インドネシア・ポップス小事典
 
      Pop Indonesia 
    【ポップ・インドネシア】   

 インドネシアのポップス音楽。
 英語なら「インドネシアン・ポップス (Indonesian Pops) 」だが、インドネシア語は後置形容なので、「Pop Indonesia」となる。

 一口にポップ・インドネシアと言っても千差万別だが、分類上の位置は、次のように考えられる。

  • 伝統音楽 (民謡など)
  • 古典音楽
  • 西洋音楽  
       
    • クラシック音楽  
    • ポピュラー音楽
      • クロンチョン
      • イージーリスニング
      • 宗教歌謡
      • 地方ポップ ……地方語でその地方独特の音楽の特徴を取り入れて歌う"ご当地ソング"。これが結構人気がある。
      • ポップス (中央)……広義の「ポップ・インドネシア」
        • 歌謡曲
        • ジャズ
        • ロック
        • ポップス……狭義の「ポップ・インドネシア」
        • ダンドゥット
        • ディスコ/ハウス
        • R&B
        • スカ
       
    • その他の音楽  
  • その他の音楽

 ここでは、上記分類の「狭義のポップ・インドネシア」を中心に、ロックやダンドゥットも含めた「広義のポップ・インドネシア」を、いわゆる「ポップ・インドネシア」と考えることとしたい。

 西洋音楽がインドネシアの一般大衆の間に広まりはじめたのは、20世紀になり、独立運動が高まってからだった。その中でもクロンチョンは、特に独立戦争期 (1945〜49年) に大流行したため、軍歌のような歌詞を持つものが少なくない。

 1950年代にはインドネシア最初のレコード会社イラマ・レーベルが設立され、音楽産業の発展が始まった。
 この時代のポップス音楽は欧米の模倣が中心だが、一方で地方ポップス (Ragu Daerah) も盛んだった。
 主なグループに、

  • トゥルナ・リア楽団 (Orkes Terna Ria) ……リーダーはザエナル・アリフィン
  • クラナ・リア楽団 (Orkes Kelana Ria) ……リーダーはアディ・カルソ。アルバムに「Padang Bulang」など。
  • グマラン楽団 (Orkes Gumarang) ……西スマトラのパダン出身で、ミナンカバウ族の地方ポップスを広める。リーダーはアスボン・マジッド。
 また男性歌手では
  • オスラン・フセイン (Oslan Husein)
  • ビング・スラマット ……名前だけでなく、声も歌い方もビング・クロスビーにそっくりなそうな。
  • ラハマット・カルトロ ()
 女性では などがいた。

 1959年に世界中の他の国と同じくエルヴィス・プレスリーが大ヒットし、若者を中心にロックン・ロールが流行する兆しを見せるが、ちょうどこの頃から欧米と対立を始めた スカルノ大統領が、西洋文化排斥の一環として国営ラジオでロックン・ロールを放送することを禁止したため、ポピュラー音楽はしばらく弾圧の時代となる。
 クス・プルスの前身であるクス・ブルソウダラが禁令を無視してロックを演奏し、逮捕されるのもこの時代。

 ポップ・インドネシアが本格的な発展を見せるのは、スカルノ政権が退場し、民間ラジオ局やラジオ・カセットが普及しだす1960年代後半からである。

 スハルトの「新秩序」体制下、欧米の音楽も自由に聞かれるようになると、ビートルズやローリング・ストーンズがたちまち人気となり、インドネシアでも多くのロック・グループが結成された。ロックは、政治的に抵抗する手段を奪われた大衆の唯一のプロテストの表現として熱狂的な支持を受けた。
 バンドの編成はドラムス、エレキ・ギター、ベース、キーボードというオーソドックスなものだが、多くのグループはロック&ポップスの他にもポップ・ムラユ(ダンドゥットの前身)やポップ・クロンチョン、ポップ・ジャワ、イスラム宗教歌など多彩な音楽を演奏した。

 なおこの時代、高価なレコードに代わって安価なカセットが普及し、同時にラジオ放送が一般化して、音楽の大衆化が急速に進んだ。

 この時代は日本同様グループ・サウンズが全盛で、

などが活躍。
 また男性歌手では  女性では などが人気を集めた。  さらに、フォークや、演歌っぽい"歌謡曲"が全盛となり、ソング・ライターの (アー) ・リヤントティティーク・プスパ (歌手と兼業) が人気曲を量産したのもこの時期。

