グプタ朝滅亡後、北インドを再統一した唯一のヒンドゥー王朝。
首都カニャークブジャ Kanyakubja (1)(現カナウジ)。
- 6世紀後半
- プラバーカラ・ヴァルダーナが、西北からガンジス中流域に進出、サトレジ川とジャムナー川の合流点スターンヴィーシュヴラ(今のターネーサル)を都として勢力を確立。
西インド征略とエフタル撃退で頭角を現す。
- その死後、子のラージャ・ヴァルダーナが王位に就くが、間もなくベンガル王シャシャーンカに謀殺される。
- 605〜647 ハルシャ・ヴァルダーナ(Harsha Vardhana)(戒日王)
- ラージャ・ヴァルダーナの弟で、16歳で即位。
アッサムの王と同盟してベンガル王シャシャーンカを討ち、カニャークブジャやビハールを領有。
次いでインド西部のマイトラカ朝などを従え、北インド統一を成し遂げた。
さらにデカン西部のチャールキヤ朝のプラーケシン2世と争うが、敗北を喫し、その後は平和が保たれる。
王の北インド統一事業は詩人バーナの『ハルシャ・チャリタ』という物語に描かれる。
また、中国との文化交流も盛んで、仏僧の玄奘(げんじょう)はヴァルダーナ朝に渡来して『大唐西域記』を著し、唐の使者、王玄策(おう・げんさく)は3回ハルシャの王国を訪問。
王の宮廷では文学が栄えた(2)。
また、王は仏教を信奉したが、ヴァルダーナ朝ではヒンドゥー教も盛んだった。
- ハルシャ王の死後、王に嗣子がなかったため王国は分裂し、北インドは再び混乱の中に叩き込まれる。
そこに来訪した王玄策は、軍を集めて王国の再興をはかった。
註
1. 玄奘(げんじょう)は「曲女城」と音訳している。
2. 王自身サンスクリット劇作家で、『プリヤダルシカー』『ラトナーヴァリー』『ナーガナンダ』の作がある。
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