イスラム勢力が築いた帝国。特にマホメットの後継者である正統カリフの時代と、ウマイヤ朝、アッバース朝を指す。
かつては「サラセン帝国」とも呼ばれた。「サラセン」とはギリシア・ローマ世界で古くからアラビア北部の民族を呼んだ名称。
正統カリフ時代に続くウマイヤ朝ではアラブ人による征服・支配という性格が強く、ビザンツ文明の影響が濃いが、アッバース朝になると諸民族の融合した世界帝国となり、政治・文化の中心はイラン方面に移る。
版図はウマイヤ朝のとき最大で、アッバース朝に入ると分裂が始まる
- 622 ヘジラ (ヒジュラ)
- マホメットがメディナに根拠地を移す。メディナが一時政治の中心に。
- 631 マホメット、アラビア半島を統一。
- 632
- マホメット、メディナで病没。
親友アブー・バクルが「カリフ」 (後継者) として「ウンマ」 (イスラム信徒の共同体) の指導者に選ばれる。
- 632〜661 正統カリフ時代
- 632−634 初代カリフ アブー・バクル
- シリア、イラクに遠征。
オマル (ウマル) の勧めで『コーラン』の編纂を開始。
- 634−644 第2代 オマル (ウマイヤ朝カリフのオマルと区別するためオマル1世とも呼ぶ)
- 以下のような業績を残す。
- 西南ペルシア〜イラク〜シリア〜エジプトを遠征。
- 征服地からの規則的な租税の徴収を開始。
- アラブ戦士への俸給支給のためにメディナに国家財政の記録書ディーワーンを設置。
- アミール・アル・ムーミニーンという称号の制定。
- ヘジュラ紀元=イスラム暦の採用。
- 635 ダマスクス占領。
- 636 カディシー付近の戦いでササン朝ペルシアの軍隊を粉砕。
- 637 クテシフォン (マダイン) 占領。
- 638 イェルサレム占領。
- 640〜642 司令官アムルによるエジプト征服。
ビザンツ帝国と戦い、641年アレクサンドリア占領。
- 641 モスル占領。
- 642 ニハーワンドの戦い
- ササン朝正規軍壊滅。ササン朝事実上の滅亡。
- 643 トリポリ占領。
- 644−656 第3代 オスマーン (ウスマーン)
- 引き続き外征。シリア総督のムアーウィヤ (ウマイヤ家) はビザンツ帝国と戦う。
656年暗殺される。
- 656-661 第4代
- クライシュ族ハーシム家出身でマホメットのいとこに当たる。マホメットの娘ファーティマと結婚。
反乱多く、ウマイヤ家のムアーウィアと対立、暗殺される。
- 656 ラクダの戦い
- 即位直後、政敵を破り、都をメディナからクーファへ移す。
- 657
- ウマイヤ家のムアーウィヤとシッフィーン (イラク) で戦い、和を結ぶ。 → これを不満とする人々が「ハワーリジュ派」として分離。
- 661
- アリー、クーファで暗殺される。 → アリー支持者は「シーア派」結成。
- 661〜750 ≪ウマイヤ朝≫
- 正統カリフ期とは異なり、ウマイヤ家出身者がカリフ位を相続。
ダマスクスを首都にアラブ族の最盛期を現出。
しかし内乱に悩まされる。
- 705−715 アル・ワリード1世
- スペイン〜北アフリカ〜中央アジア〜インダス川流域に至る最大版図を実現。
- ウマイヤ朝末期、預言者マホメットの血縁者がカリフとして統治すべきだという思想が生まれ、血縁にあたるアッバース家が同朝を倒してアッバース朝を創建。
- 750〜1258 ≪アッバース朝≫
- アラブ至上主義を掲げたウマイヤ朝に対し、異民族の改宗者を多く含む「イスラム帝国」を体現。
都としてバグダードを創建。
- 786−809 ハールーン・アル=ラシード
- 黄金時代を迎える。
- 756〜1031 ≪後ウマイヤ朝≫
- ウマイヤ家のアブド・アッラフマーンはスペインに逃れ、ウマイヤ朝を再興。コルドバを首都に西欧社会と接触、イスラム文化の伝達者となった。
- 912−961 アブドゥル・ラフマーン3世
- カリフの称号を取り、後ウマイヤ朝の最盛期。
- 946
- シーア派のブワイフ朝がバグダードに攻め入り、国家としてのアッバース朝は崩壊。
カリフは宗教権威としてのみ、存続を許される。
- 1055
- スンニー派のセルジューク朝がバグダードに入城、シーア派を追い払う。
しかしアッバース朝カリフはセルジューク朝の保護下に置かれ、1058年、セルジュークの族長にカリフ保護者としての「スルタン」の称号を授ける。
- 1258
- バグダード周辺に勢力を保つのみだったアッバース朝カリフは、フラグ率いるモンゴル軍に滅ぼされ、カリフ制も絶える。
その跡にはイル・ハーン国が建国されたが、この国は間もなくイスラム化した。
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