中国大陸南東方、台湾海峡を隔てて福建省に対する島。
澎湖 (ほうこ) 島,蘭嶼 (らんしょ) などの属島を含む。
〔地勢〕
地形は狭長で、東に高く西に低い。
台湾山脈が脊梁 (せきりょう) 山脈をなし、南北に走る。主峰は玉山(新高山)。
北半は亜熱帯性、南半は熱帯性気候で雨が多い。
東岸は絶壁をなし良港に乏しい。
西部には沖積層平野が広がる。
〔住民〕
先住民は高山 (高砂) 族。人口の90%は漢族系。
〔産業〕
米、サトウキビ、茶、バナナ、パイナップルなどの農産のほか、木材・樟脳(しょうのう)の林産,製塩・漁業の水産がある。電子部品・電気製品・機械・化学などの近代工業も盛んで、目覚ましい経済成長を見せている。
= 台湾小史 =
- 古名は「流求 (りゅうきゅう) 」、「瑠求」、「鶏籠山」。
日本では高山 (こうざん) 国,高砂 (たかさご) 国と称した。
英語名 Formosa はポルトガル語の「フォルモーサ(美しい島)」に由来。
- 7世紀初め
- 隋の煬帝 (ようだい) が「流求」を征伐。 → この「流求」は台湾のことと考えられる。
- 13世紀
- 元軍が遠征。
- 16世紀
- 倭寇の根拠地となり、対岸から中国人が移住して、初めて西岸地方が開発される。
この頃ポルトガルが接触、ヨーロッパに紹介。
- 17世紀
- 海寇 (かいこう) が接触を持つようになってから、中国との交渉が始まる。
同じ頃、スペイン人、オランダ人が西海岸の要地を占領。
- 1624
- オランダ東インド会社 (VOC) が今の台南港入口にゼーランディア (Zeelandia) 城を築き、オランダ人が台湾の権益を独占。
ゼーランディア城はマニラとマカオの中間に位置し、福建省沿岸と台湾海峡をおさえる要点を占め、台湾におけるVOCの植民の拠点となった。中国貿易で繁栄。
- 1661
- 明の遺臣、鄭成功 (てい・せいこう) がゼーランディア城を占領、「安平鎮」と改称し、オランダ人を下して支配を確立。
- 1683
- 清は鄭成功の孫、克ソウ (こくそう) を討ち、福建省所属の「台湾府」を置いて台湾を支配下に。
- これ以降、中国からは福建・広東省の住民が多く移住、先住民を山地に圧迫して経済権を確立。
但し治安は悪く、反乱が絶えなかった。
- 1786〜1787 林爽文の乱
- 福建省出身の林爽文 (りん・そうぶん) 、台湾に渡って天地会の幹部になり、1786年に反乱を起こす。
翌年、福康安率いる清軍に鎮圧された。
- 1885
- 清は台湾省を設置。
- 1895
- 日清戦争後の下関条約によって日本に割譲される。
- 1895〜1945 日本統治時代
- 日本は交通・産業を開発し、台湾を南方の大拠点とした。
- 1895〜1890
- 台湾独立運動。
- 1930年10月27日 霧社 (むしゃ) 事件
- 高山 (こうざん) 族の抗日蜂起。日本の植民地支配に対する原住民の不満が爆発したもの。
台中州霧社 (今の南投(なんとう)県仁愛(じんあい)郷) で、モーナ・ルダオを指導者としてマヘボ社など6社約1500名が蜂起し日本人134名を殺害。
台湾総督府は波及を恐れて飛行機・山砲等を動員、高山族1000余名を殺害して11月19日鎮定。事件の終り頃には蜂起側の200余名が抗議の集団自決をし、生き残ったのは婦女子および15歳以下の男子約230名だけだった。
- 1945年11月
- 第2次大戦が終了、中国国民党政府軍が進駐、台湾は中国に復帰。
- 1947年2月 二・二八蜂起
- 国民党政府の失政により島民の反乱が発生。
- 1949年12月 中華人民共和国成立に伴う国民党の台湾移転
- 国共内戦により、国民党政府は本土を失って台北に移転、一党独裁で全島を統治するようになる。
このため、台湾は米国の東南アジア政策の一環として重要な基地となった。
- 1958 金門島事件 (台湾危機)
- 中国が金門島にあった蒋介石の軍事基地を攻撃。
- 1972
- 中華人民共和国が国連の代表権を得たため、国連から脱退。
- 1975
- 蒋介石総統の死により厳家淦副総統が昇格。
- 1978
- 蒋介石の長男蒋経国が総統に就任。
経済立国を目ざして経済建設計画を進めた。
- 1979
- 米国と断交。
- 蒋介石・蒋経国親子の時代は、外省人(大陸出身者)が要職を独占。
- 1986
- 台湾ナショナリズムを掲げる民主進歩党(民進党)が結成され、最大の野党となる。
- 1987年秋
- 台湾住民の大陸訪問を解禁し,以来海峡両岸の経済・貿易関係は急速に発展。
- 1988
- 蒋経国の死後、李登輝・副総統があとを継ぐ。
彼は初の本省人 (台湾出身者) の総統で、党内の外省人政治家との権力闘争に勝ち抜き、民主化を進める。
また、中国からの分離・自立志向を強め、中国との対立が先鋭化。
- 1990年代
- 台湾海峡の緊張が増す。
- 1993
- 本省人(台湾出身者)が主流派となった国民党に不満を募らせた外省人を中心とする勢力は、国民党を飛び出し、野党・新党を結成。
- 1995夏〜1996春 台湾海峡危機
- 米クリントン政権が1995年に李登輝総統の訪米を受け入れ、中国の激怒さす。
- 1996
- 初の総統直接選挙で李総統が3選される。(投票率76.04%)
なお、1996年8月現在台湾が外交関係をもつ国は30。アジアでの承認国はない。
国民党政府の統治下にあるが、中華人民共和国では「台湾省」と位置づけている。
- 1999年7〜8月 台湾海峡危機の再来
- 李登輝総統が中国と台湾は「国と国との関係」と発言 (7月9日) 、中国の反発を招く。
台湾大地震
|
- 1999年9月21日 台湾大地震
- 午前1時45分、台湾中部・南投県を中心にM7.7の大地震が発生(震源地:日月潭)。
死者2400人(10月21日現在)、負傷者8700人(9月28日現在)。
コンピューター部品の供給が滞り、世界に「台湾ショック」を与えた。
- 2000年3月18日
- 総統選。(投票率82.69%で国政選挙としては台湾史上最高)
次の3候補、
- 連戦……与党・国民党の候補で、副総統。
- 陳水扁(ちんすいへん)……最大野党・民主進歩党(民進党)の候補で、前台北市長。人口の80%以上を占める本省人(台湾出身者)の支持を集める。
- 宋楚瑜(そうそゆ)……元台湾省長。国民党に残った外省人のホープだったが、総統選の公認争いの結果、除名処分となり、無所属で立候補。
のうち、陳水扁が当選、国民党51年の支配に幕が下ろされる。
翌19日、大敗した国民党の李登輝総統は、任期満了前の9月に党主席を退任する意向を表明。
また、総統選次席に迫った宋楚瑜は、新政党の結成を宣言。国民党非主流派も合流の可能性が高い。 → 国民党分裂の兆し。
|