デカン半島南東方のインド洋上の島、またはその王国。
英語の呼称「セイロン (Ceylon) 」は旧国名として広く使われた。
ほぼ卵形をした島で、中央南部には山地があり (最高峰はピドゥルタラーガラ山=2524m)、北部は広い平野になっている。
インドとの間にアダムズ・ブリッジと呼ばれる砂州がある。
気候は熱帯性で、5〜10月の南西季節風は南西部に多雨をもたらす。
北部は12月の北東季節風期を除き乾燥。
産物は紅茶と宝石が有名。
農業が主で、茶、ゴム、米、ココナッツを産する。石墨の鉱産があるが工業は小規模。
- 前5世紀以前
- 原始的な焼畑農耕を営むヴェッダ (Vedda) 人が住んでいた。
- 前5世紀前半
- インド西海岸グジャラート地方のシンハリー族の王子ヴィジャヤが、スリランカ島に渡来、先住民ヴェッダを征服、タンバパンニを都としてシンハラ人 (アーリア系) の王国を築く。
- それ以降、スリランカはサンスクリットで「シンハラ・ドヴィーパ (獅子ヶ島) 」と呼ばれる。
- c.247−207 BC デーヴァーナンピヤ・ティッサ
- ティッサ王の時代にマウリヤ朝のアショーカ王の王子マヒンダが仏教を伝え、王は仏教に帰依。
アヌラーダプラにマハー・ヴィハーラ (大寺) が建てられ、南方上座部正統派仏教の中心地に。
初期シンハラ人の言語パーリ語は仏教教典の言語として東南アジア各地に伝わる。
- ティッサ王の後、1000年に渡り、ドラヴィダ系タミール族の侵入が続く。
- 5〜7世紀
- タミール人のパッラヴァ朝の侵略。
- 同じ頃スリランカの上座部仏教に宗派対立が発生。
- マハーヴィハーラ派……伝統的・保守的。
- アバヤギリヴィハーラ派……開明的でインドの大乗仏教の影響を受ける。
- 8世紀
- タミール系パーンディヤ王国が勢力を増し、スリランカに圧迫を加える。
- 8世紀後半
- タミール族に押され、シンハラ人王朝はポロンナールワに遷都を余儀なくされる。
- 9世紀中頃
- パーンディヤ王国の首都マドゥライを攻め、国王シュリーマーラ・シュリーヴァツラヴァを滅ぼす。
- 10〜11世紀
- タミール人のチョーラ朝が急激に勃興、スリランカにたびたび侵入。
- 10世紀
- チョーラ軍によるアヌラーダプラ占領。多くの島民が南インドやミャンマーに逃げ、都はポロンナールワに移される。
- 1059−1113 ヴィジャヤ・バーフ1世
- タミール人の侵略で荒廃した国土を復興し、また仏教教団を再建するため、ビルマ (現ミャンマー) から高僧を招いた。
- 12〜13世紀
- パーンディヤ王国が再び最強となり、チョーラ朝を併合。
- 1153−1186 パラークラマ・バーフ1世
- 国家を再建、一時タミール人を征服。南インドに遠征して多数の捕虜を連れて帰るほどの成果を示す。
また、マハーヴィーラ派を正統と認め、上座部仏教の教団を統一。これにより今後マハーヴィーラ派の上座部仏教が精力的に東南アジア各地に伝道されることとなる。
- 13世紀
- パラークラマ・バーフ1世の死後、シンハラ王国は成果を維持できず、北部平原には遂にタミール王国が成立。
シンハラ人は南部へと大移動。
- 1474
- シンハラ人の最後の王朝カンディ (キャンディ) 朝が成立。
これ以降、シンハラ人の言語は、パーリ語から発達したシンハラ語が優勢に。
- 1505
- ポルトガル人が来航。
- 1517
- ポルトガルは、コロンブスの名を取ったコロンボを建設、1520年には要塞化し、この地を事実上支配。
東部に進出、次第にカンディ朝への圧迫を強める。
- 1592
- ポルトガル人の侵略で、カンディ朝は島中央部のカンディ (Kandy) に遷都せざるを得ず。
