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ヨーロッパ大陸西部の国。
〔地勢〕
南は地中海、西は大西洋に面し、イギリス海峡及びドーバー海峡を隔てて英国と対する。
大西洋にはコタンタン半島、ブルターニュ半島が突出する。
東半に山地が多く、西半は低平。
南東部スイス〜イタリア国境にアルプス山脈 (最高峰モン・ブラン山:4807mを含む) 、ジュラ山脈が延び、ソーヌ川とローヌ川がいわゆるローヌ回廊を形成して南流している。
南西部スペインとの国境にはピレネー山脈が走る。
アルプスとピレネーとの間にマシフ・サントラル(中央山地)があり、北東部のドイツとの国境に近いボージュ山地や、北部のアルデンヌ山地に連なる。
マシフ・サントラルの西方、ビスケー湾岸に至るまでの地域はアキテーヌ盆地で、ガロンヌ川が北西流する。
ビスケー湾岸には潟湖が多い。
北部中央にパリ盆地が広がり、その南部をロアール川、中央部をセーヌ川が貫流する。
パリ盆地の東の周辺部にはケスタ地形が発達している。
〔住民〕
フランス人が主で、公用語はフランス語。大部分がカトリック教徒。
- フランス人
- バスク人
- ブルトン人
- プロヴァンス人
- コルシカ人
- その他
= フランス小史 =
- 前9世紀頃
- ケルト人 (ガリア人) が移住。
- 前2世紀
- ローマの支配下に置かれ、属州ガリアと呼ばれる。
- 5世紀
- ゲルマン民族大移動でフランク族が侵入、フランク王国を建設。
- 9世紀初め
- カール大帝 (シャルルマーニュ) の下でフランク王国の最盛期。
- 843 ヴェルダン条約
- フランク王国分裂 → 西フランク王国のもとで独自の文化・民族が形成され、後世のフランスの基礎となった。
- 987〜1328 カペー朝
- 10世紀
- カペー朝フランス王国成立、封建制社会が確立。
- 11〜12世紀
- 封建制度と荘園制は盛期を迎える。
- 13世紀〜14世紀前半
- カペー朝諸国王が王権拡張に努力。
- 1328〜1589 ヴァロワ朝
- 14世紀後半〜15世紀前半 百年戦争
- 王権は著しく衰退。
しかし最後の局面で国内のイギリス勢力を追い出すことに成功、また領主制の衰退により、王権は強まった。
- 1562〜1598 ユグノー戦争
- 宗教改革が国内に生み出した緊張が爆発した宗教戦争。
- 1589〜1792 ブルボン朝
- 17世紀
- 絶対主義王政の全盛期。
- 1643−1715 ルイ14世
- ヨーロッパの国際政治・文化に指導的地位を獲得した。
- 1789〜1799 フランス革命
- 近代社会へ移行。
- 1792〜1804 第1共和政
- 1792年に王政を廃止。
- 1804〜1814 第1帝政
- ナポレオン1世は全ヨーロッパに覇権を確立。
- 1814〜1830 ブルボン朝 (王政復古)
- 1830 七月革命
- 自由を弾圧するシャルル10世にパリ市民が蜂起、自由主義者ルイ・フィリップを新国王に迎える。
- 1830〜1848 七月王政
- 産業革命が開始、自由主義を求める資本家の力が強まり……
- 1848 二月革命
- 王政を倒して共和制樹立。
- 1848〜1852 第2共和政
- 経済の発展と共に資本家と労働者の対立が鋭くなったため、資本家側は保守化。その結果共和国大統領ルイ・ナポレオンの独裁を許してしまう。
- 1852〜1870 第2帝政
- ルイ・ナポレオンは「ナポレオン3世」としてフランスを統治。
引き続き経済は発展、産業革命が完成した。
- 1870 普仏戦争
- プロイセンとの戦争に敗れ、第2帝政は崩壊。
- 1870〜1940 第3共和政
