アルメニア
Armeniya
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 小アジアとカスピ海との間の地域名。
 アルメニア人の故郷で、彼らはこの地をハイアスタンと呼ぶ。

[面積]11万km2

[地勢]

 小カフカス山脈に囲まれた山地(アルメニア高原)で、最高峰はアララト山(5165m)。
 南西部にワン湖、北東部にセバン湖があり、エルズルムの南に発するアラス(アラクス)川が東流してカスピ海に注ぐ。
 標高差による気温の較差が激しく、降雨は少ない。

 アルメニア共和国南境のアラス川流域や、同共和国首都エレバン周辺が農業地帯。
 水力資源、鉱物資源は豊富で、化学・食品工業などが行われる。

 現在は、

  • 東部 → アルメニア共和国
  • 西部 → トルコ領東部の山岳地帯
に分断されている。

〔住民〕

 約9割がアルメニア人で、ほかにアゼルバイジャン人、ロシア人、クルド人など。


= 歴史 =

前9〜6世紀  ウラルトゥ王国
 非印欧系先住民の国家。アルメニアに繁栄、アッシリアやキンメル人と戦う。

前6世紀頃
 小アジアのヴァン(ワン)湖付近に原アルメニア人出現。当初はイラン文化の強い影響下にあった。

前4世紀  アレクサンドロス大王の遠征

前2世紀  アルメニア王国の成立
 今のイラン北部〜トルコ東部〜カフカス南部にアルメニア王国が独立。

前1世紀  ローマの進出
 ローマ帝国の支配下に入り、やがてキリスト教が広まる。

前1〜後2世紀
 アルサケス朝パルティアはしばしばアルメニアに侵入。

3〜4世紀  アルメニアはローマ帝国とサーサーン朝の角逐の最前線となり、両国に分割支配される結果となる。

4世紀初頭  アルメニア教会の成立
 アルメニアは世界で初めてキリスト教を国家宗教として導入。
 教義的にはキリスト単性論を支持。

7〜8世紀
 アラブ人イスラム教勢力の侵入。

1045
 アルメニア、ビザンツ(東ローマ)領に。

1071  マンチケルトの戦い
 セルジューク・トルコがビザンツ帝国を破り、アルメニア〜小アジアにイコニウムのスルタン領を建設(ルーム・セルジューク朝)。

 11世紀にアルメニアがセルジューク朝に征服されると、政治的独立を失った多数のアルメニア人が他国へ移住を開始。
 特にアナトリア (小アジア) への大量移民が発生、中東各地にも広がった。

13世紀  モンゴルの侵入

14世紀後半  ティムールの侵攻

15世紀  オスマン朝トルコの支配

16〜18世紀
 ペルシアとトルコの間でアルメニア争奪戦が続き、大体において西部がトルコ、東部がペルシャの支配下にあった。

18世紀
 ロシア帝国が南進を開始。

19世紀
 ロシアの本格的なカフカス進出。

1826〜1828  ロシア・イラン戦争
 3次にわたるロシアとカジャール朝ペルシアの戦争。
 その結果……

1828  トルコマンチャーイ (トルクマン・チャイ) 条約
 ロシア=ペルシア戦争の講和条約。
 ロシアは、アルメニア東部を獲得。
 これにより、アルメニアはトルコ領とロシア領に二分されることとなった。

1895〜1896  第1次アルメニア人大虐殺
 オスマン朝トルコは領内アルメニア人の民族運動を大弾圧。

1915〜1918  第2次アルメニア人大虐殺
 オスマン・トルコは国家建設を目論んだアルメニア人を再び大量殺害(特に1915〜1916年)。
 今回の犠牲者は100万人にのぼるとされる。

1917  ロシア十月革命

1918年3月3日  ブレスト・リトフスク条約
 ソヴィエト・ロシアはドイツ、オーストリア等の同盟国側との講和条約を締結、第1次世界大戦から離脱。

1918
 ブレスト・リトフスク条約を受け、ザカフカス3国はいずれも独立を宣言。

1919年4月  ザカフカス連邦の成立
 アルメニア、グルジア、アゼルバイジャンからなる「ザカフカス連邦共和国」が成立。これはメンシェヴィキ主導の白色革命政権であった。
 だが、すぐに3共和国に分かれ、相互の利害対立が激化。

1920
 赤軍が侵攻、「アルメニア・ソヴィエト社会主義共和国」。

1922年12月30日  ソ連邦に参加
 グルジア、アゼルバイジャンと共に「ザカフカス・ソヴィエト連邦社会主義共和国」を形成して、ソ連邦結成に参加。

1936  ザカフカス3国の分離
 スターリン憲法により、「ザカフカス連邦共和国」は、単独の連邦構成共和国である「アルメニア共和国 (Hayastani Hanrapetut'yun/Republic of Armenia) 」(首都エレバン Yerevan)となる。

1985年3月  ソ連にゴルバチョフ書記長登場、ペレストロイカ (改革) 推進

1988  アルメニア大地震
  アルメニア北部を大地震が襲い、2万5千人死亡。

同年2月  アゼルバイジャンでナゴルノ・カラバフ紛争発生
 アゼルバイジャン領内のナゴルノ・カラバフ自治州にはアルメニア人が多く、同自治州はアルメニアへの帰属変更を希望したが、アゼルバイジャンはこれを拒否して分離運動を弾圧。
 同月、首都バクーに近いスムガイトで、民族派アゼルバイジャン人がアルメニア人を虐殺、国内外に衝撃を与える。(スムガイト事件)
 アルメニア共和国は同朋保護のためアゼルバイジャンを非難、両国の抗争が表面化。

1990年8月23日  アルメニア共和国の主権を宣言。

1991年9月23日  アルメニア共和国、ソ連からの独立を宣言。

同年
 ナゴルノ・カラバフ自治州の帰属を巡り、アルメニア共和国はアゼルバイジャン共和国と武力衝突。

同年12月  ソ連解体。

1994年5月
 ナゴルノ・カラバフ紛争に関する停戦合意が成立

1995年7月
 国民投票により新憲法採択。国家再建始まる。

1996年9月
 新憲法の下での最初の大統領選挙で、テル=ペトロシャン大統領再選。

1998年2月
 テル=ペトロシャン大統領、ナゴルノ・カラバフ問題をめぐり辞任。

同年4月
 選挙の結果、ナゴルノ・カラバフ出身のコチャリャン前首相が大統領に就任。

1999年10月
 国会内で銃撃事件が発生。首相、国会議長を含む8名の要人が死亡。
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©2000 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:2000/04/23

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