[ポップス歌手/ソングライター]
1990〜2000年代インドネシアで最も注目されるミュージシャン。
Potretのヴォーカルでソロ活動も盛ん。そのかたわら旺盛な作曲活動を続ける。
声が細く、時々嗚咽しているような歌い方になる。個人的には歌唱力が不足という印象があるが、加藤登喜子タイプと思えばいい。その個性的な歌の魅力は限りない。
1974年7月7日、西ジャワ州バンドゥンに生まれる。
父 Melky Goeslawや、エルファ・セシオリアから音楽の指導を受ける。
最初は有名な歌手のバック・コーラスをつとめ、ラジオ・コマーシャルの作曲なども手掛けた。
1989年、インドネシア・ポピュラー歌手フェスティヴァルで3等に入選。
1992年、Cipta Pesona Bintangで1等。
1993年にはシンガポールでフジテレビ系番組「アジア・バグース!」で優勝。またインドネシア国営放送TVRIのBintang Radio 西ジャワ大会で優勝。
1995年、自分のバンド、ポートレットを結成、独自の音楽を追求しはじめる。
ソング・ライターとしても、クリス・ダヤンティ、ルース・サハナヤ、マヤン・サリなどに曲を提供している。
特にクリス・ダヤンティのために書いた「Menghitung Hari (月日を数えて)」は大変優れたバラードで、ヒット。
その他、ルース・サハナヤのために書いた「Dina」、メメスのための「Jangan Menyesal」「Lepaskan Rindu」、リタ・エフェンディの「Menjanda」、Titi DJ、デシー・ラトナサリなどのための曲を書いている。新人ロッサ (Rossa) のために書いた「Tegar」は2000年上半期にヒット・チャートの上位に入った。
彼女の曲作りは変わっていて、サスペンス・ドラマやアガサ・クリスティなどのミステリー小説をたくさん読み、そのあとでカセットテープを回しながら頭に浮かんだメロディを口ずさみ、録音していくのだそうだ。
曲を作り始めると大変神経質になり、旦那といえども彼女を遮ることは出来ない。
- Jika (もし) (曲:メリー・グスロウ) ……元デワ19のヴォーカリスト、アリ・ラッソ (Ari Lasso) とのデュエット曲。快適なテンポで印象的な転調を伴いながらアンニュイに進行していく。2000年上半期にヒット・チャートの1位を占めた。
- melly (1998)……斬新なサウンド作りが話題になったアルバム。大ヒット「Jika」の他、プロローグに続く1曲目「Ingin sendiri dulu」に日本語の語りが効果音としてバックに入ってきたり、以前クリス・ダヤンティに提供した自作「Menghitung Hari (月日を数えて)」をギターで弾き語りするなど、聴き所は豊富。(C)PT. AQUARIUS MUSIKINDO
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