セルビア王国
Srbija [セルビア] / Serbia [英] 1151〜1459
〔別ウィンドウ表示〕
11世紀
 ゼータ (現在のモンテネグロ) 王ミハイロがセルビア諸部族を統一し、最初の国家を築く。
 が、間もなく「ジューパ (部族結合体)」に解体。

1151−1196  族長ステヴァン・ネマーニャ (Stevan Nemanja)
 諸部族を再統一、ビザンツ帝国から独立して王国を築く(ネマーニャ朝)。

1196−1228  ステヴァン2世
 ローマ教皇の支持を得て、ギリシア正教に対抗、ビザンツの支配を断ち切ろうとする。

1217
 ステヴァン2世、王号を用いる (セルビア王国の誕生)。

1219
 国王ステヴァン2世の兄弟、聖サヴァ (1169〜1236) は、王の西欧化政策に反対、ギリシャ正教から独立した民族的な「セルビア正教会」を創立、その後の全セルビア人の統一の絆となった。

1242−1276  ウロシュ1世
 国家統一を完成、次第に強盛に向かう。

13世紀
 部族国家は西欧型の封建国家へ脱皮。
 自由農民は農奴へと没落し、一方で新貴族階級が形成される。都市への特権授与も行われる。
 ビザンツの弱体化に乗じ、南方モラヴァまで領土を拡大。バルカン半島の一大強国へ成長。

1330  キュステンディルの戦い
 ブルガリアとビザンツ帝国の連合軍を大きく打ち破る。
 ブルガリア帝国の大部分を吸収。

1331−1355  ネマーニャ9世ステヴァン・ドゥシャン (Stevan Dushan 1308?〜1355)
 ハンガリー軍を討ち、ブルガリアを屈服させ、ビザンツの内乱を利用して領土を東南へ拡大させて、実にバルカン半島の2/3を領有。
 中世の大セルビア王国の最盛期を現出。

1346
 スコピエで「セルビア人とギリシア人の皇帝」を名乗る。
 また、セルビア総主教区を創設。

 しかし「ツァリグラード」 (スラヴ語でコンスタンティノープルのこと) も、帝冠も、手に入れることは出来なかった。
 また対トルコ十字軍の計画は、ハンガリーの抵抗で挫折した。

1355

 ステヴァン・ドゥシャン急死。帝国は瓦解。

1355−1367  ウロシュ5世
 豪族が割拠し、国家は分裂。

1389  コソヴォの戦い
 南スラヴ系のバルカン諸侯連合軍がオスマン朝トルコ帝国に惨敗、セルビア貴族はほぼ絶滅。
 なお「コソヴォ」(正確には「コソヴォ・ポーリエ」)はセルボ=クロアティア語で、それ以外では「コッソヴァ」と呼ばれた。

1396
 オスマン朝トルコの臣属国となる。

1427−1456  ジョルジェ・ブランコヴィチ
 首都をスメジェレヴォに移す。

1459
 トルコはセルビアを帝国直轄領に。

〔文化〕

  • 5つのドーム屋根を持つ中世教会建築の全盛期 (13〜14世紀)
  • モザイク、聖像、フレスコ画
  • 金糸刺繍
  • 民族叙事詩……名君ステヴァン・ドゥシャンと民族的英雄マルコ・クラルイェヴィチを巡る「コソヴォ伝説」
  • 大詩人イヴァン・グンドゥリチ (1588〜1638)
前ページに戻るよ 歴史用語インデックスへ

©1999 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:1999/04/04

ご意見・ご希望きかせてね eden@uninet.net.id