 こうした流れに変化が現れたのは1975年のこと。
 第1次石油ショックで国家が豊かになったこの時期、人々は目を自分たちの内面に向け始める。

 この年、インドネシアの多様性を一身に集めたような万能女性歌手ヘティ・クス・エンダンがデビューし、またアフマッド・アルバールが欧米風の本格的ロック・バンド、ゴッドブレスを結成。
 そして1977年にはクリシュが登場、フォーク・シンガーのエビート・G・アデと共に日本でいう「ニュー・ミュージック」、さらに進んでインドネシア独特の「ポップ・クレアティフ」を開拓していく。
 その一方で、地方ポップスにも革新の動きがあり、やはり1970年代半ばにダンドゥットやジャイポンガン (西ジャワ州バンドゥン発祥の地方ポップス) が生み出され、急速に広まっていく。

 1980年代以降、反体制派フォーク歌手イワン・ファルスも登場し、全く路線の異なるフォーク系ニューミュージックとダンドゥットが一致して開発優先の現実に対抗し、心の故郷を歌うという傾向が定着した。

 1985年、日本のニュー・ミュージック歌手、五輪真弓の「心の友」が爆発的大ヒットを記録。これに刺激されて、歌い上げるバラード調の曲が大量に書かれるようになる。
 1980年代後半からは、フュージョンやブラック・コンテンポラリー、ラテンなどの影響を受けた「ポップ・クレアティフ」が急成長。
 1990年代には本格ロック、ソウルなどの洗礼を受けた多様なグループが登場。特に、スロー・ロック系のニケ・アルディラ、バラード専門のKLa Project、ソウル的な方向を見せるクリス・ダヤンティなどが絶大な人気を誇った。
 特に注目すべき事は、それまで一部の学生や裕福なエリート層の音楽と見られていた欧米風のポピュラー音楽が急速に一般大衆の間に広まったことである。そのため、90年代には根強い生命力を誇るダンドゥットすら、ポップス化の一途を辿っている。

 この時期の人気女性歌手に、

らがいた。
 また、新たな人気ジャンルとして台頭した「スロー・ロック」の歌手には、 など、やはり女性が多い。
 作曲家としては、 (アー) ・リヤントが相変わらずの人気を保つ一方、リント・ハラハップが急速に人気を高める。だが、次代を担うのはむしろ、この頃"トレンディ"となったポップ・クレアティフのシンガー・ソングライターである。

 注目すべきは、音楽が反体制のガス抜きを果たしていたことで、急増したロック・バンドの中でも熱狂的な支持を集めるスランクは、1990年のアルバム・デビュー以来、鋭い社会批判の舌鋒を緩めることがない。また社会派フォークのイワン・ファルスが演劇仲間と組んだロック・グループ「スワミ」は、コンサートを開くたび、労働者を中心に絶大な人気を集めた。

 1995年はポップ・インドネシアの一つの転機となる年だった。

 インドネシア独立50周年を迎えたこの年、歌謡界は原点となる昔のポップス (ポップ・ノスタルギア、いわゆる懐メロ) を見直し、カバー・アルバムの発売が相次いだ。
 その口火を切ったのがユニ・シャラが歌った「Mengapa Tiada Maaf (なぜごめんと言わないの)」のカヴァー・ヴァージョンで、その後ラニ、ユニオルといった他の若手歌手も同様のノスタルギア・アルバムを発売。
 一方、歌手の悲報も相次いだ。
 スロー・ロック界のスパー・スター、ニケ・アルディラポッピー・メルキュリー、国民的人気を誇ったベンヤミン・Sなどがみなこの年に亡くなった。

 1997年後半に始まった経済危機と1998年の暴動で音楽産業は苦境に陥るが、政権交代と社会変革の流れの中で、イワン・ファルスらは「レフォルマシ(改革)」をスローガンに新たなファン層を獲得。
 表現等の自由化の進む中、1998年頃からは全国的なバンド・ブームに火が付き、若年層を中心に無数のロック・バンドが結成された。
 2000年現在、次のバンドは「3大ロック・グループ」として若者の間で絶大な人気を誇り、活発に活動している。

 また日本のスカ・コアの人気ユニット、KEMURIのインドネシア公演でスカ人気に火が付き、Tipe-X (ティプ=エックス)のようなスカ・バンドが多く結成されたが、実力としてはまだまだ。
 だが、こうした動きは同時に音楽リスナーの若年化も進め、今や音楽市場はティーン・エージャーの財布にかかっていると言っても良い。
 他方では、ポップス分野でも次のような洗練されたオルタナティブ・バンドが登場している。  特にポートレットはその実験的な曲作りで注目され、作曲担当のヴォーカル、メリー・グスロウは今やヒット・ソングを連発するソング・ライターとして引っ張りだこである。

