[ポップス・グループ]
1960〜70年代に活躍したグループ・サウンズ・バンド。
その人気と影響力の大きさは、ポップ・インドネシア史上、忘れることは出来ない。
1960年代に世界のポップス・シーンに強烈な影響を与えたロック旋風はインドネシアにも吹いてきた。この国でもロックに影響を受けた無数のバンドが形成されたが、この「クス・プルス」ほど人気を集めたバンドはない。
曲はシンプルだが、名曲が多い。「インドネシアのビートルズ」の異名を取るのも肯ける。
今聴くと歌は時々ハモらず、楽器のチューニングも合っていなかったりして、当時のおおらかな様子が伺える。歌が発声の基本的訓練が不足で素人ぽく聴こえ、それが素朴な魅力となっていることもビートルズと共通する。ドラムスは名人と呼ばれた。
また、単なる西洋かぶれではなく、ダンドゥットやクロンチョンの要素を取り入れた土俗的・エスニックなナンバーも作っていることには驚かされる。
1960年にデビュー。最初は「Koes Bersaudara (クス兄弟)」としてクスウォヨ (Koeswoyo) 家の兄弟4人で結成。
しかし、西洋ポップスやロックを禁じていたスカルノ政権に「ロックなどという米帝の文化にかぶれた」罪で逮捕され、一時投獄された。
釈放後、長兄は音楽活動から足を洗い、ビジネス・マンに転向。
そこでバンドは、別の兄弟一人を加え、バンド名も「Koes」に一人「プラス」したので「Koes Plus」と改名、再出発した。
1967年には早くもミュージックカセットを発売している。当時の音楽媒体の主流はLPであり、カセット・テープレコーダーは日本でようやくが発売された頃だから、彼らがいかに新メディアに積極的だったかが分かる。
1960年代後半にピークを築き、50枚以上のアルバムを発売している。
人気は今も衰えていない。レコード店に入ると、カセットやCDの陳列棚のかなりの面積がクス・プルスのアルバムに占領されているのに驚かされる。
おそらく、当時青春を送った中年の人々が今でも、「ノスタルギア」として懐かしい思い出に浸りながら聴いているのだろう。
現在は彼らの息子たちも音楽グループ「ジュニア」を結成し、活動している。
ヒット曲は数え切れない。
歌唱力は、今の水準からははっきり言って下手だが、曲はいずれも単純で覚えやすく、かつ心に染みる名曲ばかり。
- Buat Apa Susah (曲:Murry) ……ビートルズの「ヘイ、ジュード!」を連想させる名曲。
- Kembali ke Jakarta (ジャカルタへ帰る) (曲:Tonny Koeswoyo) ……これも名曲。サビの「ぼくはジャカルタへ帰る」の部分は泣かせる。
- Bujangan (曲:Murry)
- Pagi yang Indah (美しい朝) (曲:Tonny Koeswoyo)
- Manis dan Sayang (甘く優しい君) (曲:Tonny Koeswoyo)
- Untukmu (お前のために) (曲:Tonny Koeswoyo)
- Kisah Sedih di Hari Minggu (日曜は悲しい) (曲:Tonny Koeswoyo)
- Kembali (戻れ) (曲:Tonny Koeswoyo)
- Hatiku Beku (曲:Yon Koeswoyo)
|