イランのパーレヴィ朝独裁体制を打倒し、イスラム共和制を樹立した革命。
イランでは「イスラム革命」と呼ぶ。
- パーレヴィ朝イラン王国のモハンマド・レザー・パーレヴィ国王 (位1941―1979) は、 莫大な石油収入と米国の支持に頼り、土地改革を中心とする上からの急速な近代化、いわゆる「白色革命」を促進し、独裁体制をしいた。
その結果、経済格差が拡大し、人口の都市集中が進むことともなった。
こうした国王の政策は、伝統的土地所有者、商人、民衆などの強い反発を呼び、ここに宗教界が加勢したことで一気に革命機運が広まる。
- 1978 コム弾圧事件
- 聖地コムでの学生デモをきっかけに、パーレヴィ王政への怒りが爆発。暴動が全国規模に拡大、国民的な蜂起となった。
- 1979年1月 王政崩壊
- 国王は国外脱出。
- 1979年2月 革命政府の樹立
- パリに亡命中の宗教指導者ホメイニ師が帰国、革命政府を樹立した。
最初、革命政府は民族主義派や社会主義者の混成だった。
海外では革命を引き金に原油価格が急騰、第2次石油ショックが発生。
- 1979年11月 テヘラン米大使館占拠・人質事件 発生
- パーレヴィ王政を支援していたアメリカに対する民衆の怒りは根強く、イスラム学生たちが在テヘランのアメリカ大使館を乗っ取り、大使館員を人質に取り、444日間立てこもる。
この事件でアメリカはイランと断交。
- 1980
- イラン・イラク戦争発生。
- 1981
- 「法学者の統治」論に基づき、イランは、宗教上の最高指導者が立法・行政・司法を超える監督権を持つイスラム共和国となった。
その後イランは「革命の輸出」を唱えて、欧米諸国のほか周辺イスラム諸国からも警戒されることになった。
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