 ここまでで歴史をひとまず終える。

 以下、ジャンル別に概観しよう。

 歌謡曲は一昔〜二昔前の「泣き」の入った濃い歌い方で、男性ならブルーリー、女性ならデウィ・ユルベタリア・ソナタニア・ダニアティといったところ。

 ダンドゥットは、別項をご参照あれ。

 ジャズは、上流階級の若年層を中心に次第に愛好者を増やしている。
 「ジャカルタ国際ジャズ・フェスティバル」が毎年開かれ、ライヴ・ハウスでの実演も増えている。
 ミュージシャンとしては次のような人々(楽団)が有名。

  • イルン・マウラナ&オール・スターズ……女性ヴォーカルのイルン・マウラナを中心とする。なお「イルン (Ireng)」とはジャワ語で「黒い」の意味。
  • カリマタ (Karimata) ……リーダーはギボ・マウラナ。
  • クラカタウ (Krakatau) ……リーダーはインドラ・ルスマナ
  • エルファ・ビッグ・バンド……リーダーはエルファ・セシオリア
  • ブビ・チェン……ピアニスト。
  • ビル・サラギ (Bill Saragi) ……男声ヴォーカリスト。バタック人。
  • エルミー・クリット (Ermy Kullit) ……女声ヴォーカリスト。

 ロックは、ハードなものより、ポップ音楽との境界線に近い「スロー・ロック」または「オルタナティヴ」が好まれている。
 「スロー・ロック」は、マレーシアのバンド「Search (サーチ)」が1989年にヒットさせた「Isabella (イサベラ)」という曲がブームをもたらしたと言われる。ここに才能豊かな少女歌手ニケ・アルディラが登場したことで、一気にブームに火が点いた。ニッキー・アストリアインカ・クリスティなどが後に続いた。
 「オルタナティヴ」は本来、本家本流とは異なった、非商業的でアンダーグラウンド的なバンドを指すが、インドネシアでは、あまり強烈すぎず、メロディアスなバラードを中心とした欧米風のしゃれたスタイルを意味する言葉となっている。KLa ProjectDewa 19など、インドネシアを代表するバンドのほとんどはここに属する。要はインドネシアの一般聴衆はおしゃれで中庸の覚えやすい旋律を持った曲が好きだ、ということだ。
 一方ハード・ロックまたはヘヴィ・メタルは、1990年代前半にようやく登場してきた。その中では スランク がダントツの人気と実力を誇っている。GIGIがそれに続く。
 注目すべきは、欧米では主流となり得なかったプログレッシヴ・ロックが根強い人気を誇っていることで、1970年代にアフマド・アルバールが率いたゴッドブレスが草分け的存在。主要メンバーは1990年代に「Gong 2000」というバンドを再結成して今も意気盛ん。1970年代後半にインドネシア伝統音楽と西欧音楽の融合を目指したグルー・スカルノ・プトラのバンド「Guruh Gypsy」もプログレと言えるかも知れない。Dewa 19GIGIといった90年代の人気バンドもプログレ色を強く持っている。

 フォークソングは、インドネシア民謡ではなく、日本でも1960〜70年代に流行ったのと同様、アメリカのフォークの影響を受けたスタイルの音楽である。
 ベンケル劇場のメンバーでもあり、「シルクス・バロック」というロック・グループを持って創作・演奏活動も行うサウン・ジャボ (Sawung Jabo) らが知られる。サウンはイワン・ファルスの親友であり、イワンにも影響を与えている。

 R&Bもインドネシアでは意外に人気があり、1990年代後半にはレザサニアのような逸材が現れている。
 ブラック・ミュージックという絡みでは、ラップも盛んで、1990年代前半からイワKなどが活躍している。
 なお、Tipe-Xのようなスカ・バンドも存在するが、これは日本のスカから影響を受けて流行っているらしい。

 イージーリスニングでは、「トワイライト・オーケストラ」と呼ばれるポップ・オーケストラの人気が高い。指揮者・アレンジャーとしてエルウィン・グタワが頭角を現している。
 また、ヴァイオリン (インドネシア語では「ビオラ」と呼ぶ) 奏者Idris Sardiは、クラシックからポピュラーまで幅広く活躍。

* ポップ・インドネシアの歴史に関してはウェブ・サイト「Map of Indonesian Pops」(http://www4.gateway.ne.jp/~polka-d/index.html) → 「Rock Pop Indonesia Cafe」 → 「Pop Indonesia Histry」(http://www4.gateway.ne.jp/~polka-d/popindonesia/histry.html) 他を参考にさせて頂きました。

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更新日:2000/09/25; 12/06; 2001/05/02

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