中国史上、実在の明らかな最古の王朝。
本来は「商」が国号で、「殷」は後世に周の人々が呼んだ蔑称。
前17世紀末もしくは前16世紀初めから前11世紀、今の河南省を中心に黄河下流域に威を振るった。
〔時代〕 c.1600〜1050 BC
〔地域〕 黄河下流(河南省が中心)
〔首都〕 偃師 (えんし) 商城→殷墟 (いんきょ)
〔特色〕 夏(か)に次いで古い中国の王朝
〔名君〕 湯王 (とうおう)
〔経済〕 神権国家
〔文化〕 巨大な王宮・王墓の造営/優秀な青銅器/甲骨文字
- 2000〜1500 BC 二里頭文化
- @T〜U期……夏王朝の文化
AV〜W期……殷の初期文化とされる。晩期には宮殿も造営された。
- c. 1600 BC
- 湯王、夏王朝最後の王(第17代)桀を滅ぼして天子となり、商 (殷) を開く。
- 前16世紀末〜前16世紀初 初代 湯王
- 商 (殷) の系譜では大乙(または天乙)。
河南省偃師 (えんし) 県の亳 (はく) に都し、自らは首都の名である「商」を国号とした。
伊尹 (いいん) などの賢臣を用いて善政を敷いた。
湯は後に最初の都、亳から西亳(せいはく)に遷都したが、これが偃師商城の城郭遺跡ではないかと言われている。
偃師商城は河南省偃師市南方3kmにある遺跡。
= 祭政一致の宗教国家・殷 =
殷は一種の神権国家で、王は上帝(天)に仕える宗教的最高権威者として、卜占をもって天意をうかがった。
巨大な王宮や王墓が造営され、すぐれた青銅器文化が栄えた。
|
- 1500〜1350 BC 殷中期
- 中心域は河南省北部鄭州の二里岡遺跡。
鄭州は殷中期の王、仲丁が遷都したゴウ(こざとへん+敖)とも言われる。
- 1350〜1250 BC 殷晩期
- 盤庚 (ばんこう) から紂王 (ちゅうおう) までの晩期270年間は、河南省安陽県の小屯にある遺跡「殷墟」に都を移した。
甲骨文字の使用が開始される。
- 前11世紀前半 末代 紂 (ちゅう)
- 商 (殷) では辛(または受)と呼ばれた。
才力すぐれた君主で東方に大領土を開いたと伝えられるが、『史記』等によると、寵姫・妲己 (だっき) に夢中になり、彼女の言いなりとなって圧政をしき、酒池肉林にふけり、反対者には酷刑を科した。
暴君の典型であり、「紂」という呼名もその悪行から付けられたとされる。
- c.1050 BC
- 紂王の悪政で民心は離反し、周の武王に討たれて紂王と妲己は殺され、殷は滅亡。
|