バスク人
Euskadi [バスコ] / Basque [仏] / Vasco [西] / Basques [英]
〔別ウィンドウ表示〕
 スペイン東北部とフランスにまたがるピレネー山麓のバスク地方に住む民族。
 「バスク (Basque) 」はフランス語の呼称で、スペイン語では「バスコ (Vasco) 」、バスコ語では「エウスカディ (Euskadi) 」。

 強固な民族的団結を保ち、歴史のあらゆる局面で独立を守る。

〔系統〕 カフカス諸族、古代エトルリア人、古代イベリア人などと関係があるとも言われるが、不明。

〔使用言語〕 バスク語(非印欧系)

〔分布地〕 バスク地方とその周辺

〔人口〕 スペイン側約60万、フランス側数万 (1997年頃)

〔生業〕 主に小土地保有の自由農・牧民

〔属する宗教〕 キリスト教。


バスク人の歴史

新石器時代
 カフカス語族がヨーロッパにも分布?
 バスク人や古代イベリア人はその一部とも言われる。

古代
 ローマ帝国の支配下に入るが、実質上は独立を保つ。

5世紀後半
 西ゴート族のスペイン侵入に抵抗し、民族的独立を守る。

8世紀後半
 フランク王国のカール大帝はピレネー地方を征服するが、バスクを領土化することは出来なかった。

9世紀
 イスラム勢力の侵入の時、スペイン辺境伯領の一部ナバラ (Navarra) を抵抗の拠点として建てる。

905
 スペイン辺境伯領の一部ナバラが、「ナバラ王国」として独立。
 イスラムに対するヨーロッパの防壁となる。

11世紀前半  サンチョ大王の治世
 サンチョ3世ガルセス(大王) (位1000〜1035) 治下にナバラ王国は最盛期を迎えた。
 アラゴン、カスティリャを支配下に置いて「イベリア王」と呼ばれ、イスラムに攻勢に出ると共に、ピレネー以北との交流を進め、サンティアゴ巡礼を保護するなど、内政にも手腕を発揮。

1035
 大王の死後、アラゴン王国が独立。
 アラゴンが次第に強大化するにつれ、ナバラ王国は歴史の表舞台から退き、主役の座はアラゴン王国に渡される。

1076
 ナバラ王国、アラゴン王国に併合される。

1134
 ナバラ王国、アラゴン王国から再独立。

1512
 スペイン王国がナバラ王国の西半分を併合。
 残りはナヴァール (Navarre) 王国として存続。

1593
 ナヴァール王国もフランスに併合される。
 こうしてバスク人の政治的独立は奪われる。

大航海時代
 バスク人は海洋民族として新大陸の植民化に活躍。

1895
 バスク民族運動の中心政党「バスク国民党 (PNV)」 創設。

フランコ体制
 バスク語は使用禁止。

1959
 PNVの急進派が脱党、「バスク祖国と自由 (ETA)」を結成。テロも辞さない過激な活動を展開。

1968
 ETAはテロを本格化。

1979
 バスク地方に自治権が付与された。
 バスク州政府与党はPNV。
前ページに戻るよ 歴史用語インデックスへ

©2000 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:2000/04/23

ご意見・ご希望きかせてね eden@uninet.net.id