ヴァルダーナ朝
Vardhana  6世紀後半〜647
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 グプタ朝滅亡後、北インドを再統一した唯一のヒンドゥー王朝。
 首都カニャークブジャ Kanyakubja (1)(現カナウジ)

6世紀後半  
 プラバーカラ・ヴァルダーナが、西北からガンジス中流域に進出、サトレジ川とジャムナー川の合流点スターンヴィーシュヴラ(今のターネーサル)を都として勢力を確立。
 西インド征略とエフタル撃退で頭角を現す。

 その死後、子のラージャ・ヴァルダーナが王位に就くが、間もなくベンガル王シャシャーンカに謀殺される。

605〜647  ハルシャ・ヴァルダーナ(Harsha Vardhana)(戒日王)
 ラージャ・ヴァルダーナの弟で、16歳で即位。
 アッサムの王と同盟してベンガル王シャシャーンカを討ち、カニャークブジャやビハールを領有。
 次いでインド西部のマイトラカ朝などを従え、北インド統一を成し遂げた。
 さらにデカン西部のチャールキヤ朝のプラーケシン2世と争うが、敗北を喫し、その後は平和が保たれる。

 王の北インド統一事業は詩人バーナの『ハルシャ・チャリタ』という物語に描かれる。
 また、中国との文化交流も盛んで、仏僧の玄奘(げんじょう)はヴァルダーナ朝に渡来して『大唐西域記』を著し、唐の使者、王玄策(おう・げんさく)は3回ハルシャの王国を訪問。

 王の宮廷では文学が栄えた(2)
 また、王は仏教を信奉したが、ヴァルダーナ朝ではヒンドゥー教も盛んだった。

 ハルシャ王の死後、王に嗣子がなかったため王国は分裂し、北インドは再び混乱の中に叩き込まれる。
 そこに来訪した王玄策は、軍を集めて王国の再興をはかった。


1.  玄奘(げんじょう)は「曲女城」と音訳している。

2.  王自身サンスクリット劇作家で、『プリヤダルシカー』『ラトナーヴァリー』『ナーガナンダ』の作がある。

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©1998 早崎隆志 All rights reserved.
更新日:1998/08/31

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