キューバ危機
Cuban Crisis [英]
〔別ウィンドウ表示〕
 ソ連がキューバにミサイル基地を建設したことをめぐり、米ソが直接軍事衝突の一歩手前まで行った国際危機。
 米ソの核戦争の脅威が現実に近づいた一瞬として、冷戦時代の軍事的緊張を象徴する事件。

1959  キューバ革命
 キューバにカストロの共産主義政権が確立。

 以来、米国が米州機構からキューバを除名するなど両国の関係は悪化の一途を辿る。
 キューバはソ連を頼り、ソ連はキューバへの支援を強化。
 その一環として極秘裏にミサイル基地を建設し始める。

= 1962年10月22日の会議 =

 ケネディ大統領はこの日シカゴで演説の予定があったが、「風邪をこじらせた」とキャンセル、急遽ホワイトハウスで緊急会議を招集。
 主要閣僚、大統領補佐官、統合参謀本部議長その他安全保障担当者、議会指導者らを閣議室に集め、ジョン・マッコーン中央情報局(CIA)長官が状況説明。
 「ミサイルがソ連の港で船積みされ、キューバに向かっている。これらミサイルは北西のごく一部を除く米本土のほぼ全域を射程に収める。キューバにはすでにいくつかミサイル発射装置が完成している」。
 大統領は、「これは極めて重大で、しかも目前に迫った危機だ」と述べ、海上封鎖など強硬手段を用いてもミサイル運搬船のキューバ到着を阻止し、運搬船のソ連への反転を迫る、という方針を提示。
 会議出席者は全員、大統領の方針を支持。
 その夜、大統領は全世界向けテレビ放送でキューバ情勢と米政府の強硬方針を公表、フルシチョフ・ソ連首相との全面対決に入った。

1962年10月22日
 米国大統領J. F. ケネディは、ソ連がキューバにミサイル基地を建設中であることを公表、ソ連に同基地の撤去を要求、ミサイル搬入を阻止するため海上封鎖を実行すると声明。

 ソ連はこれを拒否、ミサイルを積んだ船はキューバに向かいつつあり、米ソの正面衝突の危機は高まった。
 キューバは臨戦態勢に入り、アメリカは、キューバから攻撃があった場合にはソ連によるものとみなして報復すると声明。

 ウ・タント国連事務総長や中立諸国が積極的に動き、また米ソ間でも文書の往復など水面下の交渉が活発化。

1962年10月28日
 ソ連のフルシチョフ書記長がミサイル撤去を約束。
 これを受けてアメリカは海上封鎖を解除。

 危機後、米ソは急速に接近し、1963年に米ソ直通電話 (ホット・ライン) がつくられ、部分的核実験停止条約が成立するなど、米ソ平和共存と「雪解け」ムードが生まれた。
前ページに戻るよ 歴史用語インデックスへ

©1998-99 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:1999/09/18

ご意見・ご希望きかせてね eden@uninet.net.id