻る彼を乗せた民間航空機は、ビスケー湾上空でドイツの戦闘機に撃墜されるのです。
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Went the Day Well? 製作会社:英 イーリング映画社 配 給:ユナイテッド・アーティスツ 封切り:1942年11月1日、ロンドンのLondon Pavilion 劇場 日本での公開:劇場未公開 製作■マイケル・バルコン 監督■アルベルト・カヴァルカンティ 原作■グレアム・グリーン サウンドトラック演奏■音楽監督アーネスト・アーヴィング指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 出演■Leslie Banks/Basil Sydney/Elizabeth Allen |
1942年の夏は、Louis MacNeice作のラジオ・ドラマ「クリストファー・コロンブス」と、アルベルト・カヴァルカンティ監督『ウェント・ザ・デイ・ウェル』の音楽に費やされました。
『ウェント・ザ・デイ・ウェル』はみたびバルコン率いるイーリング映画社の製作で、グレアム・グリーンの小説を基に、ドイツ軍に侵略された村の住人たちが英雄的なレジスタンスに立ち上がるまでを描くものです。
タイトル画面で奏される華々しいファンファーレと高貴な行進曲は、『スピットファイアー』と同巧異種と言えますが、こちらも同様に美しく、幅広く、聴く者の心を高揚させてくれます。
1943年、ウォルトンは旧友の俳優ローレンス・オリヴィエから新しい映画の音楽への作曲を頼まれます。
舞台俳優としての長いキャリアを映画にも生かしてきた名優オリヴィエは、イギリス演劇の伝統と映画の最新技術を結合させたいと考え、シェークスピア劇を世界初のカラー映画化することにしました。こうして、製作されたのが、『ヘンリィ五世』でした。
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Henry V 製作会社:英 Denham 撮影所 配 給:ランク映画社 上映時間:137分・カラー 封切り:1944年11月22日、ロンドン、ヘイマーケットのカールトン劇場 日本での公開:1948年及び1995年、BCFC=NCC系で劇場公開 製作・監督■ローレンス・オリヴィエ 原作■ウィリアム・シェークスピアの戯曲 撮影■ロバート・クラスカー サウンドトラック演奏■ミューア・マシスン指揮 ロンドン交響楽団 出演■ローレンス・オリヴィエ/ロバート・ニュートン/レスリー・バンクス/ルネ・アシャーソン/レオ・ゲン/エスモンド・ナイト スコアの楽器編成:2 flutes, 2 oboes, 2 clarinets in A, 2 bassoons; 3 horns in F, 3 trumpets in C, 3 trombones; percussion (side drum, cymbal, bell, tabor, tambourine); harpsichord, harp; strings |
ウォルトンが書いた『ヘンリィ五世』の音楽は、彼の最高傑作(あらゆるジャンルを含めて)の一つであるだけでなく、映画音楽史上に残る金字塔です。輝かしく、気品に満ち、活気と色彩に溢れ、淡い悲哀を担ったナイーヴな表現にも不足しません。『お気に召すまま』(1936)で示されたシェークスピア劇に対する天性の相性の良さが、ここで全開した形です。
オープニング・シーンでは、カメラがシェークスピア当時のグローブ劇場に近付いてゆき、生き生きとしたフルートに始まるオーケストラがすがすがしい雰囲気を醸し出します。舞台のファンファーレに続いて古風な舞曲となり、エリザベス朝の典雅な情景が繰り広げられてゆきます。舞曲主題にはエリザベス朝の作曲家ファーナビーのヴァージナル (ハープシコード) 曲「ロサソリス (孤独の薔薇)」が利用されています。
ワーグナー風のライトモティーフ(指導動機)の手法が取られていることも注目に値します。
ファルスタッフの主題には、やはりエリザベス朝のヴァージナル曲「ワトキンスのエール」が借用されており、最初ファゴットにユーモラスに現れますが、彼が昔の放蕩仲間である国王ヘンリー5世に縁切り宣言をされ、悲しみながら息を引き取るシーンでは、心を打つパッサカリアになります。
