ローマ皇帝の経済政策
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 ローマ皇帝の最大の関心事は、百万都市ローマへいかにして主食の小麦の供給を絶やさずに続けていくかだった。「パンとサーカス」あってのローマ帝国の統治。パンが作れなければお話にならない。

 第二代皇帝ティベリウスも小麦供給に気を配っていた。
 だが、彼の時代には金融危機も発生したことが知られている。
 西暦33年、金融業を営む元老院議員が、「資金の一定割合をイタリア本国向け融資に向ける」と定めた法に違反している、と訴えられたのが発端。
 だが、当時はこの法が空文化し、誰も守らないざる法と化していた。イタリア本国向けのローンの金利は上限が定められていたので、金融業者は金利の高い属州向け融資を増やしていた。
 しかし、ティベリウスは「法は法」として、1年半の猶予を設けて法を厳格に適用するよう命じた。
 それからが大変である。金融業者はあわてて資金回収に走り、地価は下がり、破産者が続出した。金融恐慌の発生である。
 そこで皇帝が打ち出した対策は、巨額の資金を債務者に無利子で貸し付ける、いわゆる「公的資金の導入」だった。融資された規模は、全ローマ兵の年間給与の半額に当たるというから莫大なものである。
 危機は収束した。

 次のカリグラス王は悪名高いが、経済政策では小麦輸送船の損害を補償するなど、小麦安定供給政策を継承した。

 クラウディウスも小麦輸入に支障がないよう、オスティア港の改良工事を決行している。

 こうした歴代皇帝の政策が、ローマで一度も「パン寄こせ」デモを引き起こさなかった秘密である。

 暴君ネロも、経済ブレーンにキケロ(?)がついたおかげで、国庫の一本化と通貨の改革という、その後長く受け継がれる経済政策を打ち出した。ただ、間接税全廃だけは継承されなかった。

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©1998 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:1998/08/31

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