デカン西部に君臨した古代インドの王朝。
先祖が地方(ラーシュトラ)の長官だったことから、この王朝名が付いたらしい。
- 7世紀前半〜
- チャールキヤ朝の統治下で勢力を振るう。
- 710
- ダンティドゥルガが国を継ぐ。
宗主のチャールキヤ朝ヴィクラマーディティヤ2世に従うが、その死後は周辺を攻略し、時を待って……
- 753
- チャールキヤ朝を滅ぼし、西デカンの支配者に。
- ダンティドゥルガには子がなく、叔父クリシュナが跡を継いだ。
- 758〜773 クリシュナ
- マイソールとアーンドラに兵を進め、王朝の基礎を固める。
また、エローラー石窟のカイラーサ寺院を造る。
- 779〜793 ドゥルヴァ
- 北インド侵略を企てる。
- この後約1世紀にわたり、北方のプラティハーラ朝、パーラ朝と激しい攻防を繰り広げる。
- 794〜813 ゴーヴィンダ3世
- 北インド大遠征を敢行。グジャラートとマーラヴァ(マールワー)を確保、ビハールまで軍が及ぶ。
常にヴェーンギーの東チャールキヤ朝と対立。
- 814〜877 その子アモーガヴァルシャ1世
- 文学を愛し、首都マーニヤケータ(現マールケッド)を建てて平和を保つ。
しかし各地に反乱が起きた。
- その後一時首都を東チャールキヤ朝に陥れられたりしたが、北はプラティハーラ朝、パーラマーラ朝を押さえ、南はヴェーンギーをめぐってパッラヴァ朝、次いでチョーラ朝と争った。
- 939〜966 クリシュナ3世
- 繁栄期の最後の王。
- クリシュナ3世を過ぎると国は衰運、東チャールキヤ朝、さらにチョーラ朝に攻められる。
- 973
- 北よりパーラマーラ朝の侵入があり、この機会を狙っていた西チャールキヤ朝のタイラ2世に滅ぼされた。
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