フランスを象徴するテーマとしては、フランス民謡の他、カントルーブの「オーベルニュの歌」の「バイレロ」のメロディーが用いられており、ヘンリー5世に破れたフランス貴族の一人ブルゴーニュ公が自国の窮状を訴える場面に用いられます。
『ヘンリィ五世』の音楽は、1946年度アカデミー賞最優秀作曲賞の候補ともなりました。
『ヘンリィ五世』のスコアが大変優れていたため、多くの音楽家たちが演奏会用の組曲にアレンジをしています。
まず、映画が評判になって間もなく指揮者マルコム・サージェントが4曲からなる組曲「ヘンリー5世」を編曲しました。これは1945年9月14日、ロイヤル・アルバート・ホールにおいて、ウォルトン自身の指揮、BBC交響楽団、Croydon Philharmonic Society、それにBBC合唱協会 (BBC Choral Society) によって初演されました。
さて、終戦直後の1945年6月7日、ベンジャミン・ブリトゥンの歌劇「ピーター・グライムズ」が初演されて絶賛を浴び、ブリトゥンは一躍イギリス音楽界の寵児として躍り出ました。
それに対し、ウォルトンの音楽は保守的で時代遅れのものと見なされるようになりました。戦後、ウォルトンとブリトゥンの地位は逆転し、現代音楽の第一人者としての名声はウォルトンから失われました。
それでもウォルトンは自己の作風を忠実に守り、この年1945年にも堅実な弦楽四重奏曲 イ短調を書き上げます。なおこの作品は戦時中の国威発揚映画で一緒に仕事をしたイーリング社の音楽監督アーネスト・アーヴィングに献呈されています。
1947年2月、BBC(英国放送協会)がウォルトンに新作オペラを委嘱してきます。レディ・ウィンボーンが連れてきた作家クリストファー・ハッサールが歌劇「トロイラスとクレシダ」の台本を書くことになりますが、このオペラが完成の陽の目を見るまでには8年かかるのです。
その間は、ローレンス・オリヴィエと組んだシェークスピア映画へのスコアが、彼の主要な作品となります。
オリヴィエとのコラボレーション第2弾は『ハムレット』。『ヘンリィ五世』の大成功に続いて作られたシェークスピアもので、前作がカラー撮影で歴史絵巻の様な華麗さを持っていたのに対し、今回はモノクロによる銅板画のような渋みを持った画面で、ハムレットの内面の葛藤を描いています。
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Hamlet 製作会社:英 Denham 撮影所 配 給:ユニヴァーサル 上映時間:153分・白黒 封切り:1948年5月6日、ロンドン、Odeon Theatre Leicester Square 日本での公開:1949年及び1996年、BCFC=NCC系で劇場公開 製作・監督■ローレンス・オリヴィエ 原作■ウィリアム・シェークスピアの戯曲 撮影■デスモンド・ディキンソン サウンドトラック演奏■ミューア・マシスン指揮 フィルハーモニア管弦楽団 出演■ローレンス・オリヴィエ/ジーン・シモンズ/ベイジル・シドニー/アイリーン・ハーリー/フェリックス・エイルマー スコアの楽器編成:Piccolo, 2 flutes, 2 oboes, cor anglais, 3 clarinets in A, bass clarinet in B-flat, 2 bassoons, contrabassoon; 4 horns in F, 3 trumpets in C, trombone, tuba; timpani, percussion (side drum, bass drum, cymball, gong, glockenspiel); harp; strings |
悲劇なだけに、音楽は暗く、激情的です。低弦の陰鬱な半音階フーガに始まるハムレットの主題、「生きるべきか死ぬべきか?」の台詞の直前、めくるめくカメラの回転に合わせて渦巻く音楽の凶暴な爆発、悲しみにくれる哀悼歌、前奏曲と同じ主題による葬送行進曲など、聴くべき箇所は少なくありません。
