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Ismail Marzuki
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【イスマイル・マルズキ】 |
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[作曲家]
独立戦争期 (1945〜49) インドネシアの代表的な作曲家。
特にクロンチョン音楽の数々の名曲を生み、インドネシア最高の作曲家と評価される。
ジャカルタに生まれ、若い頃から楽団奏者として生計を立てるかたわら、哀愁を帯びた歌謡を書き続けた。
1945年にインドネシアが独立宣言を発し、独立戦争が始まると、作曲家としての才能はいよいよ開花し、「ハロー・ハロー・バントゥン」 (1945) 、「献花」 (1949) のような愛国歌を書き始める。
同時に、「インドネシアの遺産」 (1947) 、「風よ伝えておくれ」 (1947) のような情感溢れる歌謡曲を書きつづった。
彼の歌は国民歌謡として独立直後のインドネシア国民の間で歌い継がれ、独立期の英雄の一人として尊敬された。
1970年代になり、ジャカルタ特別州の知事アリ・サディキンが文化の普及・発展を目的にオランダ植民地時代の娯楽施設・遊園地跡を再開発した時、新たに建てられた文化・学芸センターは、彼を記念して「イスマイル・マルズキ公園 (Taman Ismail Marzuki) 」と命名された。
これは「TIM」の略称で親しまれ、今でもジャカルタ市民の憩いの場所となっている。
註 ここで用いている曲名の邦訳は、大部分がラグラグ会によるものであり、同会のご承諾を得て掲載させて頂いております。
ラグラグ会についてはHPをご覧下さい。→ http://homepage1.nifty.com/akatsu/lagu2/home.htm (2001年9月2日)
- Hallo Hallo Bandung (ハロー・ハロー・バンドゥン)
- Sapu Tangan Dari Bandung Selatan (南バンドゥンよりのハンカチ)
- Sepasang Mata Bola (円らな瞳)
- Gugur Bunga (落花)
- Stangkai Bunga Mawar (一輪のバラの花)
- Aryati (アルヤティ)
- Jangan Ditanya (聞かないで)
- Juwita Malam (麗しの宵)
- Melati Di Tapal Batas (最前線のジャスミン)
- Rayuan Pulau Kelapa (椰子の揺れる島)
- Rindu Lukisan (憧れの絵)
- Sabda Alam (自然の定め)
- Sampul Surat (便り)
- Selendang Sutera (絹のショール)
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