クシャーナ朝
Kusana  1世紀半ば〜3世紀中頃(〜5世紀後半)
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 古代末期のアフガニスタン〜北インドを支配した国家。「クシャン朝」とも。中国では「貴霜」と書かれた。


〔時代〕 1世紀半ば〜3世紀中葉に繁栄
〔地域〕 アフガニスタン〜北インド
〔首都〕 プルシャプラ
〔特色〕 古代東西文化の交流
〔名君〕 カニシカ1世
〔経済〕 漢=ローマの東西貿易に依存
〔文化〕 ガンダーラ美術、大乗仏教

1世紀初め
 大月氏支配下のバクトリア大月氏国)には五つの支配部族があった → うちクシャン族が強大化、政権樹立。

初代 カドフィセス1世(クジュラカドフィセス)
 バクトリアを征服、ガンダーラ地方にも進出。

第2代 カドフィセス2世(ウィマカドフィセス)
 99年までにインダス川〜ガンジス川中流域までを征服。  またタリム盆地に進出、班超(31-101)率いる後漢の守備軍と衝突。  

144−173  カニシカ1世 (大王)
 勢力をさらに拡大 → 勢力はアフガニスタン、北西インドから、東はガンジス川中流域を覆い、最盛期。
プルシャプラを都とし、貿易を振興。
 仏教にも熱心で、第4回仏典結集を行ったとされる。
 ガンダーラ美術はこの王のもとで最盛期を迎える。
 クシャーナ朝はバクトリアに残存していたギリシア政権を吸収、サカ族、パルティア王国を打ち破り、ガンジス平原東部〜デカン高原の一部さえ手に入れる。
 冬の首都はプシュカラーヴァティプルシャプラ 〔現ペシャーワル〕の北チャルダッサ)、夏はカーピサに都し、インド支配の中心地はマトゥラーに置いた。 

〔クシャーナ帝国出現の理由〕

  • 東西貿易の要衝を握った。
  • この頃パルティア王国はローマ帝国との抗争に忙しく、後漢も2世紀以降勢力を後退させていた。

<経済> <文化>
 東西交通の要衝を占め、漢=ローマ間の東西貿易、陸海の国際貿易で莫大な利益を得た。(この点では南インドのアーンドラ王国と同じ。)

 国内ではローマ金貨を真似た金貨を鋳造。
 カニシカのコインにはインド(プラークリット)語で、ペルシア語で「王中の王」と書かれ、天子の訳語たるデーヴァプトラとも記され、ローマ皇帝を意味するカエサルも用いられるなど国際色豊か。

 ローマとの交流が盛んで、東西文化が融合した特色ある文化を生む。
3世紀初め
 ササン朝がイランを統一、その初代アルダシール1世はヒンドゥークシュに進出、第2代シャープール1世は226年クシャーナ朝に遠征、ガンダーラを奪う。
 クシャーナ朝衰退の始まり。

230
 クシャーナ王ヴァースデーヴァ(波調)が魏の明帝に宛てて洛陽に朝貢。

3世紀後半〜
 北インドからは撤退してカーブル地方に退く。
 これ以降の状況は不明だが、次第に衰えていったと思われる。
〔クシャーナ帝国解体の影響〕
  • 諸侯の独立化
  • キオン(匈奴(きょうど))がソグディアナで強大化
4世紀
 ササン朝のシャープール2世(位309-379)の時代にクシャン民族は再び強力になり、ササン朝と200年に渡り抗争する。

5世紀前半
 クシャン民族から出現したキダーラ朝がバクトリアを統一、ガンダーラを征服して勢いを振るう。領土を州に分け、知事には貨幣発行権を与えるなど、国家として着実に発展。
 ところが……

5世紀中頃
 強大な騎馬民族エフタルが膨張開始、バクトリアを併合。

5世紀末
 キダーラ朝はガンダーラエフタルに奪われ、消滅。
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©1998 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:1998/08/31

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