一方、刹那的な美しさに彩られた繊細なオフィーリアの主題もあり、本来のウォルトンらしさを感じさせる輝かしいファンファーレや、「The Mousetrap」と題された機知に富んだ活気ある音楽も配され、ドラマに明暗のコントラストを与えています。
『ヘンリィ五世』同様、『ハムレット』のスコアからもいくつかの演奏会用楽曲がいろいろな音楽家によってアレンジされています。
指揮者マルコム・サージェントは劇中のファンファーレから金管合奏用に「栄えある式典のためのファンファーレ (FANFARE FOR A GREAT OCCASION) 」を編曲、1962年3月17日、オーストラリアの Wayville にあるセンテニアル・ホールにおいて、サージェント自身の指揮によるロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で初演されました。
映画の音楽監督も務めたミューア・マシスンは、1963年に葬送行進曲、1968年に音詩「ハムレットとオフィーリア」を編曲して出版しました。
『ハムレット』完成後、1948年4月にレディ・ウィンボーンは亡くなりました。
同じ年にアルゼンチンを公式訪問したウォルトンは、その途上でスーザン・ジル・パッソと知り合い、ブエノスアイレスで彼女と結婚します。
翌1949年、ヴァイオリン奏者メニューインに頼まれてヴァイオリン・ソナタを書き(1950年初演)、1951年にはナイトに叙せらたり、一家でナポリ湾のイスキア島に移住したりします。
1953年には女王エリザベス2世の戴冠式のために、戴冠式行進曲「宝玉と王の杖」と管弦楽伴奏合唱曲「テ・デウム」が書かれます。
そうこうしているうち、ようやく畢生の大作オペラ「トロイラスとクレシダ」が出来上がり、1954年12月にコヴェント・ガーデンで初演されました。ウォルトンの語法を集大成したドラマティックで魅惑的な作品です。しかし批評は熱狂的と言うにはほど遠く、ウォルトンの名に敬意を表した好意的なものがほとんどでした。
オペラから解放されたウォルトンは、みたびローレンス・オリヴィエのシェークスピア映画プロジェクトに参加します。1955年、彼は『リチャード三世』のスコアを作曲します。
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Richard V 製作会社:英 Shepperton 撮影所 配 給:Lopert 上映時間:160分 封切り:1955年12月13日、ロンドン、Leicester Square 劇場 日本での公開:1956年3月、東和 製作・監督■ローレンス・オリヴィエ 原作■ウィリアム・シェークスピアの戯曲 脚本■アラン・デント/ローレンス・オリヴィエ 撮影■オットー・ヘラー サウンドトラック演奏■ミューア・マシスン指揮 ロイヤル・フィルハーモニア管弦楽団 出演■ローレンス・オリヴィエ/クレア・ブルーム/ラルフ・リチャードソン/セドリック・ハードウィック/ジョン・ギールグッド/スタンリー・ベイカー スコアの楽器編成:Piccolo, 2 flutes, 2 oboes, cor anglais, clarinet in B-flat, bass clarinet in B-flat, 2 bassoons, contrabassoon; 4 horns, 3 trumpets in C, 3 trombones, tuba; timpani, percussion (side drum, tenor drum, small tabor, tambourine); strings |
『リチャード三世』からも様々な演奏会用ヴァージョンが編まれています。
スコア作曲と同じ1955年、ウォルトン自身がオルガン独奏のための「三つの小品」として編曲、1963年にオックスフォード大学出版部から出版したものがあります。
『ヘンリィ五世』、『ハムレット』、『リチャード三世』と続いたローレンス・オリヴィエ製作・監督・主演のシェークスピア映画三部作は、ウォルトンの映画音楽の“傑作の森”を形成します。この時期、演奏会用作品の分野では不作が続いたように見えるウォルトンですが、実際には映画音楽の作曲でその創作の頂点を築いていたのです。
