20世紀前半に流行したインドネシアの代表的ポピュラー音楽のスタイル。
特に独立運動の時代に広まったため、国民音楽として支持されてきた。
ウクレレに似た「チュック」と「チャック」という2種類の撥弦楽器が、てこてこてこ……と、とりとめもない細かい音符を爪弾く中、チェロがピッツィカートでシンコペートされたリズムを刻み、ギターのアルペジオが奏で、バイオリンとフルートがのどかな音楽を奏し、歌手が、ヴィブラートを効かせた張りのある声で、息の長いメロディーを歌っていく。
使用される楽器から分かるように、元来は、16世紀にインドネシアに到来したポルトガル商人たちによって伝えられた音楽だった。
そこに、ポルトガル船に使用人として乗っていたアフリカ=アラブ系の人々の音楽が混じり、ここにマレー語の4行詩やインドネシア伝統音楽の影響も加わって「クロンチョン」が成立。
現存のクロンチョンの楽曲のうち最古と言われる「クロンチョン・モリツコ (Keroncong Moritsko) 」は16世紀に遡るとされる(モリツコとはスペインに住み着いたモロッコ系ベルベル人のこと)。
なお「クロンチョン」とは「ちりんちりん」といった擬音で、最初はポルトガルから伝わった小型のウクレレ型ギターを指したが、間もなく音楽そのものを指すようになった。
クロンチョンはその後、19世紀にジャカルタ郊外のトゥグという街に移住したポルトガル系住民達によって演奏され、急速に広まっていった。
1940年代までは、打楽器を一切含まない5〜7人程度の楽団に男性・女性歌手を加えて演奏された。
独立直後、インドネシア語普及に効果ありと喧伝されて、極めて盛んになった。
特にコメディ・スタンブルという歌劇団は全国を巡業し、クロンチョンの普及に貢献した。
しかし1960年代後半以降若い世代に敬遠され、現在では保護が必要となっている。
1970年前後からはポピュラー音楽とクロスオーバーした形のクロンチョン = 「ポップ・クロンチョン」が現れ、ヘティ・クス・エンダンやワルジナーといった歌手が人気を集めている。
彼女らはオリジナルの形の古典クロンチョンも演奏するので、ポップ・クロンチョンを通じて本来のクロンチョンに親しむ人も少しずつ増えている。
クロンチョンの代表曲(1)は、最高のクロンチョン作曲家と言われるイスマイル・マルズキ (1914-58) の、
- Sepasang Mata Bola(円らな瞳)
- Hallo Hallo Bandung(ハロー・ハロー・バンドゥン)
- Gugur Bunga(落花)
や、日本にも知られたグサン・マルトハルトノ(Gesang Martohartono) (1917-??) の、
- Bengawan Solo(ブンガワン・ソロ=ソロ川)
- Jembatan Merah (赤い橋)
- Sapu Tangan (ハンカチ)
など。
その他に、
- Kemayoran (クマヨラン)
- Senja (黄昏)
- Tanaha Airku (我が祖国)
- Bandar Jakarta (ジャカルタの港)
- Pasar Gambir (ガンビル市場)
- Roda Dunia (輪廻)
なども知られる。
また、このクロンチョンの楽団は、同じ楽器編成で「ランガム」というジャンルの音楽をも演奏する。特に沖縄音階にも似た「ペロッグ」と呼ばれる5音音階で演奏される「ランガム・ジャワ」は、一風変わって「エスニック」な雰囲気を醸し出す。もともとジャワのガムランをクロンチョンの楽器で演奏したようなものであるが、演奏者もとても器用なもので、フルートがスリン(竹笛)に変身したり、チェロが太鼓のような音を出したりと面白い。
註
1. ここで用いている曲名の邦訳は、大部分がラグラグ会によるものであり、同会のご承諾を得て掲載させて頂いております。
ラグラグ会についてはHPをご覧下さい。→ http://homepage1.nifty.com/akatsu/lagu2/home.htm (日本語)
(2001年9月2日・記)
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