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伝説的な中国最古の王朝。
『史記』などの古代歴史書によると、禹 (う) が帝舜の禅譲を受けて開いた国で、17代450年続いた。
最後の桀 (けつ) が暴君であったため、殷 (いん) の開祖・湯王 (とうおう) に滅ぼされたと伝えられる。
「夏」は古代より夷狄に対する中国の自称としても用いられた。
従来その存在は未確認だったが、河南省偃師 (えんし) 県二里頭遺跡の発見以来、中国では、夏・商(殷)・周3代の暦年代を整理する国家プロジェクト「夏商周断代工程」が始まり、中国社会科学院考古研究所を中心に、考古学者、歴史学者、古文字学者、天文学者らが5年に亘る検討を加えた結果、2000年7月に「夏」王朝は実在したという結論に達し、二里頭遺跡は紀元前1600年以前の夏王朝の大型古代都市跡だと発表。
〔時代〕 前2070年頃〜前1600年頃
〔地域〕 黄河下流、河南省偃師 (えんし) 県(洛陽東方)?
〔首都〕 王城崗→?→二里頭
〔特色〕 実在が確認された中国最古の王朝
〔名君〕 禹 (う)
〔経済〕 ?
〔文化〕 竜山文化晩期→二里頭文化?
- 3000〜2000 BC 竜山 (ロンシャン) 文化
- 黒陶、ろくろ製土器、母系→父系への過渡期社会で代表される文化。平地に住んで農業を営み、家畜を飼育して漁猟に従事した。主な穀物は粟や麦。黄河流域を中心に東は東北、朝鮮にまで達した。
- 2700〜1800 BC 河南竜山文化(後岡第二期文化)
- 晩期の竜山文化。夏王朝の文化とする学者がいる。
= 夏王朝の年代推定 =
司馬遷の『史記』などに伝承的な記述が残るだけの夏王朝の年代推定は、次のようにして行なわれた。
まず、夏王朝最後の都・二里頭の出土品を放射性炭素年代測定し、夏から商(殷)への王朝交代時期をおよそ前1600年と決定。
次に夏王朝の存続期間を、戦国時代の墓から出土した編年史『竹書紀年』に基づいて471年と推定。
これらから、夏王朝開闢時を、−1600−471≒−2070 として、およそ前2070年とした。
また、新砦遺跡が第2代夏王・啓の都であるという推定は、次のように成された。
遺跡からの出土品の放射性炭素年代は、前1900年から前1750年と測定された。これに基づき、中国社会科学院考古研究所副研究員の趙青春は、遺跡の構築時期を前2000〜前1900年と推定。
趙はさらに、『竹書紀年』に、夏王朝初代王の禹の在位年数が45年、その子・啓の在位が39年で78歳で亡くなったとあることに注目。禹が前2070年頃に即位したなら、啓が跡を継いだのは前2025年頃、啓が退位したのは前1986年頃となる。
つまり、放射性絶対年代による新砦の都城遺跡建設の時期は、啓王の在位年代と重なるので、新砦が啓の王城である可能性は極めて強いとの推論が導き出されたのである。
(参考:2005年1月1日付『日本経済新聞』朝刊)
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- 〔伝説〕 尭・舜の代に大洪水が起こり、鯀(こん)が起用されたが治水に失敗。
子の禹 (う) が後を継いで刻苦13年で成功。
- c. 2070 BC
- 〔伝説〕 禹は禅譲を受け、夏王朝を創始。
- c. 2070 〜 c. 2025 BC 初代 禹 (う)
- 姓はW(じ),名は文明。儒家経典では理想的帝王とされる。
- 夏の中心領域は、黄河中流域の河南省偃師 (えんし) 県(洛陽東方)と考えられている。
〔理由〕 この地方に「夏の国」伝説に因む場所が多い、「夏」は古くから「中華」と同義に使われたetc……
- c. 2025 〜 c. 1986 BC 第2代 啓 (けい)
- 禹の子。その都は、河南省の州都・鄭州市の南30kmにある新密市郊外の新砦 (しんさい) 村遺跡である可能性が強い。
新砦遺跡は総面積70〜100km2、大宮殿や城壁があり、最大の建物跡は奥行き50m、幅14.5mで、夏代の宮殿としては最大スケールであるという。
- 夏代早期
- 都は王城崗 (河南省登封県) と推測される。
- 夏代中期
- 都は未発見。
- 夏代晩期
- 都は二里頭 (河南省偃師 (えんし) 市南方8km) と推測される。
「陶爵」と呼ばれる土器はこの時期の物とされる。また初歩的な青銅酒器「爵」も発掘され、夏代から天に酒を捧げる宗教儀礼の存在を示唆。
さらに宮殿区の一角には幅1mほどの平行した轍 (わだち) 跡があり、夏代すでに二輪車 (戦車?) が使用されていたことを暗示。
- 2000〜1500 BC 二里頭文化
- @T〜U期……夏王朝の文化?
AV〜W期……殷の初期文化とされる。
- 前17世紀後半 第17代 桀 (けつ)
- 夏王朝の最後の王。
暴虐な振舞い多く、暴君の典型として殷の紂 (ちゅう) 王と並び称せられる。
- c.1600 BC
- 支配下の殷 (商) の湯王に攻め滅ぼされる。
- 春秋時代
- 「杞 (き) 」国は夏の子孫と信じられた。
(参考:2005年1月1日付『日本経済新聞』朝刊)
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