『リチャード三世』を仕上げた翌1956年、世界的チェロ奏者グレゴール・ピアティゴルスキーから「チェロ協奏曲を書いてほしい」という依頼があり、8ヶ月で書き上げました。これは、本格的な管弦楽を用いた演奏会用作品としては18年ぶりの作品でした。
これ以降、なぜかウォルトンのもとに委嘱に次ぐ委嘱が舞い込み、純音楽作曲で忙殺される毎日となり、映画音楽からは遠ざかっていくのです。
1958年にはジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団のために管弦楽のための「パルティータ」、1959年にはギター奏者J・ブリームとテノール歌手P・ピアーズのために連作歌曲「Anon. in Love」を作曲。1960年には交響曲第2番(1959)がエディンバラ音楽祭でロイヤル・リヴァプール・フィルにより初演され、1961年にはHuddersfield 合唱協会のために「グローリア」を完成。1962年、ロイヤル・フィルの依頼で「ヒンデミットの主題による変奏曲」を書き、1966年にはオールドバラ音楽祭実行委員会の委嘱でチェーホフ原作の1幕の狂想劇 (extravaganza) 「熊」を完成……。
1968年もニューヨーク・フィルのために「Capriccio Burlesco」を書いていましたが、同じ頃、久しぶりに映画音楽の依頼が舞い込みました。
この年、ユナイテッド・アーティスツは、空前のスケールの航空戦争映画の製作を決めました。1940年夏、イギリス上空で繰り広げられた独英両空軍の歴史的な大空中戦(英国の戦い)を描く『空軍大戦略』です。
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Battle of Britain 製作会社:英 Pinewood 撮影所 配 給:ユナイテッド・アーティスツ 上映時間:133分 封切り:1969年9月15日、ロンドン、Dominion Cinema 日本での公開:1969年、UA 製作■ハリー・ザルツマン/ベンジャミン・フィズ 監督■ガイ・ハミルトン 原作■Richard Collier の "Eagle Day - The Battle of Britain" 脚本■ジェームズ・ケンナウェイ/ウィルフレッド・グレート・レックス 撮影■フレディ・ヤング サウンドトラック演奏■マルコム・アーノルド指揮/ウィリアム・ウォルトン 出演■ローレンス・オリヴィエ/マイケル・ケイン/ロバート・ショウ/トレヴァー・ハワード/クリストファー・プラマー/スザンナ・ヨーク/クルト・ユルゲンス/ラルフ・リチャードソン/マイケル・レッドグレーヴ スコアの楽器編成:Piccolo, 2 flutes, 2 oboes, cor anglais, 2 clarinets in B-flat, bass clarinet in B-flat, 2 bassoons, contrabassoon; 4 horns in F, 3 trumpets in C, 3 trombones, tuba; timpani, percussion (3 players: side drum, small side drum, bass drum, tenor drum, cymbals, glockenspiel, tambourine, gong); harp; strings |
私は『空軍大戦略』という映画の音楽を書く約束をしたよ、たぶん無謀にもね。無謀というのは『リチャード三世』以来ずいぶん長いことこの種のものは手掛けていないからなんだ。都合のいい時に録音セッションを振ってくれないかい?〔中略〕物事がうまく行かない時は君と一緒の方が心強いからね。出来上がったスコアは、残念ながらシェークスピア映画ほどの出来は示していませんが、それでも一級品です。
ところが、ハリウッドのユナイテッド・アーティスツ首脳部は、スコアが彼らが要求するものではないと判断、ロン・グッドウィンを呼んで、新しくスコアを書き直させたのです。グッドウィンは『633爆撃隊』(1964)、『素晴らしきヒコーキ野郎』(1967)、『荒鷲の要塞』(1969)など航空機もの・戦争物で人気を集めていた若手の映画音楽作曲家です。