以後カンディ朝は島の中央高地を版図とし、シンハラ人の王統が断絶した後もタミル人王の統治により、16世紀末にスリランカの大部分がポルトガルに征服された後も独立を保った。
- 17世紀
- オランダ人がポルトガル人を追う。
- 1796
- ナポレオン戦争の一環として、イギリスがフランスの影響下にあったオランダを追う。
- 1815
- カンディ朝は英国軍に敗北して滅亡、イギリスは全島を領有。
- 以後イギリスはプランテーションの関発を進め、紅茶、ゴム、ココナッツのモノカルチャー経済を形成。
また安い労働力として、大量のタミール人が移住させられた。
この結果、住民構成はおおよそ次のようになり、シンハラ人とタミール人との間での民族対立が深まる。
- シンハラ人……原住者。アーリア系。仏教徒。総人口の7割。
- タミール人……移住者。ドラヴィダ系。大半がヒンドゥー教徒。総人口の2割弱。
- 1890〜1930年代
- ドラヴィダ民族自尊運動が展開される。
- 1948年2月4日
- 英連邦内の自治国「セイロン」として独立。
- 1960〜1970年代
- タミル地域自決運動
- 1972
- 新憲法によって英連邦内自治国から共和国に移行し、国名を「セイロン」から「スリランカ (パーリ語で「輝ける島」)」に改めた。
元首は大統領、議会も一院制となった。
- 1976〜
- スリランカの総人口の17%を占めるタミル人 (イスラム教徒) は、多数派の仏教徒シンハラ人の優先策 (シンハラ語の公用語化などのシンハラ・オンリー政策) に反発、タミル人国家「タミル・イーラム」の分離独立を求め、大規模暴動を発生させた。
- 1980年代〜
- 北東部の分離・独立を求めるタミル人の「タミル分離独立運動」は、過激派「タミル・イーラム解放の虎 (LTTE) 」による武装闘争へエスカレートし、無差別テロ、要人暗殺が頻発するように。
シンハラ人中心の政府軍は、LTTEとの武力対決を繰り返す。
- 1987
- インド・スリランカ合意が成立、インド平和維持軍が派遣された。しかしこれに反発するシンハラ人過激派「スリランカ人民解放戦線 (JVP) 」は,テロ活動を激化させた。
- 1989
- 1988年12月当選のプレマダサ大統領はLTTEと直接交渉、JVPのテロも沈静化させた。
- 1990
- 戦闘が再開され、インド軍は撤退。
- 1991
- ラディブ・ガンディー元インド首相がLTTEによると見られるテロで殺される。
- 1993年5月
- プレマダサ大統領もLTTEによると見られるテロで殺害される。
戦闘が再開され、インド軍は撤退。
- 1995年1月
- 停戦協定。しかしLTTEによる停戦違反は続き、政府軍もLTTEの拠点である北部のジャフナ半島への総攻撃を続行。
- 1995年末
- 政府軍の総攻撃。LTTEの拠点ジャフナ半島の全域をほぼ制圧。
が、LTTEはその後もゲリラ戦を続け、首都コロンボでもたびたび爆弾テロを行う。
クマラトゥンガ大統領はタミール人の多い北部・東部の州に一定の自治権を付与する「地方分権法」を提案したが、野党や仏教団体の反対で可決されず。
この紛争で、多くのタミル難民が生じ、戦死者は5万2000人以上、政府の軍事費も予算の4分の1を占める。
- 2000年5〜6月
- 再び戦闘が激化、政府は独立以来初の「戦時体制」宣言を発した。
今やミサイルや戦車まで持つ7000余人の一大軍事組織に成長したLTTEは、東部の仏教寺院へ爆弾テロを仕掛けるなどして攻勢を強める。
テロ、内戦による犠牲者は累計7万人近い。
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