- 11世紀
- ゼータ (現在のモンテネグロ) 王ミハイロがセルビア諸部族を統一し、最初の国家を築く。
が、間もなく「ジューパ (部族結合体)」に解体。
- 1151−1196 族長ステヴァン・ネマーニャ (Stevan Nemanja)
- 諸部族を再統一、ビザンツ帝国から独立して王国を築く(ネマーニャ朝)。
- 1196−1228 ステヴァン2世
- ローマ教皇の支持を得て、ギリシア正教に対抗、ビザンツの支配を断ち切ろうとする。
- 1217
- ステヴァン2世、王号を用いる (セルビア王国の誕生)。
- 1219
- 国王ステヴァン2世の兄弟、聖サヴァ (1169〜1236) は、王の西欧化政策に反対、ギリシャ正教から独立した民族的な「セルビア正教会」を創立、その後の全セルビア人の統一の絆となった。
- 1242−1276 ウロシュ1世
- 国家統一を完成、次第に強盛に向かう。
- 13世紀
- 部族国家は西欧型の封建国家へ脱皮。
自由農民は農奴へと没落し、一方で新貴族階級が形成される。都市への特権授与も行われる。
ビザンツの弱体化に乗じ、南方モラヴァまで領土を拡大。バルカン半島の一大強国へ成長。
- 1330 キュステンディルの戦い
- ブルガリアとビザンツ帝国の連合軍を大きく打ち破る。
ブルガリア帝国の大部分を吸収。
- 1331−1355 ネマーニャ9世ステヴァン・ドゥシャン (Stevan Dushan 1308?〜1355)
- ハンガリー軍を討ち、ブルガリアを屈服させ、ビザンツの内乱を利用して領土を東南へ拡大させて、実にバルカン半島の2/3を領有。
中世の大セルビア王国の最盛期を現出。
- 1346
- スコピエで「セルビア人とギリシア人の皇帝」を名乗る。
また、セルビア総主教区を創設。
- しかし「ツァリグラード」 (スラヴ語でコンスタンティノープルのこと) も、帝冠も、手に入れることは出来なかった。
また対トルコ十字軍の計画は、ハンガリーの抵抗で挫折した。
1355
- ステヴァン・ドゥシャン急死。帝国は瓦解。
- 1355−1367 ウロシュ5世
- 豪族が割拠し、国家は分裂。
- 1389 コソヴォの戦い
- 南スラヴ系のバルカン諸侯連合軍がオスマン朝トルコ帝国に惨敗、セルビア貴族はほぼ絶滅。
なお「コソヴォ」(正確には「コソヴォ・ポーリエ」)はセルボ=クロアティア語で、それ以外では「コッソヴァ」と呼ばれた。
- 1396
- オスマン朝トルコの臣属国となる。
- 1427−1456 ジョルジェ・ブランコヴィチ
- 首都をスメジェレヴォに移す。
- 1459
- トルコはセルビアを帝国直轄領に。
〔文化〕
- 5つのドーム屋根を持つ中世教会建築の全盛期 (13〜14世紀)
- モザイク、聖像、フレスコ画
- 金糸刺繍
- 民族叙事詩……名君ステヴァン・ドゥシャンと民族的英雄マルコ・クラルイェヴィチを巡る「コソヴォ伝説」
- 大詩人イヴァン・グンドゥリチ (1588〜1638)
|