ウォルトンのスコアが没になった理由は、アーノルドの補筆が契約に抵触したこと、「『空軍大戦略』マーチ」が『リチャード三世』の行進曲と瓜二つであること、などいろいろ考えられますが、最大の理由は、スコアの長さがサントラ・アルバムを発売するには短すぎたということだと言われています。
グッドウィンは、20年後に次のように語っています。
すでに録音されていたオリジナルのスコアを聴くチャンスがあったのですが、それは熟成したウォルトン (vintage Walton) でした。正しく私が彼から期待した通りのものだったのです。本当に、映画会社は馬鹿じゃないかと思いましたよ。ウォルトンの降板に最も強く抗議したのはローレンス・オリヴィエでした。その結果、「大空中戦」のキューだけが残されることになりました。
『空軍大戦略』がグッドウィンで公開された1969年、ウォルトンはサンフランシスコ交響楽団のために「ベンジャミン・ブリトゥンの即興曲によるインプロヴァイゼーションズ」を書き、さらにもう一本の映画音楽を書きました。
ローレンス・オリヴィエ監督・出演の『三人姉妹』がそれで、これはウォルトンにとって最後の映画音楽となりました。
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Three Sisters 製作会社:英 Shepperton 撮影所 配 給:American Film Theatre 上映時間:155分 封切り:1970年8月26日、ヴェネツィア、Sala Volpi 日本での公開:劇場未公開/ビデオ発売 製作■ジョン・ゴールドストーン 監督■ローレンス・オリヴィエ 原作■アントン・P・チェーホフの戯曲 撮影■ジェフリー・アンスワース 出演■アラン・ベイツ/ローレンス・オリヴィエ/ジェーン・ワッツ/ジョーン・プロウライト(オリヴィエの妻)/ルイーズ・パーネル スコアの楽器編成:Piccolo, 3 flutes, 2 oboes, 2 clarinets in B-flat, 2 bassoons; 4 horns in F, 3 trumpets in C, 3 trombones, tuba; timpani, percussion (4 players: side durm, bass drum, cymbal, suspended cymbal, bells, glockenspiel, tabor di basso, celesta, triangle, tambourine); piano, harp; strings |
1972年、ウォルトンは70歳の誕生日を迎え、イギリス作曲界の「大老(the "Grand Old Man")」として尊敬を受ける存在となっていました。
その後次第に病気がちとなり、友人の指揮者アンドレ・プレヴィンのために書こうとした第3交響曲も、結局未完成に終わりました。
1983年3月7日、ウォルトンはイスキア島の自宅で眠るように亡くなりました。享年81歳。前日に友人に電話で新作の合唱曲「スターバト・マーテル」について熱心に語ったばかりでした。
10歳でオックスフォード聖歌隊学校に入学。幼時より楽才を発揮、アンセルメ、ブゾーニの個人指導を受ける。
16歳より作曲を始め、1918年に学部に進んだが、作曲に集中したため進級できず。大学で知り合ったサシェヴァレル・シットウェルの勧めで1919年退学し、ロンドンの文学に造詣の深いシットウェル姉弟の邸宅で暮らし、作曲に没頭。姉の詩人イーディス・シットウェルの一連の詩に作曲した「ファサード」(1922)で一躍イギリス芸術界の注目を集め、「恐るべき子供(アンファン・テリブル)」と騒がれた。
その後ストラヴィンスキーやプロコフィエフの影響を消化し、鋭いリズムと辛辣な和声を用いながらもロマン的な作品を書き、イギリス作曲界に不動の地位を確立。
1902 3月29日、ランカシャーのオールドハム (Oldham)に生まれる。
1912 オックスフォードの Christ Church Cathedral 聖歌隊に入る。
1916 オックスフォード大学の学生になる。
1920 オックスフォード大学を中退し、ロンドンで詩人の Sacheverell、Osbert、それにイーディス(Edith)のシトウェル( Sitwell)3兄弟の家に住み込む。
1922 朗読のための室内楽曲「ファサード」初演。のちにバレエとして有名になる。