- 初期は共和派と王党派の対立に悩む。
- 1871 パリ・コミューン
- 世界史上初の労働者による自治政府。第3共和国政府の徹底的な弾圧で、72日間で崩壊。
- 1880年代
- 大資本と結んだ共和派の支配が確立、帝国主義的政策を推進。
- 1896〜1899 ドレフュス事件
- スパイの冤罪を着せられたユダヤ系大尉の名誉回復を巡り、軍部・右翼・教会と、知識人を中心とする進歩的共和派が激しく対立、第3共和政は危機に瀕したが、共和派が勝利。
- 1936〜1937 人民戦線内閣
- ドイツに成立したナチス政権に対抗するため、民主主義勢力を結集。しかし経済危機打開に失敗。
- 1940
- ナチス・ドイツに占領される。
- 1940〜1944 ヴィシー政府
- ナチス・ドイツは中仏ヴィシーに傀儡政権を作り、ペタン将軍を国家主席にした。
- 1944-1946 解放後、ド・ゴール将軍による臨時政府
- 1946〜1958 第4共和政
- 議会権限が強く、小党派が乱立して政局は不安定 (13年間に21の政権が交代)。
インドシナやアルジェリアの植民地独立運動に対応できず、軍部の反乱招く。
- 1958〜 第5共和政
- 大統領・行政府の権限が強化された。
- 1959−1968 ド・ゴール大統領
- ド・ゴール将軍がフランスの栄光回復・政治的安定を叫んで大統領に就任。
彼の下に結集した新共和国連合は第1党を形成し、政局は比較的安定。ヨーロッパ中心の独自の外交政策を展開した。
- 1968 5月革命
- 学生運動を発端に労働者・知識人も呼応して社会改革闘争に発展。
翌年ド・ゴール大統領は辞任。後任のポンピドゥー (任1969−74) はその政策を継承する。
- 1974
- ポンピドゥー大統領急死。ド・ゴール体制は終焉。
- 1974−1981 ジスカール・デスタン大統領
- 共和党出身。ヨーロッパの結束の中で主導権を確保する発想へと転換。
- 1981−1995 ミッテラン大統領
- 社会党出身で、同党中心の政権を担当。
- 1980年代〜
- 外国人労働者排斥をかかげる国民戦線(ル・ペンらが1972年結成)が勢力を伸ばす。
- 1995− シラク大統領
- ド・ゴール派の流れをくむ保守・中道路線を歩む。
1992年以来ミッテラン政権が凍結していた核実験を6回強行、国際世論の非難を浴びた。
- 2004
- 民族問題が焦点に。
フランスは、人口6000万人のうちイスラム教徒が500万、ユダヤ教徒が60万人と、欧州最大規模のイスラム教徒・ユダヤ人人口を抱えていた多文化社会。
アル=カイダのテロとイスラエルによるパレスチナ国家への攻撃が強まる中、フランス国内でも両教徒の軋轢が高まり、社会問題化。
春以降、ユダヤ人墓地の墓石にナチス・ドイツのハーケンクロイツ(鉤十字)が落書きされるなど、反ユダヤ主義的な事件が続発。
7月8日、シラク大統領は差別反対を国民に呼び掛けたが、同月18日、イスラエルのシャロン首相がイェルサレムの集会で「フランスは最も野蛮な反ユダヤ主義国家」と発言、「フランスで凶暴な反ユダヤ主義が広まっている。ユダヤ人はただちにイスラエルに移住を」と在仏ユダヤ人に即時脱出を呼び掛け、「容認できない発言」(仏外務省報道官)、「敵意の表明」(仏与党)、「受け入れられない方法で火に油を注ぐやり口」(在仏ユダヤ人団体)と猛反発を招いた。
仏『フィガロ』紙は、「欧州連合(EU)中で最もパレスチナ寄りとみなす仏の影響力を弱めるのが首相の
政治的な狙い。パレスチナ人の人口増加に対抗するため、在仏ユダヤ人の移住に目を付けているのだ」と分析。
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