1922-23 朗読のための室内楽曲「ファサード」(1922-23)
1923 ピアノ四重奏曲がザルツブルクの国際現代音楽協会(ISCM)の定期演奏会で初演される。
1925 序曲「ポーツマス岬」作曲
1926 序曲「ポーツマス岬」がチューリヒのISCM音楽祭で初演される。この序曲はとりわけアメリカで好まれ、ウォルトンの国際的声望を高める。
1927 シカフォニア・コンチェルタンテ作曲。
1928-29 ヴィオラ奏者Lionel Tertis の委嘱でヴィオラ協奏曲を作曲。ジャズのイディオムを取り入れた傑作で、ヒンデミットが初演、彼に献呈された。
1929-31 オラトリオ「ベルシャザール王の饗宴」作曲。
1931 「ベルシャザール王の饗宴」がリーズ音楽祭で初演される。カラヤン曰く「今世紀最高の合唱曲」。ウォルトンは英国音楽の輝けるホープと見なされる。
1932 指揮者ハミルトン・ハーティに交響曲を委嘱される。
1934 最初の映画音楽、パウル・ツィンナー監督の『逃げちゃ嫌よ』作曲。
1935 シトウェル家から出て行く。交響曲第1番(1932-35)を完成。
1937 イギリス国王ジョージ6世の戴冠式のために行進曲「王冠」(1937)を書く。合唱と管弦楽のための「ロンドン市の栄誉をたたえて(In Honour of the City of London)」がリーズ音楽祭で初演される。
1939 ヴァイオリン協奏曲(1939)、委嘱者ハイフェッツが初演し、作品を献呈される。
1940 喜劇序曲「スカピーノ」作曲。
1941 徴兵され、情報省から戦時プロパガンダ映画の音楽作曲を依頼される。
1942 映画音楽『近親者』、『親方フランスへ行く』、『スピットファイアー』、『ウェント・ザ・デイ・ウェル』を作曲。
1943-44 映画音楽『ヘンリィ五世(Henry V)』。ローレンス・オリヴィエとの最初のコラボレーション。
1945 弦楽四重奏曲 イ短調 作曲。
1947 クリストファー・ハッサールと共に歌劇「トロイラスとクレシダ」の台本を書き始める。
1948 アルゼンチンを公式訪問中、ブエノスアイレスでスーザン・ジル・パッソと結婚、ナポリ湾のイスキア島に定住。
1951 ナイトに叙せられる。
1954 歌劇「トロイラスとクレシダ」(1954完成)初演
1953 女王エリザベス2世の戴冠式のために戴冠式行進曲「宝玉と王の杖」と管弦楽伴奏合唱曲「テ・デウム」を書く。
1954 8年越しのオペラ「トロイラスとクレシダ」がコヴェント・ガーデンで初演されるが、慎重な批評。
1955 ケンブリッジ大学及びロンドン大学から名誉博士号を送られる。
1956 18年ぶりの本格管弦楽作品であるチェロ協奏曲、委嘱者ピアティゴルスキーが初演。所得税の関係から、ナポリ湾に臨むイスキア島のラ・モルテッラに住む在外英国人として正式に認められる。
1958 管弦楽のための「パルティータ」(1958)、委嘱者ジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団により初演。
1959 ギター奏者J・ブリームとテノール歌手P・ピアーズのために連作歌曲「Anon. in Love」を作曲。
1960 交響曲第2番(1959)、エディンバラ音楽祭で初演。
1961 Huddersfield 合唱協会のために「グローリア」を完成。
1962 ロイヤル・フィルハーモニック協会の依頼で「ヒンデミットの主題による変奏曲」を作曲。
1966 オールドバラ音楽祭のために狂想劇「熊」を完成。
1969 「ベンジャミン・ブリトゥンの即興曲によるインプロヴァイゼーションズ」。最後の映画音楽『三人姉妹』
1972 70歳の誕生日を祝う行事。
1974 交響曲第3番のスケッチが破棄される。
1976 コヴェント・ガーデンで「トロイラスとクレシダ」が蘇演される。
1979 次第に病気がちに。「ファサード2」を編み、指揮者アンドレ・プレヴィンのために第3交響曲を再び書き始める。
1981 最後の主要作「Prologo e Fantasia」 (1981) がロストロポーヴィチ指揮ワシントン・ナショナル交響楽団により初演される。
1983 3月8日、ラ・モルテッラで死去。
